5月6日(火)
小学校から使っていた机を処分するため、なかのものを全部出して整理することに。
本は段ボール一箱分くらいになった。ほかには、前の会社の給料明細や、退職したときにもらった寄せ書きなどは捨てることに。ろうきんの通帳も解約済みとあったので捨ててしまう。
コンバス、三角定規は捨てる。鉛筆は「文具は祖母が欲しい」と母が言うので、取っておく。あとは蛍光ペン、付箋、小学校のときにもらった卒業記念の重石はポイ。前のパソコンのパスワードが書かれた紙、ポイ。その他契約書っぽい紙、ポイ。手錠、コンドーム、電マ(バイブ?)、覆面マスクは取っておく。などなど、etc。
三年前から書いていた日記も、最初は捨ててしまおうと思ったが、ちょうど母の精神が不調だった時のことが書いてあるので、やはり取っておくことにする。読み返してみると、あの頃結構大変だったんだなと感慨深い気持ちになる。
母は調子が悪くなると、突拍子もないことを言いだしたりする。たとえば日記にはこんなことが書いてあった。
――昼休みに母から「お金をユニセフに寄付する」と電話があった――
そういえばそんなこともあったなと思い出す。会社の休み時間に車のなかで休んでいると母から電話がかかってきて、情緒不安定な様子でそんなことを話していた。
このときは父方の祖父に対する妄想が強くて、金銭的な援助を受けられると錯覚している節があった。「○○(町名)にプールをつくる」とか、そんなことも言っていたのを覚えている。怖いのは、当然そんなことしないだろうとたかをくくっていたら、本当にお金を持ってきて突発的な考えを行動に移すことで、そんなことないだろうと思いながらもどこか安心できない気持ちだった。
実際、お金がどうにかなる範囲では、煮物をするといって使いきれないくらいの大量の野菜を買ってきたり、また箱で飲料水を買えるだけ買ってきて、部屋のなかを足の踏み場もないほど(比喩でなくほんとに)ペットボトルだらけにしたりと、そういうことが以前あったので、躁っぽいときの母は気分でなにをしでかすかわからないのだ。
このとき、ちょうど連動して自分の心も不安定で、初めて心療内科に行ったときのことや、本当に調子が悪かったときの気分や感覚などが書き残してあったりした。
――心の中の柵が全て壊れているような状態――
――母の言葉に、「うん」と相槌ちをしている自分に気付く。こんなことは今までなかった――
最後の言葉は、自分でも最初意味がわからなかったが、読み返しているうちになにを言いたいのかがわかった。この感覚は、同じ経験がある人でないと伝わらないかもしれない。ただ自分が書きたいものの原点でもあるので、将来的にはうまく表現できたらと思うのだが。
日記もそうだが、ものの整理をしていると忘れていたものがひょっこり出てくる場合があるので、あながち面倒くさいだけでもないのかなと思った。




