夜桜 編4.「人徳がないねえ、首領さん」
馬面の大男、怨霊の一族の首領、斬幽は、目下に転がる死体を見た。
己が掻っ攫ったのは、部下の首だった。
「呪詛返し!なぜ貴様が使える!?」
と、厨房から、小柄な美女が現れた。
長いブロンドは、三つ編みにして、耳の両サイドで丸めていた。
「!?授戒、おまえか!!」
レモン色の半袖ワンピースを着た美女の両腕には、垜紋様があった。
もし、この場に、西助と翠露がいたら、西助は翠露に、突っ込みを入れたに違いない。
誘拐された時に思い出した、過去の会話を思い出して………
「おまえの母ちゃんやんけ!」と。
『両腕にある怨霊もいるんだって~』
『どっちなん?人呪うんか?』
『うーん、忘れちゃった~』
『いっちゃん、大事なトコちゃうか』
自分の母親が、怨霊の一族の出だというのに、しかも両腕には、垜紋様があるというのに、それを忘れたで済ませた図太いクラスメイトである。
そして、その母親はというと………
「ご機嫌いかが~兄さま~」
首領の実妹であった。笑うとえくぼが出来て、とてもかわいい。
そして今、隣には、小柄だが実にハンサムな男も立っていた。
「おまえまで裏切る気か!?僧戒!!」
首領は、怒りで顔を真っ赤にした。
「その表現は、不適切ですね。僕は、もともと保持妖怪《こちら側》ですよ」
淡道僧戒は、九十九番地で、怨霊の一族出の妻をもつ唯一の男である。
「人徳がないねえ、首領さん。けどまあ、人じゃないから当たり前さ。だけどねえ………」
お冬の両眼が、鋭く光った。
「私の大事な娘を殺そうとした罪は、きっちり償って貰うよ。あの子を殺しただけじゃ飽き足らず、二度も私を怒らすなんてねえ。あんただけは、許しゃしないよ!」
お冬が初めて雇った店員、かつての看板娘・鑼羅を呪殺したのは、三番目の弟である。
空港で、世眠にグルグル巻きにされた女の夫だ。その浮気性の弟を、斬幽は、けしかけたのだ。
自分に振り向かない女など呪殺してしまえと。
「男雛さん!!」
「聡子!」
泣きじゃくる聡子が抱きつくと、男雛は強く抱き締めた。そして、いとおしむ目つきで髪を撫でた。
それを見たお冬が、非難の眼差しを、男雛に向けた。
「………義母の前で、許しも得ず………第一、交際許可も出してないのに」
夜桜には、結界の他にも呪詛返しが施してあった。それは、翠露の母が、授けたものだ。
「呪詛返しだって、聡子を救う為で、交際相手を救う為なんかじゃないのに」
ぶつくさ文句を言うお冬を、翠露の父親が宥めた。
「まあまあ、娘さんが喜んでるんで、良しとしましょう」
非常にまともな事を言ったが、母親の方は、煽る発言を連発した。
「私たちが来るまで、密室だったわけでしょ~う?男雛先生ったら、隅に置けないな~。いつから付き合ってたの~?結構前からじゃな~い?なんか~、雰囲気あっまい感じ~。かなり付き合ってるでしょ~う?ご祝儀と出産祝い、一緒になるかしら~?」
この母親のおかげで、お冬は帰宅が遅れたのだ。
真面目なお冬は、霧子に言われた通り、獲物情報班に西助とグルグル巻きにされた女を連れて行った。
そして、そこで第二のハプニングが発覚した。
「ミドリ姫!?何で、ここにいるんだい!?」
なんと、第五の問題児が見つかったのだ。
淡道翠露は、母親に連れられて、先に下界へ降りていた。
お冬は、眉を吊り上げ問いただそうとした。
しかし、母親が、へにゃっと目元、口元を緩めて笑ったのだ。
「そんなに怒らないで~。私たちの仲じゃな~い?それより~、その通信鏡、赤く光ってな~い?」
そう言われて、ポケットに入れた通信鏡に、やっと気付いたのだ。
「しまった!音が鳴らない方を持って来ちまった。店が大変だ!」
「え~、さとちゃん、もしかして~大ピンチ~?」
「あいつが来てる!!」
あいつが誰か、すぐに察した母親が、声を低くして言った。
「私も行く。いい加減、ケリをつけないといけないから」
いつになく真剣な顔つきだったので、一緒に連れて来たのだ。
ついでと言っては何だが、娘を心配して迎えに来ていた常識ある父親も一緒に。
そういうわけで、首領、斬幽の怒りは膨れ上がった。
店内には、血だまりの傍に生首が転がっていた。
聡子は、一度視界に入れたが、それ以降は一切目を遣らなかった。
心中で思ったのは、店が汚れたわ、である。
敵に情けをかけないのは、奉公屋の血が、そうさせるのかもしれない。
「説明しろ、授戒!!」
斬幽の巨体がブルブル震え、その振動が店内を揺るがした。
「何が為に、九十九番地に嫁がせたか、忘れたとは言わせんぞ!なぜ、おまえが裏切る!?」
実兄の怒りなど、どこ吹く風か、実妹は、飄々と復唱した。
「何が為に?九十九番地に嫁がせたか?なぜ裏切るか?」
授戒が、愉快そうに目を細めた。
「兄さま、女はね~、親より兄より、夫をとるものよ~ん♪夫を愛した時点で、嫁いだ理由なんて忘れたわ~。でも、助けてあげたでしょ~う?死んだのは、兄さまの部下だも~ん」
《夜桜で殺しを行った者に、殺しが跳ね返る》それが、授戒がお冬に授けた《呪詛返し》である。
授戒は、生まれつき、両腕に垜紋様がある稀有な怨霊だった。
幼少期から嫁入り前までは、《呪詛返し》を専門に、故郷の三番地で腕をふるっていた。
しかし結婚後、授戒は、淡道翠玉に改名したのだ。
そして、あっさり保持妖怪側になった。
「投降されては?兄さま。保持妖怪は、死刑を認めないの。親切でしょう?」
兄想いの妹が、薄笑いを浮かべた。
「お義兄さん、下界流しを受けて下さい」
僧戒も説得にかかった。
さっさと処罰したいお冬は、むすっとしたが、家族間の問題でもあるので、不承不承口を噤んで待った。
「あなたを、愛する妻の実兄を手に掛けたくはない。お冬さんには申し訳ないけど、それが、僕の本音です」
九十九番地には、検問受理会なる機関が設置されており、下界流しという刑罰がある。
聡子は、愛する人の腕の中で、固唾を呑んで見守っていた。
すると、突然、斬幽が狂ったように笑い出した。
「ふっ、ふっはっはははっ!ふっはははっ!ふっははははっ!ふっーはっはっはっ!」
怨霊の一族を束ねる首領、斬幽。その笑い声は、猛獣の遠吠えに近かった。
「ふっ、下界流しだと?ふっはっはっ!片腹痛いわ!」
僧戒が、はっとして、愛妻を、聡子のもとへ押し飛ばした。
次の瞬間には、桜の花びらで形成された柱が二本、水柱のように床から立ち上った。
そのうちの一本は、僧戒とお冬を護る為に。
聡子たちの真ん中で立ち上る桜の柱は、瞬く間に二つに割れて広がった。
そして、三人を包み込んで大きな桜色の毬に変形した。
「保持妖怪の分際で!奉公屋の分際でっ!」
僧戒が、右拳を天へ突き上げ叫んだ。
「飛行仙界!」
まさに間一髪!
三人は《桜の毬》に包まれて、僧戒の妖術で空中移動させられた。
斬幽が、大鉈を振り下ろす直前であった。
「なめてくれるわーーっ!!」
ゴオオオッーーー!!!っというジェット機のようなエンジン音、耳をつんざく地鳴りと共に、何もかもが吹き飛んだ。
斬幽は、店と一緒に、己が部下たちも吹き飛ばしたのである。躯の行方は、永久に知れないだろう。
「なんて男だろう」
跡形もなくなった場所に残ったのは、僧戒とお冬だけだった。
《桜の毬》は、九十九番地の仙界と称される保持妖怪の上町まで運ばれた。
「別れの言葉は、必要なかったかい?」
僧戒が、白い歯を見せ、にっこり笑った。
「ええ、僕もあなたも。勝つのは、僕たちですから」