夜桜 編5.「地獄舟《じごくぶね》に乗せますか?」
お冬が、左ポケットから、桜の花びらを五枚取り出した。
息を吹きかけると、花弁は、五本の荒縄に変わった。
重縛縄、浮雲の全妖怪・悪霊、もちろん怨霊にも使える捕縛用の頑丈な縄だ。
そして今、お冬の手中にあるのは、最強度を誇る五十重縛縄だ。この縄で捕縛できなかった妖怪、悪霊、怨霊は、いない。
「お冬さん、このバカ、どうします?」
僧戒も、首元から、淡色の数珠を引っ張り出した。
「その裁断は、義弟に任せるよ」
「………地獄舟に乗せますか?」
「異議なしだね」
お冬の十八番、桜吹雪が辺り一面を覆うと同時に、僧戒が踏み込んだ。
「まだ分らんかあああーーっ!小僧おおおーーっ!」
幅一メートルの鉈は、厄介だった。
自由自在に伸縮し、その切れ味は、抜群だ。
「うっおおおおおーーっ!」
斬幽が、雄叫びを上げて、鉈を振るった。
間合を詰める事も、ままならず、僧戒は、すんでの所で、自身と羽織を入れ替えた。
羽織は、真っ二つに引き裂かれ、はらりと宙に散った。
その瞬間、お冬の放った五十重縛縄が、斬幽を捕らえた。
しかし、それは、ほんの一瞬だった。
三本放った五十重縛縄のうち二本は、まるでちり紙を破るかのように、斬幽が引き裂いた。
「っ!!化け物かい!」
お冬は、かろうじて残った一本を、渾身の力を振り絞って引っ張った。
引きずられないように、死に物狂いで両足を踏ん張った。
けれど、斬幽の左手に、引っ掛かるようにして絡まった荒縄は、ビクともしなかった。
「くっつ!!なんて力だ」
珠のような汗が一気に吹き出して、額から顔中に流れた。
それだけではない。全身が汗だくになった。
手汗で滑らないよう、お冬は奥歯を噛みしめて、両手で握り締めた。
噛んだ唇からは、口元に血が伝っていた。
「お冬さん、残りの縄は、使わないで下さい!」
僧戒が叫んだ。その表情には、一切の余裕がなかった。
「!?どうする気だい?」
「旋回珠海!」
呪文を唱えた僧戒の両手から、淡色の数珠玉が一時に放たれて、斬幽に向かって飛んで行った。
「っつ!!貴様っ、この術は!!」
十八個の数珠玉は、その巨体を取り囲み、ぐるぐる旋回し始めた。
捕縛の解けきらぬ斬幽が、躍起になって、右手で鉈を振り回した。
しかし、はらえども、はらえども、淡色の数珠は飛び回った。
離れるどころか、間合を詰めていったのだ。
「小僧おおおおーーっ!授戒をくれてやった恩を忘れたかあああーーっ!」
義兄が喚くも、義弟は相手にしなかった。
「お冬さん、桜を!」
「用意してたさ!」
再び桜の柱が、浮雲から立ち昇った。
先とは、比べ物にならないほど程のでかさだった。
それが、大樹のごとく、伸び続けた。
そんな巨大な桜柱が、何本も何本も出現した。
その様は、まるで、桜の花びらが成した森。
白い雲の上は、どこもかしこもピンク一色。まさに圧巻であった。
「奉公屋ががあああーーっ!たかだか、保持妖怪の分際でえええーーっ!」
吠える斬幽に絡み付く、たった一本の五十重縛縄。
それも、限界に近い。
重縛縄のコントロールは、お冬の精力が頼りだ。
十八本もの巨大な桜柱を創り出しながらの捕縛は、絶対奉公屋のお冬をもってしても、厳しい業だった。
「ぐっ!!」
お冬が、顔を歪めた。
ミシッ、ミシッと、五十重縛縄が大きな音を立てる度、斬幽の骨も軋んで鳴る。
「頼むから、持っとくれ!そうでないと、私は」
噴き出す汗は、切りがない。
白い首筋を伝って、浮雲に大きな染みを広げていく程だ。
噛みしめる薄い唇から血が滴って、汗の後を追うように落ちていく。
「あの世で、あの子に………顔向けできないんだよ!」
その時、斬幽の咆哮が周囲に響き渡った。
「奉公屋ががあああーーっ!合いの子の分際でえええーーっ!」