10月12日(日)
最近YouTubeで『結界師』という漫画の解説動画をみています。
昔、月曜の夜にブラックジャックなどと並んで放送していたアニメです。
自分はこのアニメが結構好きだったので、あれからどうなったのかなと続きが気になっていましたが、その頃からあまり漫画を読むタイプではなく、結局そのままになっていました。
しかし、ここ数年になって、ふいに続きを読んでみたくなる衝動にかられ、暇だった(文字通り)こともありゲオへ借りに行き、とうとう最終巻までたどりつきました。
読んでみて思ったのが、すごく読みやすい漫画だということ。
自分は、少年ジャンプの漫画は読んだことがありますが、普段あまり動きの多い漫画(戦闘描写など)を読み慣れていないせいか、読んでいても何をやっているのかよくわからないことが多いです(^_^;) この辺は視覚的な処理が苦手(発達障害の傾向)がそのまま出ているのかもしれません。
しかし、この結界師は読みやすかった。
おそらくジャンプ等に比べ動きが少ない絵なのもあると思いますが、枠のなかでの表情の比率などで(顔の半分をあえて描かない、目だけをアップにする等)感情を表現したり、素人がみても勉強になるなと(^^;
漫画の世界では基本的なことなのかもしれませんが。
また世界観なども安定しているというか、設定がしっかり固まっているのだなと感じます。
NARUTOなど読んでいて思うのですが、まずエネルギーの概念として“チャクラ”があり、それを消費することで、五遁や幻術、秘伝忍術などの陰陽遁(属性)の“忍術”を発動させる。
連載が長期化しても、土台が固まっているので世界観が崩れにくいといいますか。それが物語が安定している要因なのかななどと、作品を見て感じることがあります。
結界師も同様で、基本的に主人公たちは正方形や長方形などの四角形型の結界(間流結界術)を作り出し、相手をそこに掴まえます。また結界に弾性をつけたり(相手の攻撃を受け止めてはじき返す)、標的指定(湯吞みを結界で囲み、湯吞みはすり抜けさせてお茶だけを結界の中に残す)など、様々に基礎の技術を応用します。
その他、念糸(糸状の結界)や絶界・真界(円形の結界)なども出てきますが、“結界術”で戦うという大枠は外れないのかなと、読んでいて思いました。
また結界師の世界では、“力は独立したもの”として描かれているのも、面白い設定だと感じました。
強い思いや感情があり(大切な人を守りたい等)、それによって強力な術を発動するのではなく、むしろ雑念(感情や思考)を抜き取ることによって、“無想”状態に入り、純粋にその人間の力――ポテンシャルを発揮する。
これ、経験あるな……と、少し当てはまるような気がしました。
自分はいつも、頭の中で意識してしまうことで、行動がぎこちなくなってしまいます。意識すればするほど、頭で考えてしまう。
元々の処理速度の遅さもあるとおもいますが、そういう“こだわり”によって、普通の人ができていることができなくなっているのかなと。
自分が工場にいたときの話なのですが、同じラインに三歳年上の若い女の人がいました。その人は基本的に優しいのですが、髪の色が金髪だったり、(二十代前半にして)子持ちだったりと、色々と苦労が多そうな方でした。
その人に、一度だけ強い語調で「だったら手伝って!」という感じで怒られたことがあり、そのとき頭の中が真っ白になって、普段だったらできない作業がすんなりとできるようになり(手が勝手に動いている感じ)、「ああ、追い詰められればできるんだな」と妙に納得したことがあります。
それが『結界師』の世界でいう“無想”かはわかりませんが……(^_^;) ただ、雑念が取れると体が勝手に動く(自動化され、より効率的に動けるようになる)というのは、あるなと感じました。
実はこれが言いたかったために、今回『結界師』の話をもってきた感があります。もちろん面白い漫画なので、皆様に勧めたいというのもありますが(^^;




