4.酔っ払いの生霊
酔っ払いの生霊、3話に分けていたのを、まとめました。
カクヨムで修正したのを投稿します。
それは、ちょうど一年前の晩。
老舗焼鳥の暖簾を、一人の酔っ払い生霊がくぐった。
そのサラリーマンは、よれよれの青いスーツを着てグレーのネクタイを緩め、店に入る前から、べろんべろんになっていた。
人間の、下界の飲み屋を何軒梯子したのか。
酒の味も分からないようで、五老次郎が出す水に文句をつけなかった。
浮雲九十九番地にも、記憶ではない飲食物がある。それが、水だ。
次郎は、生霊を心配して、天然水と記憶焼鳥を交互に出した。
「そりゃあ、辛かったですねえ、お客さん」
次郎に愚痴る酔っ払いは、気の毒な生霊だった。
最愛の妻と息子を震災で亡くしたばかりで、ずいぶん荒れていた。
「辛かったなんて………そんな………そんなもんじゃあねえよ、おやっさん。ぼかあ、これから、どう生きたらいいか………うっうっうう………」
世眠は、そこへ偶然いあわせたにすぎなかった。
平生は姿を隠す。いくら阿呆な生霊も、夜の飲み屋に子供がいれば怪しむからだ。
しかし、今夜の客は、その心配はなさそうだと踏んだ。それで、席を変えなかった。
世眠には、人間を案じる義理などない。
いつものように、生霊なんて面倒くさいと感じたし、可哀そうにも思わなかった。
だから、絡んできたのは、酔っ払いの方だった。
「君は、小学生か?」
声を掛けられた瞬間、世眠は鼻を摘まんだ。
「お酒臭いよ、おじさん!おじさんは、生霊なんだから、さっさと下界に帰りなよ。布団のことでも考えたら、すぐ着くから!」
酔っ払いを思いやって出た言葉ではない。世眠は、心底、関わりたくなかった。
しかし、酔っ払い生霊は、少年の優しさに感動した。
そして、涙を流して、世眠に抱きついたのだ。
「ちょっと、おじさん、放してよ!」
世眠が、慌てて身をよじると、酔っ払いは突然絶叫した。
「うっおおお!!申美、隆、俺だけ置いて、なぜ逝ったーー!?」
これには世眠も心底たまげた。
酔っ払いが号泣し始めたものだから、心優しい少年は、不承不承、泣き言に付き合う羽目になった。
酔っ払いの腕の中、強烈な匂いを我慢して。
自分の分の焼鳥を、どうにかこうにか脇へ寄せ。
最高に不快な晩だった。けれども、許容の範囲に思えたのだ。
老舗焼鳥を訪れる生霊の大半が、二度と来ることはないからだ。
しかし、その生霊は、翌晩も藍色の暖簾をくぐった。
「やあ、君、今夜もいるのか」
「おじさん、馬鹿なの?さっさと下界に帰りなよ」
世眠は、ずばり言ってやった。
余程の理由がない限り、保持妖怪の子供は、生野菜の記憶を食べられない。
カレーの具に入った人参など、調理したものなどは口にしても良い。
これは決まり事で、好き嫌いの問題ではない。
「おじさんは、人間だから何でも食べられるだろ?生きてる人間は、ここに来ちゃいけないんだ。人の道に帰りなよ」
老舗焼鳥の常連だけあって、世眠も心根が良い。
初め、馬鹿だと罵って、さっさと追い返そうとした。
しかし、寂し気に笑う生霊を見ると、今すぐ帰れ!と強く言えなかった。
仕方がないから黙ってカウンターに戻ると、その生霊は、図々しく隣に座ったのだ。
「隆は、君と違って、昔から体が弱くてね………」
「ねえ、ちょっと!俺、食べてンだけど!」
急に昔話が始まって、世眠は肩をすくめた。
抱きつかれないだけマシだと諦めて、焼き鳥をぱくつく合間に、時折「へえ」や「ふ~ん」「はあ」と相槌を打ってやった。
空の皿が二十枚に達した時、ようやく長話に終わりが見えた。
「隆の嫌いな野菜は、ピーマンでね。ミニトマトも、よく残してた」
「ふ~ん、俺は保持妖怪だから、生野菜は食べられない」
何となく言ったら、生霊は、急にお父さん面をして言った。
「君、好き嫌いはいけないよ」
それで、世眠は仏頂面で言い返した。
「俺は、保持妖怪だから、人間の記憶しか食べないの!色々、細かい規則があンの!おじさんは、人間だから何でも食べられるだろ?生きてる人間は、ここに来ちゃいけないんだ。人の道に帰りなよ、おじさん」
「君は、若いのにしっかりしてるな」
「おじさんが、ふらふらしてるんだ。お酒の飲みすぎさ。しっかりしなよ」
「ははっ、これは手厳しい」
「俺だって、毎日、宿題出されて忙しいんだぜ。おじさんも、家に帰って頑張んなよ」
幾分か情が移って、世眠は自分から尋ねてしまった。
「隆って、何が好きだったの?」
その質問で、生霊の目が輝いた。
「ゲームだよ!」
嬉しそうに再び語り始めたが、あまりにも生き生きと話すものだから、世眠も引き込まれた。
「げえむって、そんなに面白い?」
「面白いに決まってるじゃないか!君は、ゲームを知らないのか?」
「ふんっ!妖怪が、げえむなんて、するわけないだろ!」
世眠が、そっぽを向くと、生霊は楽し気に笑った。
「じゃあ、明日の晩、持って来てあげよう」
約束の晩、生霊は現れなかった。
「げえむの事は、諦めなせえ。あの生霊は、来やせんぜ。ここへ来られるのは二度まで。三度目は、ねえんでさァ。それが、あっしらと生霊の為ってもんですぜ」
五老次郎が気遣ってくれたが、別に、世眠は寂しくなかった。
ほんのちょっぴり、がっかりしたような、残念な気持ちが残っただけだ。
しかし、その一か月後、老舗焼鳥に驚くべき物が届けられた。
配達の経緯に関しては、世眠がどれだけ尋ねても、次郎は口を割らなかった。
「鼠小僧の落とし物と思いなせえ」
青い包装紙を破ると、中身はオレンジ色の箱だった。
それで、すぐにピンときた。
「げえむだ!」
長方形の箱を開けると、ぴかぴか光る細長い物体が出現した。
「ほう……あっしも初めて見やした。人間てえのは、不思議な物を考える生き物だ」
次郎も目を細めて見入った。
「うん、人間って面白い。俺、下界実習で、げえむ上手いヤツの記憶、うんと食う」
「そりゃ、妙案ですぜ」
泣き上戸おじさんからの贈り物、世眠は、それを勉強机の最奥に仕舞い込んだ。
青い包装紙は丁寧に折り畳んで、オレンジ色の箱には、白いメッセージカードを入れた。
カードには、不器用な字で、こう書かれてあった。
『優しい妖怪くんへ
おじさん、しっかり頑張ることにしました。
妖怪くんも、学校の宿題を頑張ってください。
追伸 トマトのアイスが、おススメです。
元気を貰った桃太郎おじさんより』
その晩、世眠は、布団の中で呟いた。
「おじさんの愚痴、もう一回くらいなら、聞いてやるか………」
下界の奉公屋に頼めば、きっと探してくれるだろう。
「五老さんは、誰に頼んだのかな………」