14. 悪女・女雛《めびな》の嘘
「あの三名は、強制送還させるべきです!」
教頭の、炎の宮八幡は、校長に訴えた。
西助が誘拐されたことが判明して、職員室では、高学年の先生を呼び集め、緊急会議が開かれた。
校長先生は、すぐさま『夜桜』に電話をして、絶対奉公屋お冬に、西助の奪還を依頼した。
誘拐犯が捕まらないうちは、児童を下界へやるべきではないと主張する先生もいた。それが、六年二組の担任、梅桃女雛である。
「まだ、石蕗君の安否も確認できておりませんのに。私、不安ですわ。私は、クラスの子供たちを、我が子と同じに思っておりますもの。もし何かあったらと思うと、心配で心配で。きっと夜も眠れませんわ………」
悲し気な表情を作って、熱い想いを切々と述べた。
その真っ赤な嘘は、他の先生たちの心に響いた。
特に五年の先生たちは、一斉に賛同した。
「女雛先生の仰られる通りです」
「本当に、女雛先生は教師の鏡ですわ」
「子供たちも、いつも言っていますよ。綺麗で優しい、自慢の先生だって」
「ま、まあ、そっ、そんな、大げさですわ。それに、私は、ただ本音を言っただけです」
恥ずかしそうに頬を染め、謙遜して微笑む先生が、実は、とんでもない悪女だったと分かるのは、まだ少しだけ先である。
と、そこへ、事務員の五覇四重が、大きな水鏡を抱えて職員室まで走って来た。
「報告します。下界五面鏡で隈なく探しましたが、どの鏡にも児童三名は映りませんでした」
「そんなわけがないでしょう!」
教頭先生が、罪のない事務員を思い切り叱り飛ばした。
「で、ですが、本当に映りません………」
五覇四重は気の弱い男だが、ビクビクしながらも正直に答えた。
「おどきなさい!私が見ます!」
教頭先生は、水鏡を奪うように取り上げ覗き込んだ。
すると、一枚の紙が、正面に浮かび上がったのだ。
『Dear 大好きな八幡おばさま
証拠、改竄しちゃった♪ ごめんね(爆笑)
By 二羽』
下界に住む姪の仕業と分かった途端、炎の宮先生は、頭から湯気を立てた。
「ふっ、二羽あああ!!!」
校則違反を犯した三名、世眠・三宝・覚子は、今この時刻、浮雲小の校庭にいる事になっていた。
「炎の宮家の御息女は、才媛美女と聞き及んでおりましたが、本当ですね。こんな素晴らしい鏡術者は見たことがありません」
事務員の心からの誉め言葉は、今の炎の宮先生にとって、大変な嫌味であった。
すっかり青ざめた炎の宮先生は、校長先生に平身低頭して詫びた。
「姪がしでかした違法鏡術は、不徳の致すところ。全ては、私の責任です。処分は如何様にも」
校長先生は苦笑した。
「炎の宮先生、あなたも、姪には甘いのね。処分は必要ありません。それから、違反した児童たちの実習を続行させます」
職員室に集まっていた先生たちは、予想外の決断に驚いた。
「各先生方、今年の下界実習では、異例が継起し、戸惑われていることでしょう。しかし、力を合わせて乗り越えましょう。微笑みをもって、児童たちを送り出して下さい。何か問題が起きても心配いりません。下界には、私たちの味方が大勢います。それに………」
校長先生は、言葉を区切って、先生たちを見回した。
「実は、子供たちだけではなく、皆さんにも内緒にしていた事なのですが、今回の実習は、監視員を各児童に二名つけました。ですから、水鏡の一件など、取るに足りない心配です」
校長先生の頼もしい弁舌で、問題児三名の処遇は決まった。
何より、監視員が二人もついているというのを知って、先生たちは喜んだ。
担任の五香松先生も、ほっと胸をなでおろした。
しかし、本物の悪女、梅桃女雛だけは、心の中で舌打ちした。
(くそ忌々しい女だわ。監視員を二人もつけただなんて!邪魔者が増えたじゃない!こんな女、先に消しとけば良かったわ)
時刻が午後八時となった時、悪女の演技は始まった。
その時、残業している妖怪教諭は、上級生受け持ちの先生たちばかりだった。
「男雛!男雛!」
ミディアムヘアの妖怪教諭が、東校舎の廊下を飛び回っていた。
「どうかされましたか?女雛先生」
「五香松先生!」
女雛の両目は血走って、唇が戦慄いていた。
「じ、児童が、お、男雛のクラスの、鹿島蓮子がいるのです、私の教室に!」
五香松先生は、目を丸くした。
「お、落ち着きましょう」
そういう先生も、目に見えて動揺していた。
「夢でも見られたのでは?」
気が動転して、思わず口走ってしまった。
すると、いつもは物静かな妖怪教諭が、大声を上げたのだ。
「私を馬鹿にしているの!?夢なものですか!掃除道具入れの中で眠っていたのよ!今までずーーっとね!」
心痛あふれる金切り声は、南校舎にまで木霊した。
生憎、校長先生と、教頭先生は、学校権威会へ昼間の報告へ出掛けていた。
職員室に戻って来た時には、午後九時を回っていた。
「男雛が………男雛がいないんです。睡眠薬を、自分のクラスの子に飲ませて、わ、私のクラスの掃除道具入れに隠していたんです。つ、罪を残して、消えてしまったんです」
気丈な女雛が、むせび泣きながら校長先生に訴えた。
職員室に集まった先生たちは、俯いたり溜息をついたり、全員、疲れ切っていた。
何より、ショックを受けていた。
なにぶん、男雛先生は、児童だけでなく保護者にも好かれている、心優しい先生だ。それが、今回の大事件。
昼間の誘拐事件から始まって、信頼していた先生の裏切りと失踪。
鹿島蓮子の保護者には、事務員の五覇四重が、すぐさま連絡を入れ、迎えに来て貰った。
叱られるのを覚悟で待ったが、蓮子の父親は何も言わなかった。
ただ、ぼそっと呟いたのだ。
「悪女の事は、お冬さんから聞いてるよ」と。
「え?今、何と?」
聞き取れず尋ね返すと、父親は黙って会釈した。
そして、娘を抱きかかえて、保健室を退出した。
先生たちは、一時間近く、手分けして探し回ったが見つけられなかった。
校内から近隣を隈なく探し、出城ヶ丘を降りて、町にまで捜索範囲を広げたが、どこにもいなかった。
下界通過事務局にも連絡したが、日華門から出た者はいないと折り返し電話があった。
皆、疲労困憊であった。
「皆さん、今日は、本当にお疲れ様でした」
校長先生が、微笑みを浮かべて、ねぎらった。
「今晩は、もう休んで下さい。明日の早朝、また集まりましょう」
先生たちは三々五々解散したが、校長先生だけは残って、校長室で教頭先生を待った。
「大した悪女ね。すっかり騙されていたわ。平和ボケというのかしらね」
呟いていると、上町から戻って来た教頭先生が、ドアをノックして入室した。
「やられましたね」
開口一番そう言った。先生の耳にも、しっかりと真実は入っていた。