8. 第二の運命階段と、別々に着いた場所
実習中、児童たちは皆、紫の着物で、柄は、ピンクの撫子です。
帯は黄緑色で、いつでも脱げるように緩めています。
着物の下には、自分の好きな薄手の服を着ています。
悪意ある妖怪に出会った時、帯を解いて、着物を投げつけられるように。ちょっとした時間稼ぎです。実習前に授業で練習しています。
着物の丈は、飛翔し易いように、短めです。
闇に溶け込む黒い下駄は、敵の目玉に向けて飛ばす為です。
これも、練習済みです。
お騒がせ名コンビの世眠と三宝は、五歳の時に発見した【雲影滄瀛・螺旋運】という、水色の雲で出来た螺旋階段を使って下界に降りた。
この階段は、別名【第二の運命階段】と呼ばれる。
摩訶不思議な運命か、【雲影滄瀛・螺旋運】で降りるイコール【日華門】の通過だ。
お手軽な話だが、この階段へ続く道には、誰も踏み込めない。
何らかの結界が張られているようで、切れ者と謳われる浮雲小学校の七代目校長・四条流 七でさえ、侵入できない道だ。
それなのに、お騒がせ名コンビだけは、労せずして入れる。
そして、今回は、覚子も同じ道に入り、階段まで辿り着いた。
それは、西助が家を出た時刻と、ほぼ同じだった。
「本当に大丈夫?三宝ちゃん」
覚子は、瞬きもしないで足下を見つめた。
螺旋階段は、途轍もなく長かった。降り位置が見えないのだ。
「安心して、カッコ。二羽さんは、私の味方よ。下界のスペシャリストなの、隠蔽工作のね」
三宝が、ウインクすると、覚子は項垂れて呟いた。
「安心要素が無いよ………」
【雲影滄瀛・螺旋運】は、長いだけでなく、降りる箇所が幾つもあった。
「最初の一歩を、読み誤っちゃいけないの」
「どうして?」
「死ぬからよ」
「ええっつ!!」
脅しでも何でもない。
右を選ぶか、左に行くか。或いは右斜め下か、左斜め下か。
正しい道は、その日によりけり。
選択を誤れば、降りる途中で、雲の螺旋階段が影になって消える。
或いは、雲の下が滄瀛(大海)に変わってドッボン!
どちらも同じく、下界まで一直線に落下する。
刹那のハプニングで飛翔する余裕もない、まさしく運命。
故に、付いた名が、【雲影滄瀛・螺旋運】。
実は、恐ろしい螺旋階段なのだ。
それを聞いた覚子は、足がすくんだ。
「心配しないで。私が、先に降りて確認するから。私、運がいいの」
「や、やっぱり。戻ろうよ。三宝ちゃん」
覚子が一歩下がった時、二人の後ろにいた世眠が名乗りを上げた。
「先頭は俺が行く!左を降りるぜ。おまえら、付いて来い」
幼馴染の処決に、三宝が、ぎっくりした。
「ま、待ちなさい!右よ、右!」
「絶対に左だ!」
「正気なの、世眠?あんたは、運が悪いのよ」
「それは、お前だろ。迷子になるなよ、三宝」
三宝の忠告を無視して、世眠が一段飛ばしで一歩を踏み出した。
その瞬間、世眠の右足が影を踏んだ。
「世眠くんっ!」
直下した世眠を見て、覚子は目を剥き、両手を伸ばして踏み込んだ。
「カッコ、ダメっ!」
仰天した三宝が叫んだ時には、遅すぎた。
覚子の踏んだ影は、世眠と違って大海に続いた。
二人は別々に、真っ逆さまに落下したのだ。
「カッコーー!!」
階下から水しぶきの上がる音がした。
(カッコが、世眠を助けるなんて………)
色んな意味で驚愕したが、はっと我に返って急ぎ後を追った。
しかし、螺旋階段は、すっかり元通り。
瞬く間に水色の雲に戻って、降りても降りても、二度と影にも大海にも変化しなかった。
運命よって引き離された。これが、三人の下界実習の始まりとなった。
そして、引き離された原因をつくった世眠は、空港内のとある一角で迷子になっていた。
「どこだ、ここ………人間しかいないな。当たり前だけど………」
天井を浮遊しながら、心もとない気分に浸っていた。
見下ろす限り、人、人、人………まるで人の波だ。
下界は、今日がGWの初日。
そして、今年の五月一日は、土曜日だった。
「はあ………三宝が悪いんだ。あいつ、しょっちゅう迷子になるからな」
螺旋階段から落ちたのは世眠の方で、獲物の先(ステイ先)へ辿り着けなかったのも、自業自得である。
しかし、世眠の中では、『自分に付いて来なかった三宝が、迷子になっている』そういう認識なのだ。
世眠が、幼馴染に悪態をついていた頃、京都駅に降り立った三宝も、幼馴染に憤っていた。
「あのバカ!だから言ったのに!私が先に降りるって!それなのに、先頭は俺が行く!なんて、かっこつけるから!」
おみやげコーナーに移動した後も、三宝は、喚き続けた。
「私は、右って言ったのよ!なのに、世眠が左に行くから!カッコが、下界の海に落ちたじゃない!」
極度の興奮によって、三宝の目は、茶色から銀色に変わっている。
頭には犬耳が生えていた。
三宝の母親は、出身が三十五番地の狼族。
次女で、第四子の三宝だけ、この血を受け継いだ。
「どうしてくれるのよ!世眠のアホ―!ド馬鹿―!!」
銀色の瞳が、ぎらぎら光っていた。
そんな幼馴染の憤怒の形相など知る由もない世眠は、仕方なく床に降り立った。
「でっかい寺なんか、どこにもないぞ?おかしいな、イメージした場所へ着く筈なのに。それぞれの獲物宅へ行く前に清水寺へ寄って観光しようって三宝が言うから、わざわざ【雲影滄瀛・螺旋運】で降りたのに。カッコも来てねえし。迷子が二人だ。ったく、世話が焼けるぜ」
保持妖怪は、飛行を得意とする。
関空の天井は、彼らにとって低いうちだ。しかし、実習中は規則がある。
『 その壱、ホームステイ先(無断で居候する獲物宅)の近辺だけ飛翔を許可する。
他は歩く事!
その弐、飛翔高度は、三・九メートルとする。
その参、獲物が移動する場合は、同行を許可する。その際の最高飛翔高度は、九・九メートルとする。
これを破った者には、マイナス五百点を与える!』
人に姿は視えないが、ぶつかると普通に衝撃はある。
「いてっ!」
世眠が、でぶっちょのおばさんに、靴を思い切り踏まれて呻いた時分。
半狼姿の三宝が吠えた、ちょうどその頃。
覚子は、下界の海に浮かんでいなかった。まして、沈んでもいない。
新幹線の、駅のホームに立っていた。
世眠と同じく、到着場所が、イメージ場所と繋がらなかったのだ。
故に、清水寺に着かなかった。
理由は分からないが、はぐれてしまったのは事実だ。
先生たちの助けを待つのは、色んな意味で難しい。絶対に、罰せられる。
一人で怒られるのは、さすがに怖い。
(自力で二人を見つけなくちゃ)
覚子が、焦った時、アナウンスが流れた。
「………番線に、二時三十分発、東京行きのぞみが参ります。白線まで御下がり下さい」
所は、新神戸。入って来る新幹線を黙って眺め、覚子は即断した。
「無料で東京に行ける!ラッキー!」
今の覚子は、(見習いの)保持妖怪。人間ではない。タダ乗りが可能だ。
というわけで、るんるん、うきうき、満面の笑みで乗車した。
更に、お弁当を広げるサラリーマンに目を付けた。
少し神経質そうな顔つきで、歳は三十路くらい。
通路側に座っていた。
「柿の葉ずしだ。食べたいなあ」
ふと、覚子の脳内に、五香松先生の厳しい声が蘇った。
『いいですか、皆さん。実習中は、自分の獲物以外の記憶を食べてはいけません。無断飲食の罰則は、一回につき三百点です。盗み食いしないように!』
この薄毛のサラリーマンは、覚子の獲物ではない。
しかし………覚子は、懐から、実習用の腕時計を取り出して、右腕に付けた。
それは真鍮で出来ていて、三日後には集合時間を知らせてくれる。
いざという時は、通信鏡の役目も果たす勝れものだ。
「まだ、三時になってないから。実習開始まで、時間あるから。今は時間外だから。ちょっとぐらい、いいよね?」
この言い分は、明らかに屁理屈だ。
お騒がせ名コンビの影響を大いに受けて、優等生も逞しくなりつつある。
覚子は、防霊試験管を懐から取り出して、サラリーマンの真横に立った。
人の記憶を盗むのは簡単だ。頭に触れるだけでいい。
ポンっと叩けば、記憶が頭から風船のように飛び出して手に収まる。
一旦、それを防霊試験管に入れ、修福コルクで閉めて、逆さにして取り出す。
そうすれば、柿の葉寿司が、キュッポンっと出てくる。
そんな仕組みだが、食感も味もしない。
生前が人間だった覚子には、本物とは言えない。
(記憶を食べるんだから。人間が食べた記憶の味が、脳に伝達するんだよね。舌で味わう事は、もう出来ない。だって、死んでるんだから………)
覚子は、サラリーマンが食べ始めるのを待ってから頂いた。
こうして、東京に着くまでに、(既に三時は過ぎていたが、)覚子は、遅めの昼食をとる人間たちの記憶を盗み食いして、たっぷり堪能したのである。