表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
27/35

夜桜 編3.「やってくれるじゃないか、首領さん」



 聡子は、十杯目の緑茶を急須で注いだ。


「お冬さん、遅いなあ………大丈夫だよね?もう見つかってるよね?」


 午後四時を過ぎてからは、店の椅子に腰掛けて、十分ごとに掛け時計を見遣っていた。


 その二時間後、荒々しいノック音に、聡子は青ざめた。


ドンドンドン!!!


 お冬が店を出てから、三時間以上が経つ。


「だ、誰?」


 胸の前で両手を握り合わせて、ガラス戸を凝視した。


ドンドンドン!!!


ドンドンドン!!!


戸を叩く音は、次第に続けざまになっていった。


ドンドンドン!!!

ドンドンドン!!!

ドンッドンッドン!!!

ドンッドンッドン!!!


「ひゃあっ!」


 たまらなくなって、聡子は腰を上げた。

 そして、厨房に駆け込もうとした。その時だ。


「聡子」


 消え入りそうな、その声に、聡子が振り向いた。


「どうして、あなたが………」


 聡子は躊躇した。

お冬と約束したのだ。


『いいかい、聡子。私が戻るまでは、誰が訪ねて来ても、ここを開けてはいけないよ。あんたは、奉公屋の力が弱いんだ』


「お義母かあさん………」

 

 聡子は、以前お冬に教わって知っていた。


『《保持変形》を得意とする保持妖怪は多いからね。そいつが手を貸せば、怨霊の一族だって、誰に化けるか分からない』


そして、お冬は、出掛けに告げたのだ。


『九十九番地に裏切り者がいるよ』


この一言を言い残して出て行った。


「ほ、ほんもの?」


ドンッドンッドン!!!

ドンッドンッドン!!!


「頼む、聡子!開けてくれ!」


聡子は、ガラス戸に駆け寄った。そして、結界が張られた戸をスライドしたのだ。


「っ!!早く、中へ!」


 言いつけに背いた娘は、血だらけの男を引っ張り込んだ。

 ひょろりと背の高い美男子が、もつれるように店内に滑り込んだ。


「許してくれ、聡子」


 聡子は、しばし呆然と、男の身なりを見つめた。


「なに、が………何があったんですか、男雛おびなさん!」


たとえ、どんなに変形巧者な保持妖怪であっても、声までは似せられない。

声真似上手な者はいる。しかし、愛する男の声はわかるものだ。


「誰が、こんな酷いことを」


梅桃ゆすらうめ男雛おびなが、夜桜に飛び込んで来たのは、午後六時すぎであった。


その時の恰好は、無残なものだった。服はボロボロ。

切り裂かれた青いワイシャツの間からは、とめどなく血が流れていた。

カーキのジーンズの切り口からも血が滴っている。


「し、止血を」


 包帯を取りに行こうとする聡子を、男雛が立ち上がって引き止めた。


「時間がない」


「!?傷が深いです。早く止めないと」


 顔は切り傷だらけ。長く美しかった黒髪も刈られていた。


「一刻を争う、下界へ逃げろ!」


「えっ!?」


「連絡はいらない。君の、奉公屋の血が、お冬さんと引き合わせる」


「 ! いつ、御知りになられたんですか?」


 聡子は、当惑した。

 お冬の正体と、自分の出生を、一妖怪教諭が知っていようとは思わなかったのだ。


「元妻が、浮雲小学校を裏切った」


女雛めびな先生が!?」


「あいつは………」


崩れ落ちる百七十センチの体を、ひしと抱き留めた。


「男雛さん、しっかり!」


 仲の良い姉弟として知られる浮雲小学校の妖怪教諭、梅桃ゆすらうめ男雛おびなと、梅桃ゆすらうめ女雛めびなは、以前は夫婦だった。


「お、お医者さまを!」


 そう言って、聡子は、ぎょっとした。


 ガラス戸の向こうに、大きな影が映ったのだ。

 その影は、戸を叩くこともしなかった。


ドーン!っという、地響きのような爆発音と一緒に店が揺れて、聡子がよろけた。

倒れる聡子を、瀕死の男雛が受け止めた。


「男雛さん、傷口が!」


「自分の心配をしろ!結界を破られたら終わりだ!」


 爆発音は続いたが、絶対奉公屋お冬が張った結界は堅固な守りだった。


ドーン!ドーン!ドーン!ドーン!ドーン!


 店の外で凄まじい音が鳴る度に、店内の物が、次々と割れていった。

 お冬の気に入りだった金縁入りの絵画も全て床に落ち、聡子が衝動買いした数々の花瓶も、床の上で粉々に散った。

 レジは台から滑り落ち、金銭をばらまいた。


「………さすがに絶対奉公屋の張った結界だ。が、いつまでもつか………」


 止血し終わった男雛が呟いた。

 男雛は、ズタズタになったシャツを破いて血を止めた。

 聡子が、包帯を取りに行くと言っても聞かなかった。


「せめて、これで、お顔の血は拭いて下さい」


 聡子は、桜色のハンカチを差し出した。


「ありがとう、聡子」


二人が付き合っていることは、お冬も知らない。


梅桃ゆすらうめ男雛おびなと、梅桃ゆすらうめ女雛めびなは、何十年も前に離婚している。

しかし、離婚の折に、女雛めびなが、男雛おびなに泣きを入れたのだ。

その頼みとは、


 一、夫婦であった過去は他言無用。


二、弟のふりをする。


三、想う相手が現れても結婚しない。


 男雛は、聡子に一目ぼれするまでは、この秘密を忠実に守り続けた。

 

 しかし、夜桜で出会ってしまったのだ。


男雛は、聡子にだけ真実を打ち明け、いきなりプロポーズした。


聡子の答えは、NO。お断りします、であった。

それでも、男雛は、めげなかった。

アタックし続けて、去年の春から交際をスタートさせたのだ。


「男雛さん」


聡子は、決意を固めた目で、男雛を見つめた。


「何があったのか、話して貰えませんか?私は、戸を開けると決めた時、あなたを信じぬくと決めたんです」


男雛は、少しの間黙っていたが、腹を括った。


「あいつは、僕と結婚する前からずっと、怨霊の一族の、首領の正妻だった。今でもそうだ」


「女雛先生は、怨霊の一族の出なんですか?」


「違う。僕らは、節句妖怪。下界の妖怪だ。けれど、女雛の強い要望で、九十九番地にやって来た。そして、浮雲小学校に勤務する事になった。今思えば、その頃から、計画は始まっていたんだろう」


 その計画が何か、聡子は聞くことが出来なかった。


 なぜなら、ドッドーン!と、一際大きな爆発音が聞こえて、ガラス戸が吹き飛んだからだ。


「お冬さんの結界が!」


男雛が、聡子を背に隠した。


「僕から離れないでくれ。こうなっては、もう………僕らに生き残るすべはない」


踏み込んで来た男は、身長が四メートルを超すかと思われた。

そして、巨体な背後に、いずれも背丈が三メートル近くある男たちが数十名、鉈を片手に付き添い並んでいたのだ。


 彼らの右腕には、山形のあずち紋様があった。

 それは、怨霊の一族の証で、右腕にある者は、妖怪専門の呪詛者じゅそしゃ

だ。


「酷い話じゃないですかァ、先生。仲間を裏切るなんてねェ」


声から察するに、四メートル超えの男は、随分と若い。

人の年齢でいうと、四十代前半だろうか。


「仲間になった覚えは、一度としてない!」


男雛が声を張り上げると、馬面の大男が、幅一メートルある鉈を腰から引き抜いた。


「ひっ!」


 聡子は、男雛の背中にしがみついた。

 お冬に連絡は入れたが、どうやら下界で、ひと悶着あったらしい。

 返信が来ないのだ。


「まァ、ちっとは役に立ちましたやァ。ねェ、先生?女雛を、俺の女房を怒らせたのが、運の尽きですやァ、先生」


毛むくじゃらの馬面男が、右腕を振り下ろす寸前、男雛が振り向いて聡子を見た。


「愛してるよ、聡子」


「わ、私も」


 聡子が思いを伝える前に、至大なる鉈が、大蛇の鎌首のように伸びて、男雛の首を掻っ攫った。


「いっやあああ!!!」


面前で上がった血しぶきに、聡子が腰をついた。


「男雛さん!!!」


 起き上がろうとする聡子に、大男が鉈を振るった。その一瞬!


「え?」


桜吹雪に包まれて、聡子は宙に浮いていた。


「お、お義母かあさん!!」


シルバーグリーンの瞳から大粒の涙が溢れて、止まらなかった。


「親のいない間に、男を連れ込む娘に育てた覚えはないけどねえ。結界が破られたのは、あんたが一度、戸を開けたからだよ」


ここに、夜桜おかみはいなかった。

いるのは、絶対奉公屋お冬と、首の繋がった男雛である。


「やってくれるじゃないか、首領さん。店が台無しだよ」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ