三宝の大苦戦 覚子《かくこ》が心を開くまで 前編
浮雲九十九番地にやって来た死人の少女は、表情が暗く乏しく、友達を作ろうとしなかった。
初めは、クラスの皆も、積極的に笑顔で話し掛けたのだ。
「五香松さん、おはよう」
「………」
「ねえ、聞いてる?あなたに言ったのよ?」
「………」
しかし、少女は、挨拶すら返さなかった。
「やな感じ!返事もしない」
「友達になろうと思ったのに」
「陰気すぎるわ。もう、ほっとこう」
声を出さない少女に近づく児童は、日に日に減って、遂に誰も見向きもしなくなった。
しかし、三宝だけは諦めなかった。毎日、トライし続けた。
けれど、場を和ませるに自信のある三宝でさえ苦心した。
四月は、自信満々だったのだ。
兄弟の多い三宝は、はにかみやの警戒心をとくのに慣れていた。
けれど、五月、六月と経つうちに、事態は悪化していった。
ワンピースを好んで着ていた少女は、ズボンしか履かなくなった。
艶のあるストレートヘアも、バッサリ切って、ぎりぎり肩に届くか、その程度しかなくなった。
そして、その原因を作ったのが、幼馴染であった。
「世眠!あんた、何てことしてくれたのよ!」
「な、何がだよ」
老舗焼鳥のカウンター席で、世眠は怒鳴られた。
店に飛び込んで来た三宝は、怒り心頭で、既に半狼姿だった。
「私が欠席した日、あの子を、からかったでしょ!」
銀色の目は、ギラギラ光って、犬耳は、ピンッと尖っていた。
今にも噛み付かんばかりの怒りようで、世眠も焦った。
(こいつ、マジで噛み付くんだよ。どうしよ、全治二週間で済むかな)
「か、からかってない」
「うそおっしゃい!あんたが、パンツ見えたなんて嘘を言ったから、あの子、スカートを履かなくなったのよ!」
「う、嘘じゃない。し、親切に教えてやっただけだ」
世眠は、目が泳いで、たじたじになった。
「その口、縫ってやりたいわ!蓮子から聞いたのよ!」
「な、何をだよ」
世眠は、三宝の剣幕に気圧されて、口調まで、たどたどしいものに変わりつつあった。
蓮子の情報は、正確に伝わっていた。
世眠は、昼休み、自主的に飛行練習をしていた覚子を見つけて、校庭のド真ん中で叫んだのだ。
『おーい、パンツ丸見えだぞー!』と。
見えてもいないくせに、気を引きたいが為の嘘だった。
しかし、校庭で遊んでいた男の子たちは、それを聞いて爆笑したのだ。
女の子たちは、「世眠くんのスケベ!」「ヘンタイ!」と怒ったが、可哀そうなのは覚子だ。
顔を真っ赤にして着地すると、泣きながら保健室に逃げ込んだ。
その一部始終を見ていた鹿島蓮子が、三宝に告げ口したのだ。
その日から、世眠は、目も合わせて貰えない。
世眠も反省して、心から謝ろうとしたのだ。
しかし、先手を打たれて、早々に挫けてしまった。
「あなたなんて、大嫌い。近寄らないで」
初恋の女の子は、俯いたまま、きっぱりと言った。
この言葉は、想像を絶するトラウマになった。
そして、この爆弾発言は、世眠の未来で呼び覚まされる事となる。
(世眠から見れば)過去の覚子が、下界実習の時に放つ「来ないでえええ、あなたなんか大嫌いいいい!!!」の発言で、ガラスのハートは、再び粉々になるのだ。
そんな未来が待っている事を、この時の世眠は知らない。
まさしく自業自得である。
世眠に飛び掛かろうとした三宝を、五老次郎が、やんわりと止めた。
「三の嬢ちゃん、お待ちなせえ。坊ちゃんは、昔から不器用な所が、ありやすからねえ」
「次郎さん、でも」
三宝が何か言おうとしたが、先に次郎が口を開いた。
「坊ちゃん、嬢ちゃんには、優しくしておやんなせえ。人間ってぇのは、強がりでしてね。寂しがり屋な生き物なんですぜ。思い出話にゃ付き合うのが、粋な保持妖怪ってもんでさァ」
何かにつけ、世眠は、そう言われている。
今夜は、このタイミングで言われてしまった。
「付き合うも何も、あいつ、俺のこと嫌ってるから、おはようも言わないぜ、師匠」
老舗焼鳥のカウンター席で、世眠は、お決まりの愚痴をこぼした。
「そりゃあ、いけやせん。坊ちゃんが冷たいからですぜ」
「冷たくなんかしてない!ただ、ちょっと………パンツ見えたの、言っただけで………意地悪はしてない………」
三宝の言い分が正しいと、五老次郎は、ちゃんと知っている。
『夜桜』の二代目おかみ、お冬さんから聞き及び、先刻承知之助なのだ。
次郎が、穏やかな口調で世眠を諫めるのを聞くうち、三宝も落ち着きを取り戻していった。
犬耳は消えて、銀目は、茶色に戻った。
それを見て、次郎が、すかさず記憶焼鳥を差し出した。
「嬢ちゃんとは、喋れやしたか?」
優しく尋ねると、三宝が力なく小首を横に振った。
「ううん、一度も。休み時間は、トイレに籠城しちゃって。昼休みは、図書室に逃げ込んじゃうの。図書室で喋ると、注意されるから、声を掛けられない。私、ひそひそ声が苦手だから………」
次郎は、可哀そうに思いながらも、忍び笑いを浮かべた。
三宝の愚痴り場は、たいていが、老舗焼鳥だ。
そこに居合わせる世眠は、毎回しっかり叱られている。
「あんたも、何か考えなさいよ。あの子が、髪を切ったのも、あんたのせいでしょ」
三宝が目を吊り上げると、焼鳥を頬張っていた世眠は、心外だという目つきで三宝を見た。
「蓮子から聞いたのよ。髪の長い女はエロいって、バカげた作り話を言い広めたのは、あんただって!」
次郎が、ちらりと世眠を見た。その目が鋭かったので、世眠は慌てて言い訳した。
「あれは、四位竹が言ったんだ」
「四位は、三歳よ?」
「二羅兄から教わったらしいぜ」
「お兄様が、そんな下品なことを言うわけないでしょ!」
「俺が嘘ついてるって言うのか!?」
「他に誰がいるのよ!?」
今度こそ、取っ組み合いの喧嘩になりそうだった。その時、お客が来店したのだ。
「へいっ、らっしゃい」
それが生霊だったので、二人は、ひとまず空中浮遊して、客の死角に留まった。
「あいつが帰るまで一時休戦な」
「そうね、帰ったら噛み付いてやるから!」
再び銀目が光っていた。