第3話 三宝と世眠
世眠は、何か言い返そうとしたが、何も言えなかった。
「何にしやしょう、お客さん」
生霊は、静かに店内を見回してから、五老次郎に視線を向けた。
「この店は、お品書きも貼っていないんだね」
「へい。この道、焼鳥一筋でして」
「それなら、どうして聞いたんだね」
偉そうな話し方だと、世眠は思った。
「気取ってるぜ」
「学者か研究者あたりでしょ?」
二人は、小声で、ひそひそ喋った。
「でも、常識がないぜ」
「あんたに常識うんぬん言われたら、可哀そうね。でも、確かにそう。山高帽は取らないし、ロングコートも脱がない」
二人が、顔をしかめて、こそこそ話を続けていると、次郎が、穏やかな顔つきで、記憶焼鳥を五本と下界の酒を一杯、生霊の前に、すっと置いた。
いつもは、記憶酒だが、次郎は、本物の酒を注いだ。
「お客さんの顔が、聞いて欲しそうに見えたもんで。違ってやしたら、謝りやす」
柔らかな口調で、頭を下げた。
風貌だけ紳士風のノッポ生霊は、無言で酒を煽った。
そして、ガラスのコップを置いた途端、涙を流して言ったのだ。
「うまい、こんな美味しい酒は、初めてだ」
世眠と三宝は、ぎょっとして目を見開いた。
大の男が、泣きながら焼鳥を頬張るのだ。
「うまい!こんな焼鳥は食べたことがない。なんて美味しいんだ!」
うまいと美味しいを反復する髭面男の険しかった目が、いつの間にやら穏やかなものになった。そして、表情からも優しさが窺えた。
「僕の一生には、物理しかありませんでした。研究に没頭し、家庭をおろそかにしていたら、妻に逃げられました」
四本目を食べ終えた男が、鼻をすすって涙声で言った。
「ここに来るまで、僕は、誰かに聞いて欲しかったんです。何でもいい、ただ話し掛けて欲しかった、それだけだったんです」
顔をくしゃくしゃにして笑うと、「お勘定、お願いします」そう告げて、ふっと消えた。
「下界に帰ったね」
三宝が、ストンと着地した。
「生霊は、メンドクサイな。俺の分、冷めちまった」
世眠が、冷たくなった焼鳥を口に入れて、不平を言った。
「ねえ、次郎さん、人間は、話し掛けると、喜ぶの?」
三宝の質問に、次郎が目を細めた。
「人間も妖怪も、似たようなもんでさァ。聞き手がねえってぇのは、寂しいもんですぜ」
「でも、話し掛けるタイミングが」
もごもご口ごもる三宝の背を、世眠が押した。
「喜ぶかどうか、試してみればいいだろ。放課後とかさ、おまえが笑って話せば、聞き手も、そのうち笑うだろ」
「あんた、たまに良いこと言うよね。今回だけ大目に見てあげる。じゃあね」
三宝が去った後、店に残った世眠は、力なく言った。
「師匠、俺さ、三宝が羨ましいや。あいつは、絶対に仲良くなれるぜ。俺は、ダメだ。恥ずかしくて喋れねえ」
焼鳥を、ちょびちょび齧る仮弟子を見て、次郎は苦笑した。
「ぼっちゃん、師匠直伝の箴言ってやつを、一つ教えやしょうか」
「えっ、ほんと!?何なに?」
世眠が、喜び勇んで腰を浮かした。
「出会う客は福の神、これを肝に銘じなせえ」
「福の神?それ、三宝に聞いた事ある。下界の神様だろ?」
「へい。極楽逝きの死人は、神様に会える。地獄逝きの死人は、閻魔様に会えまさァ。けど、あっしらは、神に会うも閻魔に会うも無し。いわんや、福の神様なんぞ、とんと縁のない御方でさ」
「じゃあ、何で?」
世眠には、合点が行かなかった。
しかし、次郎は続けた。
「だから、ですぜ。あっしは、浮雲に九十九番地が出来る前から、浮雲の一番端で商売してやした」
「そうなの!?」
世眠は、びっくりした。初耳だった、おそらく三宝も知らない話だ。
「保持妖怪さまが来られるまで、ここは、うら寂しい場所で、来るのは道に迷った死人ばかり。死人が言うは、いつも愚痴」
次郎は、昔を思い出したかのように、遠い目をした。
「ほとほと嫌になってやした。ある晩、一人の死人が、暖簾をくぐりやしてね。あっしは、てっきり死人かと思いやした。何しろ、容姿が人間そっくりなんで」
「そいつが、福の神だね!?」
世眠は、思わず口を挟んだ。緑眼が期待に溢れて、キラキラ光った。
「いんや、ぼっちゃんの曾曾爺様でさァ」
「えええっ!!!」
予想だにしない来客だった。
『美味しそうな焼鳥だねえ、大将。一本貰えるかい?』
「そん時の笑顔は、一生忘れやせんぜ。あの御方が、この浮雲の一番端を変えたんでさァ。まばゆいばかりの明るさで、ここを保持妖怪さまの下町、浮雲九十九番地と呼ばれるまでにしたんですぜ」
清次郎の威風堂々たる態度、温かく慈悲深い微笑みは、次郎のすさんだ心を一瞬にして癒した。
清次郎は、それ程までに神々しい男だった。
「坊ちゃんが、ここへ連れて来られたのは、三歳の時でしたねえ。坊ちゃんは、あっしに笑い掛けてくだすった。そん時の顔は、あの御方に瓜二つでしたぜ。坊ちゃんは、あの御方を超える大妖怪になれまさァ。優しい微笑みが、一番ですぜ」
「ほんとに?俺、大妖怪になって、カッコに好きになって貰える?」
世眠が、疑り深く尋ねると、次郎が、力強く請け負った。
「あっしは信じてやすぜ。坊ちゃんも、坊ちゃんを信じなせえ。そうしたら、嬢ちゃんにも優しくできまさァ」
世眠の顔に、明るい笑みが戻った。
「よしきた、大将!あいつは、俺の福の神だ!絶対、ふりむかせるぞ!」
「その意気ですぜ。ただ、大将は、よしてくだせえ。照れやす」
次郎の照れ顔を、世眠は、この晩初めて見た。
すっかり話し込んでいた所に、老舗焼鳥の暖簾を、酔っ払い生霊がくぐった。
その生霊が、女の人だったので、世眠は驚いた。
女の生霊を見たのは初めてだったのだ。
そのOLは、店に入る前から、べろんべろんになっていたが、ピシッと音が鳴りそうなほど、黒いスーツをかっちり着込んで、お団子頭にしていた。
酒の匂いも分からないようだった。
五老次郎が出す水に文句をつけなかったからだ。
浮雲九十九番地にも、記憶ではない飲食物がある。それが、水だ。
次郎は、生霊を心配して、天然水と記憶焼鳥を交互に出した。
世眠は、もう帰ろうかと思ったが、思わず聞き耳を立ててしまった。
「私、十年付き合った恋人に、フラれたんです。学生の頃から付き合ってたから、もうそろそろ結婚するのかなって思ってたら、好きな子ができたからって、あっさりフラれたんです」
ぐずぐず鼻をすすって涙をこぼし始めた生霊を見て、世眠は、思わず声を掛けた。
「そんな奴、別れて正解だよ!そいつは、お姉さんの福の神じゃなかったんだ!次は、本当の福の神を見つけなよ。お姉さんも、きっと出会えるよ」
次郎は、驚いたが、生霊は、もっと驚いた。
「あなた、お母さんは?一人で来たの?」
急に、頭がしっかりして、世眠を、まじまじと見つめ始めたので、次郎が、慌ててフォローした。
「あっしの息子なんですぜ。似てやせんか?ちょうど夕飯を食ってた所でさあ」
「まあ!坊や、ごめんね。恥ずかしい所を、見せちゃったわね。愚痴もこぼした事だし、もう帰ります。あの、お勘定を」
生霊が言い終える前に、世眠は尋ねた。
「お姉さん、俺、好きな子がいるんだ。でも、この前、フラれたんだ。女の人って何したら喜んでくれる?」
次郎は、苦笑したが、生霊は、柔らかく微笑んで言った。
「そうね、私だったら、優しい言葉をかけて貰えると嬉しいわ。言葉で伝え続けるって、大事なことよ。それに、大好きっていう温かい気持ちは、きっと相手に伝わるわ。その子と、つきあえるといいわね。頑張って」
そう言うと、五老次郎に頭を下げた。
「ごちそうさまでした」
言った瞬間に、ふっと消えた。
「お姉さんも、頑張ってね」
世眠は、ぽつりと呟くと、自分も、「次郎さん、ごちそうさま!また明日、来るね!」と、元気に言って、意気揚々と店を出た。




