7.塞翁が馬
2話だったのを、1話にまとめて、投稿時に省いた箇所を全部入れました。
毎年、児童の下界出立は、五月一日の午後三時と決まっている。しかし、今年は二時間遅れとなった。
「遅刻!?それも四名!?」
浮雲小学校の校庭で、教頭先生の悲鳴が上がったのは、午後二時二分。
「午後二時、集合。二時二十分、保護者集合。二時半に児童宣誓、二時四十分に日華門へ移動。三時出発!そうお伝えした筈ですけどねえ、五香松先生?」
一組と二組の児童たちは、お喋りもせず、息をひそめていた。
三組の児童だけ、我関せずの姿勢で楽し気に喋くっていた。
「ねえ、どうして、鳥取って言うの?鳥がいっぱい取れるから?」
「馬鹿ねえ、町が羽だらけになるじゃない!」
「じゃあ、香川は何だよ。香り付きの川ってことか?」
「そんなの、知らない。川は匂いなんかしないでしょ?」
「人魚って川にいる?」
「確か、海に住む魔物のことよ」
「ねえねえ、下界の季節は、統一されてる?私、京の桜を見てみたいな~」
「淡道さん、あなたの獲物、北国に住んでるんでしょう?今の季節に桜なんて咲いていないわよ」
学級委員長の天童羽稲が指摘し終わった所に、教頭先生の雷が落ちた。
「おだまりなさい!!」
場は一瞬で静まり返ったが、教頭先生の血圧は鎮まるどころか、急上昇している。
「あなたたち六年三組は、ふざけが過ぎます!一体どのような指導をしているんですか?五香松先生!!」
校庭に響き渡ったキイキイ声………それから、二時間が経過しても、子供たちは現れなかった。結局、四名を残して下界に降りる事となったのだ。
教頭先生が、校庭で血圧を上げていた頃、浮雲小学校の校庭が色んな意味で賑わっていた頃………遅刻者四名は、既に日華門を通過していた。
三宝、世眠、覚子は、何とか生きて下界へ到着した。
だが、西助は陰謀に引っ張りこまれて、遅刻したのだ。
西助が、家を出たのは午後一時前だった。
「見送りなんか、せんでええよ。体、気いつけや~。ほな、行ってきまーす!母ちゃんも頑張り~」
身重の母親に暫しの別れを告げ、幼馴染の水南と水芹を迎えに行く予定だった。
しかし、家を出てすぐの十字路で、蹲る老妖怪を見つけた。
「大丈夫かいな………」
西助は一瞬迷った。
水南は気が短く、遅れようものなら直ぐに癇癪を起す。そうかといって、見て見ぬふりは気が咎める。
薄汚れた外衣を、すっぽり被っていたが、ちらりと見えた細長い指で女性だと分かった。
「ばーちゃん、立てるか?手、貸そか?」
心配して声を掛けると、老妖怪は、何か、ぼそぼそと何か喋った。しかし、聞き取れなかった。
「へ?何て?すまへん、もういっぺん、言うて?」
律儀に謝り、身を屈めようとした時だった。
「うっ!」
いつ背後に立ったのか分からない。気配を全く感じなかった。
覆面頭巾を被った大男が、太い右腕で、西助の首を締めあげた。
「命がおしいなら、抵抗するなよ。何なら、おまえの母親を殺してやってもいいんだぜ。へっへっへっ」
石蕗家は、閑静な住宅地に建っている。しかし、西助が今いる道は、ちょうど死角だ。どの家からも見えない。
西助は、男の腕の紋所に気付くと、ぎょっとして青ざめた。
「あ、ずち………」
「へっつ、このガキ、いっちょ前に知ってらあ」
男のだみ声は、西助を一瞬震え上がらせた。
山形の紋様は、刺青のごとく浮かび上がっていた。
それは【怨霊の一族】の証で、右腕にある者は、妖怪専門の呪詛者だ。
西助が、これを知っているのは偶然だった。
クラスメイトの淡道翠露の親戚に、【怨霊の一族】がいるのだ。
以前、写真で見せて貰った事がある。
「ねえねえ、見て、これー」
「??何や、墨絵か?」
「【怨霊の一族】の証なの~」
「ほんまなん?」
「これが、右腕にあるとー、妖怪専門の呪詛者~、左腕にあればー、人間専門の呪詛者~」
「ちょお、待ちい。おかしいで。妖怪相手に、効くわけあらへんやん」
「効くよ~。だって、怨霊の一族は、古来妖怪だもーん」
「説明になっとらんがな」
「両腕にある怨霊もいるんだって~」
「どっちなん?人呪うんか?」
「うーん、忘れちゃった~」
「いっちゃん、大事なトコちゃうか」
「この紋章、特別な呼び名があるの~」
「何や、山マークか?」
「やっだー、センスわるーい。ええーと、確か~」
―--垜---
西助は、右手をぎゅっと握りしめた。
呪詛実行中の際は、山形の紋様の下に、弓形の赤い月が現れるらしい。
それが、少しずつ満ちて完全な丸に変われば、呪詛完了である。
男の紋様の下には、歪な半月があった。
(翠露の話やと、怨霊の一族は、変異妖怪。わいら子供の保持妖怪が、一人で何とか出来る問題ちゃう、普通はな)
大人の保持妖怪は、怨霊の一族を簡単に凌駕ができる。
そして、六年三組の児童も皆、凌駕する術は、翠露のおかげで修得済みだ。
落ち着いて考えれば、一人でも十分切り抜けられる。
ただ一つ、問題があった。
(わい一人なら、隙を狙って逃げるのも、反撃すンのもありや。けど、うちには母ちゃんが………)
身重の母親は、後二か月で出産だが、父親は下界に出張中。
下手に騒げば、消えるのは大事な母と新しい命だ。
「そう、大人しくしてりゃあ、殺しゃしねえよ。奴さん、二重トラップだけじゃ心細いってんでね。おまえさんを」
男が話し終える前に、老妖怪が立ち上がった。
「おだまりよ!喋りすぎだよ、おまえは!」
外衣を脱ぎ捨てた老妖怪は、びっくりするほど若く、その上美しかった。
(仲間やったんか………)
西助は、悔しさで顔をゆがめた。
「早いとこ、アレを飲ませちまいな」
小柄な女に命令されて、大男が、へこへこしながら小瓶を懐から取り出した。
深緑色の液体にぎょっとして、西助は慌てて口を結んだが、いとも容易くこじ開けられて、中身を流し込まれた。
必死に吐き出そうとしたが、男の毛深い両手で口を押えられて、その液体は喉を通った。
そうして、西助は、三秒も経たぬ間に眠ってしまったのだ。
「用意周到なことだよ」
女が、空になった小瓶を見て呟いた。
「義姉さん、これが上手くいったら、俺と一緒に」
皆まで言わせず、女は義弟を顎で使った。
「行くよ、早くしな!しくじったら、あたいらが、殺されちまう」
強力な睡眠薬を飲まされた西助は、本人の知らぬ間に日華門を搔い潜った。馬面の大男に担がれて………。