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一花果《いちじく》と、七《さい》;「傍に置けない女は奪えない」



一花果いちじくが、婚約者のさいと会うのは、七草が失踪した晩以来だった。


「申し訳ない」


 浮雲九十九番地で唯一の甘味処、『夜桜』の前で待ち合わせて早々、一花果いちじくは頭を下げた。


「………今日は、貸し切りにして頂きましたから。なかでお話しませんか?」


 一花果の好きな、落ち着いた優しい声音だった。

 しかし、どことなく凛とした印象が強い。

 普段は明るい色を好んで着ているが、今夜は、紺の和服で、帯は銀色だった。


(真面目なさいの事だから、この半年、思い悩んでいたのだろう)


 一花果は無言で頷いて、桜模様をあしらった紫色の暖簾をくぐった。

 店に入ると、背の高い馴染みの店員が、うぐいす色の和服姿で、愛想よく御辞儀をした。


「いらっしゃいませ。こちらのお席へどうぞ」


 彼に案内され、向い合って座ると、すぐに七が切り出した。


「兄は、見つかりませんか?」


 問われて、何も答えられなかった。


 七草が、日華門を出たことは、周知の事実となっている。

 下界通過事務局の局員が、下界へ降りる七草を目撃していたからだ。


 その目撃情報を頼りに、四条流家は、下界の情報網を駆使して探させた。


 もちろん、獲物情報班も駆り出されたが、どんなに手を尽くしても見つけられなかった。


 七草が学校資金を全額持ち逃げした、前代未聞の大事件を、穏便に片付けようとする穏健派と、裏切り者とみなして吊し上げるべきだと騒ぐ過激派。

 意見は二手に分かれたが、どちらにしても行方が分からないままなので、決着はつかない。おそらくは、永遠に。


気まずい雰囲気になった所へ、女将のおやえがやって来た。


「あら、サイちゃん、色気が出てきたのね。いっちゃんも、紺の背広は初めて見たわ。なかなか素敵よ」


 記憶餡蜜と抹茶を二つずつ運んでくると、朗らかな声で話し掛けた。


(予め注文しておいてくれたのか)


 一花果は、この店の記憶餡蜜を特に好いている。

 それを知っての事だろう。そう思うと、心が温まった。


 女将に褒められて、七は苦笑した。


「からかわないで下さい、おやえさん。何も変わっていませんよ。でも、ちゃん付けは………もう止めて下さい」 


 七が付け加えた一言、その真意を悟って、一花果は胸が痛んだ。

 それは、おやえも同じだったようで、一瞬黙って、それから微笑んだ。


「………お代はいいわ。今日は奢りよ。いっちゃんも、ゆっくりしてって頂戴ね。抹茶は、下界のを淹れたから」


 そう、にこやかに告げて厨房へ戻って行った。


 二人は、器を手に持ち、餡蜜を口へ運んだ。

 いつもより、ゆっくりと………時間をかけて抹茶を飲み干した。

 そして、先に口を開いたのは、七だった。


通信鏡つうしんきょうでも申し上げましたが、兄の失踪は、あなたのせいではありません。兄を止められなかった私の責任です。それより、今日は多忙な中お呼び立てして申し訳ございません」


(まるで他人行儀だな………)


 一花果は、心の中で苦笑した。


「いや、私こそ時間が取れず申し訳ない」


「いいえ………今日は、これを御返しする為に、お越し頂いただけですので」


 そう言うと、七は、赤い小袋から、ピンク色のハンカチを取り出して広げた。

 その中央には、かつて一花果が渡したシルバーリングがあった。


 (やはり、こう来たか)


 胸中、とても穏やかでいられなかったが、顔には出さなかった。


 二人の婚姻は、生まれた時から決まっていた。

 四条流家の子女が、下鴨分家の長男に嫁ぐのは仕来りだった。


 それを七が喜んでいないのは気付いていた。

 人づてに聞いた話では、嫁入り前に、一度でいいから兄の晴れ姿を拝みたいと、七草に頼み込んだらしい。


「どうか、お願いです。私に、学校の手伝いをやらせて下さいませ」


 必死に頭を下げたと聞く。そして、最終的に審査会への出入りを許可された。


 皆に茶を配る役目だったそうだが、会場に残っていい許可を得られたことは、最上の喜びであっただろう。


 実際、仲の良い使用妖怪に、有頂天になって話したらしい。


あに様の演説を見られる最後のチャンスですわ!」


兄様あにさまに敵う妖怪などおりませんわ」


 小さい頃からの七の口癖を、兄が一番!だった想いを知っていたからこそ、一花果は辛かった。


 「私も覚悟を決めました」


 七は、一花果のエメラルド色の瞳を、しかと見据えて話し始めた。


「兄は、浮雲小学校を、児童たちを心から愛していました。九十九番地のことも大切に思っておりました」


 七は、一言一言、噛みしめるように喋った。

 一花果は、じっと耳を傾けた。


「私は、何も知りませんでした。兄が胸に秘めた熱い想いを。あれから、兄の書斎を整理してみて、本棚から見つけた書類の中に、下界の小学校の調査書、並びに下界の事細かな情勢の報告書がありました。その中には、虐待された子供たちの成長記録も。山のように出て参りました。自殺者の九十九番地への到達率まで調べてありました。何十年も前までさかのぼって踏査して、文書にまとめておりました」


 『慈愛の七草』、その異名に偽りなど、ありはしない。

 一花果は、そのような文書を見なくとも、七代目校長の真の姿を理解していた。

 

 七草は必死に闘っていた、憤怒の念を押し殺しながら。

 それを、一花果は知っていた。


『学校が全てを担うべきだ』と、そのような下らぬ風潮に、振り回される下界の親たち。子供を捨て置く下界の実態。

親の愛さえ、教育任せなのだと、憤っていたと聞く。


彼の口癖は、こうだった。『愛は家庭から始まる。愛は、家庭の中で生きるんだ』


「私は、兄に守られてばかりの愚か者でした。だけど、いえ、だからこそ、変わろうと思います。私にしか出来ない仕事を、精一杯させて頂くつもりです。若い命が、命ある限り生きられるよう導くのが、教育において最も大切なことです。私は、最善を尽くします」


微笑む七は、無垢な娘ではなかった。

難局に立ち向かう勇断を下した、四条流家の跡目であった。


「お義兄にいさんの失踪に関しては、暗々裏の取り決めがあったそうですね。一部の者を除いては、真相を知らない。四条流家の長男は、長期に渡る極秘任務で、下界へ降りた。そして、その間は、あなたが七代目校長の代理となったと聞きました」


「ええ、そのとおりです。ですから、下鴨分家には、あなたのもとへは、私のいとこが嫁ぐことになりました」


一花果は、黙って指輪を受け取った。


「それでは、お元気で」


 七が腰を浮かした時、一花果は、一本の紅バラを差し出した。


「………別れの記念でしょうか?」


七の声に哀愁の響きを感じとって、一花果は、一縷の望みにかけた。


「バラの中を見て欲しい」


 声が震えたような気がした。


「?」


バラを覗く七を、一花果は、息をつめて見守った。


「!これは!」


 琥珀色の瞳が、ほんの一瞬でも輝いたのを、一花果は見逃さなかった。


「君が、生涯誰とも結婚しないつもりだと聞いた。私もだ。あなたのいとこには、丁重にお断りした」


 震える唇を嚙みしめて喋った。


「何ですって!?」


七が、蕾の中から転がり落ちたゴールドリングを慌ててキャッチした。

七は、まるで、宝物を抱きしめるかのように指輪を受け止めた。

その安堵した表情に、一花果への愛が感じられた。


それを見た瞬間、一花果は、胸が躍った。

七も、多少は、自分を好いてくれている。


「いざとなれば、本家から養子を貰う。弟には、既に第四子までいる。この後も増えそうだ。次男か次女を貰っても、バチは当たらない」


ちゃかして言うと、真面目な七は、急いで首を横に振った。


「いけません。あなたは、いずれ、情報班の長となる御方。血を分けた跡目が必要です。私は」


さい!」


気付けば、名を呼んでいた。


「!!」


「振ってくれるな、七。私は、ずっとあなたを思ってきた。あなたにとっては政略結婚でも、私には真実の愛だ」


 口をついて出た言葉こそが、ずっと言いたかった本心だ。

 かっこ悪くてもいい。今思いを告げなければ、一生後悔する。


 「………酷い御方。別れの場で、初めて名を呼ぶなんて」


 「!!」


 七の輝く瞳から、真珠のように光る涙が頬に転がった。


「あなたに振られるくらいなら、私は、一生あなたに片思いし続ける」


 テーブルを挟んだこの距離が、二人の運命の立ち位置だ。


 下界で暮らす保持妖怪と、浮雲に住む保持妖怪の婚姻は、禁じられている。

 結婚するなら、どちらか一方が下界へ降りるか、浮雲へ昇るか、それしか道はない。


 故に、心が通い合っても辛いだけの恋である。

 しかし、それでも良いと思えるほどに、一花果は、七を深く愛していた。


「………両想いですわ、色男さん」


「!!!」


この日、一花果は、「必ず迎えに来る」とは言わなかった。


七も、「会いに行きます」と言わなかった。


 ただ、言わずにいられなかった言葉を贈った。


「唇は奪わず行く。触れれば、きっと、さらってしまう」


自分でもキザな台詞と思ったが、その真意は、別にあった。


「あの日、私を呼んだのは、本当はお義兄にいさんだよ」


「えっ!?」


「傍に置けない女は奪えない。私も同じだ」


 敵に塩を送る気はなかったが、正直に打ち明けた。


「最初から殴られるつもりだった。私は、本当は、あなたとの結婚を認めて欲しかった。私にとって、あの人は、敬愛する義兄あにで、越えたい相手だった。私を一人の男として認めて欲しかった」


 兄を思ってか、七は泣いた。

 一花果は少し迷ったが、戸惑うように七の両手を掴んだ。


「愛しています、一花果さん」


「私もだよ。そのルビーに誓う。永久に七を愛すると」


 永遠の誓いをたてても、共に生きる約束は交わせない。

 それが、二人が選んだ道だった。


 この後、一花果は、下界の獲物情報班の鋭敏班長として名を馳せる。

 そして、七は、歴代一の切れ者と評される七代目校長となる。


 七の背を見送った後に、一花果が零した一滴の涙は、おやえだけが知っている。

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