6月5日(木)
今日母と話していた時に、ふと自分の顔を鏡に写っているのをみたら、喋っている間の自分の表情の動きのなさに驚いてしまった。
少し目を細めてはいるけれど、それ以上の普通の人がしているような表情の動きがあまりない。もっと表情を変化させながら話しているのだろうと思っていたのでショックを受けてしまった。
そういえばこの前支援員の方と面談をした時も「表情が豊かになってきた」と言われ、その言い方に少し引っかかるものを感じていたのだが、やはり自分で思っているほど人並みに表情筋を動かせていないのだ。
緊張しているとき、自分は表情筋が強張ってしまう。なにか自分の心に重石がのっかっているような感覚があって、それが表情をつくることに対して邪魔になっているようだ。
それはやはり障害のせいなのだろうか? 知能検査を受け、各IQに開きがあることから発達障害の傾向があると言われているが、しかし昔はもう少し自然に笑ったりできていたような気がする。昔からこうではなかったと思うのだ。
それとも自分で気づかなかっただけで、もともとこういう傾向はあったのだろうか。
自分自身で表情をつくることを意識してしまうと、よけいに動きがぎこちなくなってしまう。
自分でこじらせてしまっている部分もあると思う。
恥ずかしいというのは、障害なのだろうか?
緊張するのも、障害のせいなのだろうか?
人並みに感じたり、考えることはできるのに、それを表情や仕草で表現するのが苦手なのだ。
障害ならば、これはずっと続いていくのだろうか。それとも年を取れば"人並みに"表情豊かになってゆけるのだろうか。
今朝はそんなことばかり考えてしまった。
最近は日記の書き方にも悩みはじめてきた。
なにを書いても父の悪口になってしまう。日常の些細なことをできる限り記録することで"大変だった"という感情をそのまま残して置きたいと思ったのだが、どうも上手くかけておらず、結局不幸自慢のようになってしまっている。
個人の日記ならともかく、いちおう不特定多数に見られる場所なので、あまり病人の悪口を書くのもどうかと思うし。
日記というのも難しいものだと思う。
父の破いた通帳や折り曲げたカードの再発行の手続きをする。
ただ本人が銀行に行けないため、なかなかスムーズにことが運ばない。
また傷病手当の振り込まれる銀行も変更してほしいとのこと。自分たちにお金をいじられたくないらしい。そのための新たな口座開設を頼まれた。本当に馬鹿馬鹿しい。だったら自分で介護タクシーで行けばいいのに。




