16. 覚子《かくこ》の下界実習 初日2
東京都墨田区、東京スカイツリー;ここは、覚子にとっては、未来。
しかし、その美青年にとっては、現在である。
「何、遊んでんだ、覚子。早く元に戻れ」
覚子は青年を見上げた。
美しい顔立ちに、緑の瞳が色を添えて、はっとするほど、かっこいい。
背も高く、すらりとして、誰が見てもハンサムだ。
「本物の、人間みたい」
「は?」
「もしかして、あなたも、保持妖怪ですか?」
覚子には、この素敵な青年が、世眠と結びつかなかった。
「どうして、私の名前を知ってるんですか?」
覚子が小首を傾げると、青年が美顔を曇らした。
「覚子………昨日の遊園地でのこと、やっぱ怒ってンだな」
「え?」
「あれは、俺が悪かった。いや、でもよ、俺たち付き合って一年になるだろ。手ぐらい繋いでもいいかなって思ったんだよ」
覚子は、びっくり仰天した。この男は何をいっているのか。
「はい?付き合ってる!?誰と誰が!?」
覚子に悪気は全くない。分からないから聞いた、ただそれだけだ。
しかし、世眠は、天地が引っ繰り返るほどのショックを受けた。
「まさか、これまでの事、全部なかった事にする気か?」
世眠のガラスのハートは、成年後も変わらず、恋愛に関してのネガティブ思考も改善されていない。
「なかった事って何を」
「別れるなんて言うなよおお!」
突然、青年が叫びながら抱きついてきた。
べそをかく見知らぬ男性に抱き締められて、覚子は、驚愕のあまり、
ベッチン!!!
両手で、青年の頬を挟み打っていた。
「ちっ、痴漢うううう!!!」
青年の腕が緩んだ隙に、覚子は逃げ出した。
「ま、待ってくれ、覚子!!」
「いやああ、ロリコンうううう!!!」
覚子は、ガラスの床を蹴って、真っすぐ天井を擦り抜けた。
因みに、実習中は擦り抜け禁止である。
しかし、そんな事を気にしている場合ではない。
翔け込んだ先は、展望回廊。未来に来ても、GW初日で、東京スカイツリーは、人で埋まっていた。ロリコン痴漢の魔の手から逃れるには飛ぶしかない。
(何で追って来るの?引っ叩いたから怒ってる!?)
「覚子ーー!!」
「やだああ、変態いいいい!!!」
世眠のガラスのハートは、粉砕寸前だった。
飛翔速度も落ちて、二人の距離は一向に縮まらない。
そこへもって、最後の爆弾が落とされた。
「来ないでえええ、あなたなんか大嫌いいいい!!!」
ガラスのハートは、粉々になった。
覚子は、空中で停止した世眠に気付かず、死に物狂いで飛び続けた。
その飛翔速度は、十秒間約二百メートル。展望回廊を二周した。よって、
「覚子!」
停止中の世眠の腕にダイブ!と思われたが、窮鼠猫を噛む!
「ウォーリング・ダブル・ヒット!!」
「うおっ!」
世眠の顔面に、旋回する物体が、バンッバンッ!!と、二つも激突した。
その衝撃で世眠は吹き飛び、ガラス窓で全身を強打した。
バーンッと、凄まじい音が辺りに響くほどの威力だった。
ガラスの付近では、
「何、今の?」
「地震ちゃう?」
怖がる女子大生の声に混じって、大騒ぎする子供の歓声が起きてしまった。
「カバンが空とんだー」
「早かったー」
「ぴゅーんぴゅーん」
「あんこーるー!」
更には、持ち主たちの悲鳴も上がっていた。
「私のバッグがああ!」
「俺のリュックが盗まれた!」
「………マジかよ」
世眠は、急いで防霊試験管を取り出した。
「これ以上、騒ぎになったらやべー。あいつ、何考えてんだ?こんな大勢人がいる所で、あんな大技使いやがって」
世眠は、記憶を盗むべく、飛び回った。
その隙に、覚子は、逃亡していた。
「五香松先生、助けて」
覚子には、一欠片の余裕も無かった。
飛んで逃げて、擦り抜けて飛んで、行き付いた先が、タワーの天辺だ。
突き破るようにスカイツリーの最高到達点と、ゲイン塔を擦り抜けて、タワーの外に飛び出していた。
「たっかあ」
まさしく、ここが六百三十四メートル地点。
人間が立てない場所である。
「うう、何で、こんな目に」
両目に涙が溜まった時、 ロリコン変態痴漢が現れた。同じく宙に浮いている。
「や、来ないで」
覚子の青白い頬に涙が伝う。
その時、世眠が右手を差し出した。
「これ、三宝がやったヤツだよな?」
親友の名前に、涙が止まった。
「トラランちゃん!」
青年の指先には、三宝がくれた虎のキーホルダーが、ぶら下がっていた。
三宝が、初めてくれた宝物だ。
「昔のおまえ、肌身離さず持ち歩いてたな」
世眠が事の次第を理解できたのは、ついさっきだ。
覚子が、旋回倣術の応用編、旋回二重打撃ウォーリング・ダブル・ヒットを編み出した時に落としたキーホルダーが助けとなった。
「何だ、これ」
拾って裏返すと【LOVE KAKKO】の文字が目に映った。
「まさか、あいつ」
元に戻らないのではなく、あの姿が元なのだと、遅いながらも気が付いた。
「これを持ってるって事は、覚子じゃねえ。おまえ、カッコだろ?このキーホルダーは、卒業時に、おまえの身代わりで消滅したんだ」
青年が言う事は、一ミリも理解できない。でも、もし三宝の知り合いならば、
「どなたですか?」
その質問には、すっ飛んで来た黒髪の美女が、答えてくれた。
「世眠くん!何、遊んでるの?手伝ってくれるって、言ったのに!世眠くんが遊んでる間に、ターゲットが水族館に移動したよ!」
「わりい、ってか、おまえが迷子になるから、ややこしい事になったんだよ、覚子」