9月19日(金)
少し踏み込んだ重めの話になります。
また過去に何度も書いていた内容にもなります。
苦手な方はブラウザバッグを<(_ _)>
支援員の方と話し合いをするため事務所へ。
支援学校の用務員の求人があったので応募するつもりだったのだが、残念ながら埋まってしまい、新しい求人を探すことに。
障害者枠の合同面接会が十一月にあるらしく、そこに出ている求人(四十社近く)を見させてもらうことに。候補は支援員の方がある程度絞ってくれていて、介護施設の業務補助と、大学の労務職員。どちらもそれほど難しいことはやらないようで、自分にもできそうに思った。
面接会は予約制で、一会社につき十名までとのこと。早めに予約を済ませておくように言われた。
職種を選ばなければ、すぐに着ける仕事もあるとのこと。食肉流通センター(屠殺場)、警備、CADを使用する土木会社などが、それに当たるらしい。
屠殺場は、高校のときに見学に行ったことがある。派手な髪をした男の人が包丁を使って肉をさばいていたり、冷凍室に吊るされた豚? そのまんまの姿などが記憶に残っている。ラードなどは石鹸に加工するらしい。また動物を殺めるのは、勤続十年以上のベテランがやるとのことも聞いた。最後にお土産に肉のセットをもらった。
警備はよく見かけるが、大変そうだなと思う。ずっと派遣をやっていた人が年を取ってから仕事先が無くなって行ったりする、と支援員さんは言っていた。派遣は稼ぎが多いと聞いたことがあるけれど、正社員じゃないとそんなに苦しくなるものなんだろうか……。この辺はまだ遠い将来のことのように聞いていた。
CADは設計のためのソフトらしい。難しいらしく、半年以上びっしりやらないといけない、というようなことを支援員さんは言っていた。父は土木の仕事(橋の穿鑿? らしい)をしていたので、父に教えてもらえるかもしれないと軽く話してみたが、「ああ、でも会社によって使い方が違うかもしれないから教えてもらったやり方と違うと……」と摩擦が起きる可能性を示唆される。
まあ、そんなに難しいソフトなら自分に扱えるはずないだろうと思いつつも、少し思うところがあったので、後で帰ってから父(半身不随でベットに寝ている)に聞いてみると、父もできないということだった。「専門学校を出ていないと……」などと言っていたので、やはり難しいソフトらしい。
自分は理系の頭ではないし、頭もよくない。土木業界に飛び込むなんて勇気もあるはずがないので、物の弾みで聞いた程度の話ということで、これも当然不可能と流す。
仕事を探すのは大変なのだなと、改めて実感する形となった。
そんなことを相談しつつ、話の最後に、軽い脱線のような形で、自分の障害について訊いてみた。支援員さんから見て、自分はどういう病気・障害を持っているように見えるのか。
支援員さん曰く、ASD。自閉スペクトラム症とのこと。
・社会的コミュニケーションと相互作用の障害
他者の感情を読み取ったり、自分の考えを伝えたりすることが苦手。→△
目が合いにくい、表情が乏しい、人見知りをしない、一人遊びが多いなどの特徴が見られることがある。→△
・限定された、あるいは反復した行動・興味・活動
特定のものに強いこだわりを持つ、同じ行動を繰り返す(手遊び、回るなど)、特定の物や事柄に深い興味を持つ、など。→△
物事を特定の順番で並べたり、同じルートや手順にこだわったりする。→○
・感覚の過敏または鈍麻
光や音、匂いなどに過敏で疲れやすい。
触られることを嫌がったり、逆に特定の感覚が鈍い場合がある。→×
WEBで検索して出てきたASDの特徴に、自分なりに採点をつけてみた。
まず他者の感情を読み取るは、これはできると思う。知能検査をした時も、検査員の心理士の人に「発達障害の人は他人の感情がわかりにくかったりするんだけど、○○さんはそういう感じはないんだよね」と言われたので、恐らくこれは間違っていないのだと思う。ただ“自分の考えを伝えるのは苦手”(言葉で分かりやすく説明するのも、表情や態度で表すという情緒的な意味合いでも)は当てはまるので、△にした。
次に目が合いにくい、表情が乏しいは、残念ながら当てはまる。不意に自分の表情が鏡に映ったときなどに、自分が頭で思い描いていた表情と違っていたりすることがある。どうも、自分は感情にブレーキがかかっているらしく、それが情緒の乏しさにつながっているらしい。決して感情がないわけではないのだけど、それを外へ出す出力がないようだ。
昔からそうだったかと言うと、よくわからない。小学校の卒業アルバムでは満面の笑みを浮かべていた。人見知りではあったかもしれないけれど、一人遊びを好んだりする傾向はなかった。小学生までは普通に友達と鬼ごっこなどをして遊んでもいた。
特定のものに強いこだわりを持つ、同じ行動を繰り返すは、程度の差はあれど当てはまる。気に入ると、何度も同じセリフ(自分にしかわからない造語)を繰り返したり、そういう傾向は小さい頃からあった。
ただ、特定の事柄に強い興味を持つは、当てはまらない。たとえば電車が好きだとか、動物にすごい興味を持つとか、そういうことは全くなかった。なので、この項目は△にした。
物事を特定の順番で並べたり、同じルートや手順にこだわったりする。これは当てはまるので○にした。
光や音、匂いなどに過敏で疲れやすい。触られることを嫌がったり、逆に特定の感覚が鈍い場合がある。これは当てはまらない。雑音が多い場所は嫌いだけれど、それも許容範囲内ではないだろうか。自分はどちらかと言うと、物や音よりも、人疲れするタイプだと思う。
こうして自分で採点してみると、自分がASDであると言われて、すとんと胸に落ちるものがあるわけではないように思う。多少傾向はあるのかもしれないけれど、自分はもう少し神経症の方向が強いのではないかと……。自己診断はあてになるものではないけれど、病名がつくことで大事なものが隠れてしまう危険を、なんとなく感じるのだ。
明らかに自分に変化が起こったときのことは記憶していて、中学二年のとき、机に座ろうとして椅子を引いた時の動作を、不意に意識してしまった。そこから、カバンを机に置くこと、黒板を見ること、歩くこと、瞬きすること、など日常のあらゆる無意識に行っている仕草を意識してしまうようになった。“目を見ている”ことを意識すると、人の目を自然に見れなくなった。すべては意識から。意識の不自然な固着からはじまった。それが病気の原点(少なくとも自分ではそう思っている)。
小さい頃から罪業強迫のようなものはあり、人にけがをさせたり(間接的に)、空港で座っていたときに自分のものだと思って飲んだお~いお茶(だった気がする)が人のものだと気付きとてつもない恐怖感に襲われたり、物事をオーバーに受け止めてしまう傾向はあった。そしてそれが一年二年経っても頭から離れないということも。
だから“障害”は無くはないのだと思う。ただ、全てがすべて、ASDにまとめられるのかと言うと、個人的には疑問が残るのだ。
支援員さんも十年以上の勤務経験から、冷静な目で自分を見ているのだから、客観的に見ると自分はASD当事者なのかもしれない。でも、自分が考える自分というのは、病名や障害名で割り切って欲しくない、複雑な内面がある。そのことを知ってもらいたいのかもしれない。
自分は!や(笑)などの感情記号が苦手で、こういうものを使うと自分でないことをしている(簡単に言うと嘘をついている)ような感覚があるけれど、これも情緒的欠乏なんだろうか……。
感情が怖い。
恥ずかしいは障害?
久しぶりに書いてすっきりできました。




