9. ツケは、ほどほどに 《空港 編 1》
新幹線の中で、覚子が、つまみ食いを楽しんでいた頃、世眠も又、獲物を見つけていた。
「あれ………もしかして、ゲームか?」
世眠と同い年くらいの男の子が、母親らしい女の傍に立って、熱心に四角い何かを触っていたのだ。
「スマホだ!!!あれで、ゲームも出来るんだ!」
先週、老舗焼鳥に来店した若い男の生霊が、持っていたのだ。
歳は、二十代後半だったが、店主の五老次郎と仲良く話し込んでいた。
天井に浮遊していた世眠は、しっかりと、それを見た。
そして、しっかりと聞いたのだ。
「僕のアパート、ペット禁止なんですよ。それで、動物ゲームで癒されてるんです。これが、また可愛くってね。見てみますか、おやっさん」
そう言って取り出した黒いスマホを、世眠は目に焼き付けた。
「へえ、こりゃあ、驚きやした。色んな動物がいやすねえ」
「ね、可愛いでしょう?え、これですか?スマホって言うんですよ」
世眠が、ゲーム好きになったのは、一年前店に来た酔っ払い生霊の影響だが、浮雲九十九番地には、ゲームの記憶を売っている店なんてない。
酔っ払い生霊にゲーム機を貰ったが、やり方が全く分からなかった。
それで、今回の下界実習は、ゲーム好きな人間の記憶を食べまくる!それが世眠の目標だった。
五香松先生の言葉、実習中の規則は、端から守るつもりが無い。
(何百点引かれたってかまうもんか。俺は、跡取りになりたくねえから、勉強しねえって決めてるからな。今回は、ちょうどいいぜ。へっへ~んだ!)
意気込んだ世眠が、男の子の傍まで低空飛行して辿り着き、懐から防霊試験管を取り出した時、
「え、西助!?」
世眠の視界に、見知った男子が映った。
「何でいるんだ?まだ三時半だぞ?」
日華門から下界まで、普通の児童の飛翔速度では、最低でも一時間かかる。
遅い子は二時間を要する。
世眠たち三組は、皆30分あれば着く。
しかし、児童の出発時刻は、三時。
そして、おそらく、世眠たちを待って、出発は遅れた筈。
「ぜってぇ、おかしい。あの神経質なばーさんが、俺たちを置いて、即出発にはならねぇ筈だ。最低でも二時間は待つだろ」
因みに、世眠の言う神経質なばーさんとは、教頭先生を指す。
「いくら何でも着くのが早いぜ。うん?誰だ、あいつら………」
気付くのが遅いが、西助は、大柄な馬面の男に背負われていた。
百八十センチは裕に超えている。
その男の前を、連れらしい小柄な美人が歩いていた。
「にし」
世眠が声を上げかけた瞬間、
「ぐっ!」
木綿のハンカチで口を塞がれ、世眠は動きを封じられた。
「うぐっぐっ!」
逃れようと暴れたが、無駄な足掻きだった。
力強い両腕で、包み込まれるように押さえられている為、右にも左にも自由がきかない。
「ほんと、毎度毎度しでかしてくれるわ」
「??」
聞き覚えのある声に世眠が顔を上げると、目が合ったのは、見知らぬ黒髪の、いや、見知った美女だった。
関空の女子トイレ、バリアフリーの一室で、世眠はグルグル巻きにされていた。
「何で若いの、お冬さん!」
一刻も早く逃げ出したいが、相手が相手だけに、そうもいかない。
「逃げ出そうなんて考え、持たない方が賢明だよ。金輪際、ツケで食べさせないからね」
脅しをかけられ、引っ張り込まれて、便座に正座させられた。
その際、叱責を受けた。
「その白いスニーカーもお脱ぎ!実習中は、黒い下駄の筈だよ!どうせ、階段を降り終えてから履き替えるつもりだったんだろ?」
図星だったので、世眠は何も言わなかった。
大人しく脱いだ途端、グルグル巻きにされていた。
「この荒縄は、浮雲内の全妖怪に聞くんだよ。もちろん怨霊にも悪霊にも使えるからね。重宝されてるんだ」
腕組みをする『夜桜』おかみは、普段とまるで違っていた。
最初、本人だと信じられなかった。
「本当に、お冬さん?」
木綿のハンカチを口から外して貰った後も、半信半疑だった。
「信じられないかい?ヨン坊」
「!お冬さんだ!正真正銘の!お冬さんだけだよ、そんなダッサイニックネームで、俺を呼ぶのは。聡子さんだって、呼ばないよ!」
お冬は、変なあだ名を付けることで有名なのだ。
「あの螺旋階段を使ったのは自明だね」
声が若いと印象まで変わる。いつもより迫力があった。
光沢のある短い銀髪は、黒い長髪に変わって、白Tシャツに茶色い半スカート。
二十歳は若く見える。否、実際、若いのだ。
身長だけが百七十で、変わらない。
「さあ、はいて貰おうかねえ、どっちが言い出しっぺだい?」
世眠は、下手に尻尾を出さないように、真一文字に口を結んだ。
世眠なりの抵抗である。
しかし、勝てるわけがない。
「これまでの膨大なツケの件、喋っていいかい?チョコちゃんに」
「母ちゃんには言わないで!テストの点なら言ってもいいけど、お金が絡むと怒られるんだ!」
「………分かったよ。テストの点なら言わなくたって、皆知ってるさ。あんたが、わざと勉強しないって事もね………さあ、どっちだい?」
「俺」
「三の嬢ね」
「違う!俺が言い出した。カッコに見せてやろうって」
前のめりになりながら、世眠は、説明に奮闘した。
「カッコは人間だったから。雲の螺旋階段なんて珍しいだろ?それに、日華門からの出発は、飛びながら降りるんだよ?」
「飛行訓練してるじゃないか」
「でも、カッコは見習いだ。俺らと違って生粋じゃない。言わないだけで、飛行が怖いんだ。なのに、かわいそうだろ?」
お冬の口元が綻んだ。
「そう、三の嬢が言ったんだね?」
「!違う!」
「じゃ、クコ姫が、あんたに打ち明けたのかい、怖いって?」
「それは、三宝から聞いて」
急に説明がたどたどしくなり始めた。
「俺が、こっそり、綿密に計画を立てて」
「ヨン坊」
お冬の両目は、全てを見透かしていた。
「嘘はよくないね。三の嬢が画策したんだね?」
「違う!俺が」
「あんたの短所は、楽観的思考と発想だ。長所は大胆な行動力。入念なプランを捻り出せるタイプじゃない」
「俺だって、捻り出せるさ」
「聡子も私も忘れられないよ。あんたたちが引き起こした【月取り大波乱】。名月の度に思い出すのさ。あの大事件後、あんたたちは、あの螺旋階段へ続く道を探し当てた。そして、通れるようになったんだ」
世眠は、うんともすんとも言わなくなった。
五歳の頃の大失態に触れられて、完全に拗ねてしまった。
「あんたが、クコ姫に気があるのは知ってるよ」
世眠の両頬が、ボンっと赤くなった。
「ちっ、ちがっ」
「でも、好かれてない」
違うと言えなかった。世眠は、自覚があるのだ。それで、哀愁を漂わせた。
「あんたが誘っても、あの子は付いてかないよ。あんたは、スカート事件と、長髪事件で、随分嫌われたからねえ」
世眠のガラスのハートに新しいヒビが入った。
それでも、最初の主張だけは変えなかった。
「言い出したのは、俺だ。三宝は悪くない!」
三宝が覚子を禁断の道に誘った事実を、白状しない。
「変わらないねえ、あんたたちは」
お冬が、五重縛縄を解いた、それも一瞬で。
電光石火の早業に、世眠は、ぽかんと口を開けた。
「結構好きだよ、そういうところ。確かに、名コンビだよ」
お冬が、にんまり笑った。
「取り調べは終わり?」
世眠が、顔色を窺うと、五重縛縄を手渡された。
「これまでのツケを、ちゃらにしてやってもいい」
「えっ、それ、ほんと!?母ちゃんにも言わない?」
「ああ。言わないよ」
「やったー!!ありがとう、お冬さん」
世眠は、両手を挙げて喜んだが、その瞬間、お冬が黒く微笑んだ。
「私の仕事を手伝えたら、の話だけどね」
「えっ、お冬さんの仕事って、まさか」
「そう、奉公屋の手伝いさ」
「えええっつーー!」
「上手い話にはご用心!肝に銘じな!」
「はい………」