第2話 覚子と世眠
記憶を消された日から、覚子は、笑わなくなった。
友達が欲しいとも思わなかった。むしろ、いらなかったのだ。
(嫌われて構わない。妖怪なんかに好かれたくない)
そう思って、覚子は、挨拶もしなかった。
「五香松さん、おはよう。ねえ、ご両親が亡くなられたの?だから、先生に引き取られたの?」
初めに話し掛けて来た女子は、クラスで二番目に可愛いと言われている鹿島蓮子だった。
人懐っこい顔つきで、青い瞳は、いつも楽し気に笑っていた。
家が裕福で、ヘアメイクさんを雇っている。
腰まで伸びるピンク色の髪は、常に手入れが行き届いて艶があった。
いつもブランド物の洋服を着ていたが、覚子と同じで、ワンピースの日が多かった。
そんな蓮子に話し掛けられて、嫌がる子供はいなかった。
しかし、覚子は、何も言わなかった。家族の記憶が、完全に消されていたからだ。
「………」
「ねえ、聞いてる?あなたに言ったのよ?」
蓮子は、席に座ってうんともすんとも言わない覚子を、覗き込むようにして言った。
しかし、覚子は、目が合いそうになって、慌てて逸らした。
(話し掛けて来ないでよ)
覚子の思いが通じたのか、蓮子は、傷付いた顔をして口を閉ざした。
そのやりとりを隣で聞いていた塞翁水南は、腹を立てて赤い瞳を吊り上げた。
「やな感じ!返事もしない!私たち、友達になろうと思ってるのに!」
ぷっくりした頬を赤くして唇を尖らせたが、覚子は、表情一つ変えなかった。
「………」
(そんな事、頼んでない。いらないお世話!自分の席に戻ってよ)
覚子は、何を言われても聞かれても答えなかった。
他の女子も、笑顔で積極的に話し掛けたが、覚子は、俯いたまま一言も喋らなかった。
日が経つうちに、クラスの女子たちは、覚子を非難するようになった。
「あの子って、陰気すぎない?」
「いっつも、むすっとしてる。きっと、私たちと喋りたくないのよ。もう、ほっとこう」
わざと聞こえるように言っていたが、悪口を聞いて、覚子は、ほっとした。
(そうよ、もう、ほっといて。私には、話せる思い出がないんだから。あなた達と違うのよ。何も覚えていないんだから……)
唯一覚えているのは、下界の記憶なので、ボロが出れば、人間だった事がバレてしまうのだ。
覚子は、それが怖かった。
五香松先生が、事実を伏せて「親戚の子」と紹介してくれたので、誰もが覚子を保持妖怪だと思って疑わなかった。
その点は安心できたが、困った事に、覚子は、空が飛べなかった。
それは当たり前だが、保持妖怪の子供は、三歳になったら飛翔できるのだ。
(空を飛ぶなんて怖いけど、練習しなくちゃ。皆に疑われちゃう)
五香松先生は、覚子の飛翔能力は、生まれつき低いのだと上手に説明したので、クラスの子たちは十分理解して、覚子をバカにする事はなかった。
しかし、いつまでたっても飛べなければ、怪しまれてしまう。
(頑張らなくちゃ。頑張る事しか出来ないんだから)
覚子は、休み時間は、大抵図書室で過ごした。
色んな本を読んで、知識を増やそうと努力したのだ。
声を出さない覚子に近付く女子は、日に日に減って、誰も声を掛けなくなったが、三宝だけは、諦めなかった。
三宝は、毎日トライし続けた。
けれど、場を和ませる事に自信のある三宝でさえ苦心した。
四月は、自信満々だったのだ。
兄弟の多い三宝は、はにかみ屋の警戒心を解くのに慣れていた。
けれど、五月、六月と経つうちに、事態は悪化していった。
覚子は、ワンピースを好んで着ていたが、ズボンしか履かなくなったのだ。
艶のあるストレートヘアも、バッサリ切って、ぎりぎり肩に届く程しかなくなった。
そして、その原因を作ったのが、幼馴染である。
「世眠!!何て事してくれたのよ!」
「な、何がだよ」
ある晩、老舗焼鳥のカウンター席で、世眠は怒鳴られた。
「私が欠席した日、あの子を、からかったでしょ!」
店に飛び込んで来た三宝は、怒り心頭で、既に半狼姿だった。
銀色の目は、ギラギラ光って、犬耳が、ピンッと尖っていたので、世眠も焦った。
(こいつ、マジで噛み付くんだよ。どうしよ、全治二週間で済むかな)
「か、からかってない」
「嘘おっしゃい!あんたが、パンツ見えたなんて言ったから、スカートを履かなくなったのよ!」
「う、嘘じゃない。し、親切に教えてやっただけだ」
世眠は、目が泳いで、たじたじになった。
「その口、縫ってやりたいわ!蓮子から聞いたのよ!」
「な、何をだよ」
世眠は、激しい剣幕に気圧されて、口調まで、たどたどしくなった。
蓮子の情報は、正確に伝わっていた。
世眠は、昼休み、自主的に飛行練習をしていた覚子を見つけて、校庭のド真ん中で叫んだのだ。
『おーい、パンツ丸見えだぞー!』と。見えてもないのに、気を引きたいが為に嘘をついたが、悪気はなかった。
しかし、校庭で遊んでいた男の子たちが、それを聞いて爆笑したのだ。
覚子は、顔を真っ赤にして着地すると、泣きながら保健室に逃げ込んだ。
女の子たちは、「世眠くんのスケベ!」「ヘンタイ!」と罵った。
その一部始終を見ていた、クラスで二番目に可愛い鹿島蓮子が、三宝に告げ口したのだ。
走り去った覚子を見て、世眠も深く反省して必死に後を追った。
やり過ぎた、謝ろう、そう思って開け放たれた保健室に入ろうとした時、トイの声がしたのだ。
「大丈夫、パンツなんか見えてなかったよ。頑張って練習してたのに、酷いね。僕は、覚子ちゃんが頑張ってる姿を見ると、勇気が沸いて来るんだ。僕も、本当は、知らない場所で暮らすのは不安だけど、覚子ちゃんは、僕なんかよりずっと大変でしょ?でも、努力を諦めない。尊敬してるんだ。良かったら、僕と友達になってくれる?」
三宝と世眠、トイの三人は、覚子の事情を知っている。
トイも、覚子と同じく未練を残して亡くなった為、浮雲に迷い込んでしまった。
ただ一つ違う所は、トイの亡くなった両親は、下界で暮らす妖怪だった。
生前、トイは、妖怪の子供だったのだ。
「うん!!」
覚子が初めて見せた笑みを視界に入れて、世眠の胸はずきりと痛んだ。
棒立ちになって、動けなかった。
「僕の事は、トイって呼び捨てでいいよ」
「分かった。今からトイって呼ぶね」
仲睦まじく話す二人を、これ以上は見たくなくて、世眠は、くるりと背を向けて教室に戻った。
「俺だって、俺だって、友達になりてえよ」
しょんぼりして廊下を歩きながら、溜息を吐いて教室に入った。
世眠が、肩を落として窓際の席に座ると、仲良く喋りながら入って来る二人が見えて、思わず俯いた。
(あーあ、ぜってえ、嫌われた)
キーンコーンカーンコーンと、チャイムが鳴っても、隣同士の二人は、にこやかに微笑んでいる。
世眠には、無情なチャイムが、絶望の鐘の音に思われた。
その日から、目も合わせて貰えなくなったのだ。
世眠は、心から謝ろうとしたが、先手を打たれて早々に挫けてしまった。
「あなたなんて、大嫌い。近寄らないで」
初恋の女の子は、俯いたまま、きっぱりと言ったのだ。
この言葉は、想像を絶するトラウマになったが、自業自得である。
世眠の途轍もなく深い反省と、永遠と思われるような絶望を知らない三宝は、世眠に飛び掛かろうとしが、五老次郎が、やんわりと止めた。
「三の嬢ちゃん、お待ちなせえ。坊ちゃんは、昔から不器用な所が、ありやすからねえ」
「次郎さん、でも」
三宝が何か言う前に、五老次郎が口を開いた。
「坊ちゃん、嬢ちゃんには、優しくしておやんなせえ。人間ってぇのは、強がりでしてね。寂しがり屋な生き物なんですぜ。思い出話にゃ付き合うのが、粋な保持妖怪ってもんでさァ」
何かにつけ、世眠は、そう言われている。
今夜は、このタイミングで言われてしまった。
「付き合うも何も、あいつ、俺のこと嫌ってるから、おはようも言わないぜ、師匠」
老舗焼鳥のカウンター席で、世眠は、お決まりの愚痴をこぼした。
「そりゃあ、いけやせん。坊ちゃんが冷たいからですぜ」
「冷たくなんかしてない!ただ、ちょっと………パンツ見えたの、言っただけで………意地悪はしてない………」
三宝の言い分が正しいと、五老次郎は、ちゃんと知っている。
甘味処『夜桜』の二代目おかみ、お冬さんから聞き及び、先刻承知之助なのだ。
五老次郎が、穏やかな口調で世眠を諫めるのを聞くうちに、三宝は落ち着きを取り戻して犬耳は消えた。銀目も、茶色に戻った。
それを見て、五老次郎が、すかさず記憶焼鳥を差し出した。
「嬢ちゃんとは、喋れやしたか?」
五老次郎が、優しく尋ねると、三宝は、力なく小首を横に振った。
「ううん、一度も。トイくんとは仲良く喋ってるの。でも、トイくんが休んだ日の休み時間は、トイレに籠城しちゃうし。昼休みは、図書室に逃げ込んじゃう。図書室で喋ると、注意されるから、声を掛けられないの。私、ひそひそ声が苦手だから………」
五老次郎は、可哀そうに思いながらも、忍び笑いを浮かべた。
三宝の愚痴り場は、たいていが、老舗焼鳥だ。
そこに居合わせる世眠は、毎回しっかり叱られている。
「あんたも、何か考えなさいよ。あの子が、髪を切ったのも、あんたのせいでしょ」
三宝が目を吊り上げると、焼鳥を頬張っていた世眠は、心外だという目つきで三宝を見た。
「蓮子から聞いたのよ。髪の長い女はエロいって、バカげた作り話を言い広めたのは、あんただって!」
五老次郎が、ちらりと世眠を見た。
その目が珍しく鋭かったので、世眠は、慌てて言い訳した。
「あれは、四位竹が言ったんだ」
「四位は、三歳よ?」
見た目は可愛い犬耳が、再びピンッと尖ったので、世眠は、ぎょっとして言い訳した。
「二羅兄から教わったらしいぜ」
「お兄様が、そんな下品なことを言うわけないでしょ!」
茶色い瞳も、再び銀色に変わった。
世眠は、冷汗をかいたが、今度は開き直って強気に出た。
「俺が嘘ついてるって言うのか!?」
「他に誰がいるのよ!?」
今度こそ、取っ組み合いの喧嘩になりそうだった。
その時、運よく御客が来店したのだ。
「へいっ、らっしゃい」
男は生霊だったので、二人は、ひとまず空中浮遊して、客の死角に留まった。
「あいつが帰るまで一時休戦な」
「帰ったら噛み付いてやるから!」
三宝は、銀目を険しく光らせて、白く鋭い牙をのぞかせた。




