5月10日(土)
昼十二時半起床。
昨日は夜八時に寝たらしいが、それでもまだ眠かった。
どういうことなのか。疲れが溜まっていたというほど、忙しい毎日を送っていない。昼からのパート三時間だけ。それなのに、やけに眠い。
歯磨きをし、一時半に母と病院へ。父の退院が迫っているため、最後の介護指導。
最初、言語聴覚士の方からお話。退院後の食事について。
母が壁側に座ったため、自分が矢面に立たされる形となる。
ご飯はおかゆにとろみをつける。おかずは自分たちが食べるものと一緒でいいので、一センチで刻んで出すようにとのこと。
またとろみは塩分? の強いものだと、水などと比べてとろみがつきにくくなるらしい。基本は二.五グラム(スプーン山盛り一杯)。
父はとろみを嫌っていて、最初差し入れのコーヒーに看護婦さんが入れようとしたときも駄々をこねていた。退院後もとろみは要らない、ご飯もおかゆでなく白米でいいと言う。
カレーライスやシチューのようなものはどうだろうと思うが、もし訊いてダメと言われてしまうとあれなので、黙っておく。
というより、自分は言語聴覚士の女の人が話している間、視線をその人の直前でとめて宙を見ている状態だった。
その人の他に、看護婦さんらしき女の人が二人いて、気が散ってしまってしょうがない。密室に人間が五人もいるというのは自分にとって非常に苦しい状態。“頑張って”目を見ているのも迷惑のように感じて、途中から空を見る作戦をしていた。物凄い失礼をしているという罪悪感が胸に広がる。
話が終わって退席してから、“あたし(普段母の前では自分のことをそう呼ぶ)を矢面に立たせないでくれる?”と八つ当たりをする。
その後、父の病室に移動。
服の着替え。上衣は麻痺してる方から脱がせ、服を下から反対側に送り、麻痺してない方も脱がせる。ズボンは腰から一気に脱がせてしまう。
オムツ交換。リハビリパンツなら楽なのだが、便が漏れる可能性があるらしくテープで固定するタイプ。これも一度片側を決めてから父に体をよじってもらい、下から余っている部分を通す。
小は管を通ってパックに溜まるようになっているが、大はオムツでするしかなく、また便の出が悪いので四五日おきに座薬を挿して出すらしい。
退院後は、訪問看護の看護婦さんが来たときに処理してもらうのがいい、という看護婦さんの意見。たしかにそれがいいと思う。
やっている途中、いつも不愛想な看護婦さんがやけに褒めてくれる。電話で話すときは温度のない話し方で、冷たい印象をもつ人なので、何だか落ち着かない。冷たいのか優しいのかわからない人。
その後、看護婦さんが変わる。
三十くらいと思われるショートカットの若い女の人。正確には看護婦さんではなく理学療法士らしい。
サバサバした人で(患者さんに対してはハキハキしながらも時々笑いかけるような素振りがあるが)、“次どうするんでしたっけ?”などの質問形式の教え方をするため、自分も母もこの人が苦手。
最初、痰吸引の練習。カニューレに吸引機の管を入れるが、十センチほど入れても吸い取る気配がない。もっと入れないとだめかと差し込んでいくと、父がむせる。吸わないときは左手指先で管を抑えるようにと指示が入る。
吸引した先を脱脂綿で拭き、消毒液? を吸い取って痰を押し流す。
なんとかできたが、少し自信を失う。
ほんとはこれも母に覚えて欲しいのだが、難しいのだろう。母は数年前に精神の病気で入院して以来、新しいことを覚えるのが苦手になった。
母には追々、家で覚えてもらうしかない。
その後、ベットから車椅子への移乗。
まず父にベットから起き上がってもらう(手すりをつかんで、自力でなんとか起き上がれる)。車椅子をベットぎりぎりに寄せ、ブレーキをかける。その後、足掛けの部分を外す。右の肘掛けも外す。準備完了。ベットの高さを車椅子よりも高くして、移乗開始。
父の脇の下に手を入れて、片方は腰のすそをつかみ、一歩一歩リズムを取りながら車椅子へと誘導。腰をおろさせる。
その後、車椅子が動かないようにブレーキをかけようとすると、指導(その他にもちょくちょく指導は入っていたが……)。“まず肘掛けをおろさなければ、お父さん倒れてしまいますよ”。自分、消え入るような声で返事。
そんなこんなで一通りの練習が終わり、最後十五分間の面会に入る。
父は喋ることができないので、あらかじめ紙とペンを用意して、そこで筆談のように話す。
日常会話はなく、退院後に必要なものの確認などを淡々とやり取り。
普通はもう少し、和気あいあいとした家族らしい会話をするのかもしれない。お前ら元気にやってるかとか、お父さん病院で何してるの? とか、他にも芸能ニュースの話とか、何でもいいが話していて花が咲くような笑顔のある会話を。
うちは中学の頃から、和気あいあいとした雰囲気で会話することがなかった。
父が帰ってくると、成績や将来のことなどで説教がはじまる。食べながら話を聞こうと箸を持つと、話をしているだろと怒られるので、せっかく作りたての料理が冷めていく。父は酒を飲み、おかずをつまむ。出来の悪い息子が酒の肴に丁度良かったのかもしれない。
そして一通り説教が終わると、父はパソコンでできる無料のゲーム(トランプ遊び)を無表情にし、母は仰向けになって天井を見上げてぼうっとし、自分は父のほうを見ないように(説教を誘発しないように)部屋の隅で押し入れのほうをむいて過ごしていた。
中学の途中からまた父が単身赴任で遠くに行き、母と二人の生活にはいると、羽を伸ばすようにずっとゲームをしていた。父がいない生活が当たり前になり、たまに帰ってくると家の中が窮屈になった。父もそれを感じてか、すぐ一泊か日帰りで赴任先に戻るようになった。
そして父が倒れるまで、ずっと二人と一人の生活をしていた。そのぐらいの距離感が丁度よかった。父がいる時よりも、いない時のほうがよく父の話をした。母とふたりで、父の悪口を言っている時が一番笑顔になれた。
もうすぐ父が帰ってくる。退院したら一杯やりましょう、とメールで書いてきたので、お酒を飲むつもりらしい。そういう言葉を聞けるのは嬉しいが、飲んで大丈夫なんだろうか? とても看護婦さんには訊けない。つまみ、お菓子(山崎のあんぱんとか、いちおう注文がある)、回転寿司(当然行けないので取り寄せるしかない)。いちおう用意するつもりだが、大丈夫だろうか? 退院早々救急車を呼ぶ羽目になってしまったら洒落にならないのだが……。