三宝の大苦戦 覚子《かくこ》が心を開くまで 後編
翌日の昼過ぎ、急に天気が崩れて、下校時刻には、ざあざあ降りになった。
ほとんどの児童は、教室に置き傘があって、ない児童は、友達と相合傘で帰った。
けれど、傘を忘れた覚子に、友達はいない。
妖怪の子供と、そう簡単に打ち解けられるものではなかった。
「私は、まだ完全な妖怪になってないから、雨に濡れないかもしれない。でも、もし、ずぶ濡れになったら、どうしよう。きっと五香松先生が、心配する」
少女は教室に残り、窓際の自分の席から雨空を見上げていた。
「職員会議が終わるまで待った方がいいよね」
滝のような雨を見て、そう決めた。
その日、折よく雨が降ったのは、果たして偶然だったのか………
誰かが、ガラッとドアを開けた音がして、覚子は「きゃああっ!」と、小さく悲鳴を上げた。
三宝からしてみれば、控えめに開けた方である。
しかし、覚子の両肩は、ビクッと跳ねた。
(あっ、この子、お母さんが、狼族だ!)
覚子は青ざめた。
世眠が、三宝を怒らせて、その都度噛み付かれているのを、何度か目撃していたからだ。
(怒らせたら、噛まれる!)
勢いよく立ち上がった。
教室を飛び出そうと決めた時、三宝の切なる叫びに、足が止まった。
「待って!!あなた、人間だったんでしょ?」
こんな間抜けな質問を、三宝は、かつてした事がない。最悪な切り出しだった。
(あああっ、私のバカバカ!)
怯える目で自分を見つめるクラスメイトを視界に入れて、心底悔いた。
(何で、私が、死人だって知ってるの?皆に、言うつもり?)
三宝は、無言の表情から傷心を読み取って、慌てて言い足した。
「安心して、誰にも言わないから。それに、この秘密は、私と世眠しか知らない」
警戒心を解こうと放った言葉は、逆効果だった。
(二人も知ってるの!?)
覚子は、余計に硬直した。
(どうしよう!)
三宝は、焦った。
(こういう時は、知った経緯を説明して、次郎さんから聞いたって言えば、ううん、ダメ!告げ口みたいになるかも。そんな事したら、心を許せる人が減っちゃう。次郎さんを慕ってるみたいだし。だったら、ええっと、どうしよう!)
焦れば焦るほど、気の利いたセリフが浮かばない。
しかし、その時、不意に三宝は思い出した。昨夕聞いた生霊の涙声と、くしゃくしゃにして笑った髭面を。
『何でもいい、ただ話し掛けて欲しかった、それだけだったんです』
三宝は、ビクビクしているクラスメイトを見つめて、心から思った。
(私、この子の笑う顔が見たい!)
「私、下鴨三宝。サンちゃんでいいよ」
三宝は、微笑んだ。友達になりたい!そう願いを込めて。
すると、強張っていた表情が、ほんの少し和らいだ。
『おまえが笑って話せば、聞き手も、そのうち笑うだろ』
あまり面白くはないが、今回は、世眠の助言に救われた。
「あなたの名前、カ・ク・コよね?呼びづらいから、カッコでいい?」
覚子は、返事をしなかった。
(別に、呼び方なんか、何でもいいよ。覚子なんて、ほんとの名前じゃないんだから)
ふいと目を逸らしたが、三宝は、めげなかった。
「私、お兄さまと、お姉さまがいるの。あ、弟もいるのよ」
「………」
「でねっ!大きくなったら、下界に住むの!」
「えっ!?」
覚子は、声を発して振り向いた。
(やった!こっちを見てくれた!)
三宝は、歓喜して話を続けた。
「カッコ、下界の記憶、まだ残ってるでしょ?」
「………家族以外のなら、少し………」
戸惑いながらも、小さいながらも、覚子の声は確かに出た。
三宝は、初めて成立した会話に大喜びした。
「それ、教えてよ。私は、浮雲のこと教えてあげる。浮雲で生きてくでしょ?」
「生きる!?」
覚子は、心底驚いて、三宝を見つめた。
(私は、死んだのに。生きるって、どういう意味?)
その疑問は、顔に出ていた。それに答えるべく、三宝が柔らかな笑みを深めた。
「カッコは、私たちの仲間よ。これからも、ずっと一緒に生きてくの。だから、勉強を頑張らないと。世眠みたいな放蕩息子になっちゃう」
世眠と聞いて、覚子は、顔をしかめた。それで、三宝は、慌てて話題を変えた。
「老舗焼鳥の次郎さんは知ってるでしょ?」
覚子が、こくりと頷いたのを見て、三宝は、ほっとした。
そして、できるだけ声を潜めて話した。
「あのね、次郎さんの跡継ぎになりたくて、勉強しないの」
「跡継ぎ!?」
覚子は、気付けば、声が出ていた。顔にこそ出なかったが、内心は、びっくり仰天したのだ。
三宝は、嬉しくてたまらなかった。世眠のおかげで、会話が続いている。
「二代目になりたいっていうの」
「二代目っ!?」
覚子は、目を見開いて、ぽかんとした。今度こそ、驚きが顔に出たのだ。
三宝は、小躍りしたい気分だったが、必死に我慢した。
今、銀目に変わって、犬耳が飛び出たら、きっと怖がらせてしまう。
「本当は、毎回テストで百点とれるくらい頭は良いのよ」
「いっつも三点なのに!?」
覚子は、怖いのも忘れて尋ねた。
「うん!一年の頃から、ずっと三点をキープ!でも、クラスの皆、知ってるのよ。バカなフリして遊んでるだけ。跡目になりたくないの。次郎さんの跡を継ぐって、三歳の時に決めたんですって!」
「え、三歳の時に決めたの?早いね」
覚子は、すっかり話に引き込まれた。
「ほんと、はた迷惑な話よね。師匠って呼んでるのよ」
三宝が、肩をすくめてみせると、覚子は、思わず身を乗り出して聞いた。
「お父さんもお母さんも知ってるの?次郎さんも、知ってるの?」
三宝は、思わずクスッと笑って答えた。
「知らないのは、先生たちだけ。だから、男雛先生は、それはそれは、お気の毒よ。一年生の頃なんて、毎回テスト前に、マグロの目玉記憶を用意して食べさせてたの。DHA効果を狙ったんですって!すっごく、まずいって、泣き言を言いながら吐き出す度に叱られてたわ。マグロの目玉記憶は、高額なの。先生の自腹だったから、お気の毒。まあ、わたしたちは笑ってたけどね」
聞き終えた途端、覚子は、吹き出した。おかしくて笑いが止まらなかった。
つられて三宝も笑った。
五香松先生は、二人の笑い声を廊下で聞きながら胸を撫で下ろした。
「傘は、いらないわね」
微笑みながら、職員室に引き返した。
職員会議は、とっくに終わっていたが、二人は気付かなかった。
目尻に涙が溜まるほど笑った後で、三宝が手を伸ばした。
「ね、相合傘で帰らない?」
「うん」
覚子が力強く頷いて、手を伸ばした。
雨は小降りになっていたが、二人は肩を寄せ合って傘に入った。
三宝の犬耳は元気に跳ねていたし、瞳は銀色に変わっていたが、覚子は、もう怖くなかった。
新しくできた友達と、笑いあって帰った。