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三宝の大苦戦 覚子《かくこ》が心を開くまで  中編



「何にしやしょう、お客さん」


生霊は、静かに店内を見回してから、五老次郎に視線を向けた。


「この店は、お品書きも貼っていないんだね」


「へい。この道、焼鳥一筋でして」


「それなら、どうして聞いたんだね」


 偉そうな話し方だと、世眠は思った。


「気取ってるぜ」


「学者か研究者あたりでしょ?」


「でも、常識がないぜ」


「あんたに常識うんぬん言われたら、可哀そうね。でも、確かにそう。山高帽は取らないし、ロングコートも脱がない」


 二人が、こそこそ話をしていると、次郎が穏やかな顔つきで、記憶焼鳥を五本と下界の酒を一杯、生霊の前に、すっと置いた。


いつもは、記憶酒だが、次郎は、本物の酒を注いだ。


「お客さんの顔が、聞いて欲しそうに見えたもんで。違ってやしたら、謝りやす」


柔らかな口調で、頭を下げた。


「………」


風貌だけ紳士風のノッポ生霊は、無言で酒を煽った。

そして、ガラスのコップを置いた途端、涙を流して言ったのだ。


「うまい、こんな美味しい酒は、初めてだ」


 二人は、ぎょっとして目を見開いた。大の男が、泣きながら焼鳥を頬張るのだ。


「うまい!こんな焼鳥は食べたことがない。なんて美味しいんだ!」


 うまいと美味しいを反復する髭面男の、険しかった目が、いつの間にやら穏やかなものになった。そして、表情からも優しさが窺えた。


「………僕の一生には、物理しかありませんでした。研究に没頭し、家庭をおろそかにしていたら、妻に逃げられました」


 四本目を食べ終えた男が、鼻をすすって涙声で言った。


「ここに来るまで、僕は、誰かに聞いて欲しかったんです。何でもいい、ただ話し掛けて欲しかった、それだけだったんです」


 顔をくしゃくしゃにして笑うと、「お勘定、お願いします」そう告げて、ふっと消えた。


「下界に帰ったね」


三宝が、ストンと着地した。


「生霊は、メンドクサイな。俺の分、冷めちまった」


世眠が、冷たくなった焼鳥を口に入れて不平を言った。


「ねえ、次郎さん、人間は………話し掛けると、喜ぶの?」


三宝の質問に、次郎が目を細めた。


「人間も妖怪も、似たようなもんでさァ。聞き手のないってぇのは、寂しいもんですぜ」


「でも、話し掛けるタイミングが」


もごもご口ごもる三宝の背を、世眠が押した。


「喜ぶかどうか、試してみればいいだろ。放課後とかさ、おまえは、俺と違って嫌われてないだろ。おまえが笑って話せば、聞き手も、そのうち笑うだろ」


「あんた、たまに良いこと言うよね」


三宝が去った後、店に残った世眠が、力なく言った。


「師匠、俺さ、三宝が羨ましいや。あいつは、絶対に仲良くなれるぜ。俺は、ダメだ。すっかり嫌われた」


焼鳥を、ちょびちょびかじる仮弟子を見て、次郎は苦笑した。


「ぼっちゃん、師匠直伝の箴言しんげんってやつを、一つ教えやしょうか」


「えっ、ほんと!?何なに?」


世眠が、喜び勇んで腰を浮かした。


「『出会う客は福の神』、これを肝に銘じなせえ」


「福の神?それ、三宝に聞いた事ある。下界の神様だろ?」


「へい。極楽逝きの死人しびとは、神様に会える。地獄逝きの死人は、閻魔様に会えまさァ。けど、あっしらは、神に会うも閻魔に会うも無し。いわんや、福の神様なんぞ、とんと縁のない御方でさ」


「じゃ、何で?」


世眠には、合点が行かなかった。

しかし、次郎は続けた。


「だから、ですぜ。あっしは、浮雲に九十九番地が出来る前から、浮雲の一番端で商売してやした」


「そうなの!?」


世眠は、びっくりした。初耳だった、おそらく三宝も知らない話だ。


「保持妖怪さまが来られるまで、ここは、うら寂しい場所で、来るのは道に迷った死人ばかり。死人が言うは、いつも愚痴」


次郎は、昔を思い出したかのように、遠い目をした。


「ほとほと嫌になってやした………ある晩、一人の死人が、暖簾をくぐりやしてね。あっしは、てっきり死人かと思いやした。何しろ、容姿が人間そっくりなんで」


「そいつが、福の神だね!?」


世眠は、思わず口を挟んだ。緑眼が期待に溢れて、キラキラ光った。


「いんや、ぼっちゃんの曾曾ひいひい爺様でさァ」


「えええっ!!!」


予想だにしない来客だった。


『美味しそうな焼鳥だねえ、大将。一本貰えるかい?』


 高瀬川 清次郎きよじろうの威風堂々たる態度、温かく慈悲深い微笑みは、次郎のすさんだ心を一瞬にして癒した。

 清次郎は、それほどまでに神々しい男だった。


「そん時の笑顔は、一生忘れやせんぜ。あの御方が、この浮雲の一番端を変えたんでさァ。まばゆいばかりの明るさで、ここを保持妖怪さまの下町、浮雲九十九番地と呼ばれるまでにしたんですぜ」


次郎の瞳も、世眠に負けず劣らず、キラキラと輝いていた。


「全然、知らなかった。母ちゃんも、父ちゃんも、教えてくれた事がない」


 世眠は、ただただ驚いていた。そして、肩を落とした仮弟子に、次郎が皿を追加した。


「坊ちゃんが、ここへ連れて来られたのは、三歳の時でしたねえ。坊ちゃんは、あっしに笑い掛けてくだすった。そん時の顔は、あの御方に瓜二つでしたぜ。坊ちゃんは、あの御方を超える大妖怪になれまさァ」


「ほんとになれると思う?」


 世眠が、疑り深く尋ねると、次郎が力強く請け負った。


「あっしは信じてやすぜ。坊ちゃんも、坊ちゃんを信じなせえ。そうしたら、嬢ちゃんにも優しくできまさァ」


世眠の顔に、明るい笑みが戻った。


「よしきた、大将!」


「!!」


「あいつは、俺の福の神だ!絶対、ふりむかせるぞ!」


「その意気ですぜ。ただ………大将は、よしてくだせえ。照れやす」


 次郎の照れ顔を、世眠は、この晩初めて見た。


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