1・ 五香松《ごこうまつ》先生と、五老次郎《ごろうじろう》さん
お盆の森と、赤目守りを救え!の登場キャラクター、トイを、本当は死なせたくなかったけど、ストーリー上、成仏させてしまったので、浮雲九十九番地で幸せになって貰う話に変えました。
もし、未完成のまま賞に応募する事があったら、途中で連載が止まるかもしれないのですが、新キャラを交えての新ストーリーに、少しずつ変えようと思っています。
「今日は、『人間の美味しい食べ方』を勉強します。皆さん、予習してきましたか?」
五香松先生の問いに、右手が五つ上がった。
「では、世眠くん」
名前を呼ばれた児童は、嬉しそうに立ち上がった。
「首をちょん切って、両耳を引き千切ります」
誇らしげに答えたが、ほとんどの女子が反対した。
「えー、ちがうよー!」
「何で切るの?後始末は、どうするの?」
「ありえなーい!血がつくー!」
教室が大騒ぎになる前に、先生は、次の子を決めた。
「そうですね、違います。では、三宝ちゃん」
あてられた女子は、にこやかに立ち上がって答えた。
「目の玉に、鉄のストローを突き刺すんです。そこから、脳みそを吸い出します」
ブーイングがなかった。
教科書の模範解答より支持されるのは、おもしろ回答だ。
「いいな、それ!なんか、イケてんじゃん。でもよぉ、目ン玉じゃなくて、頭の天辺にぶっさせばよくね?」
三宝の隣の男子が、挙手もせず喋った。
すると、他の子供たちも、めいめい勝手な意見を述べ始めた。
「斧で叩き割れば?一番てっとり早いわ」
「馬鹿ね、後片付けが大変よ。舌を引っこ抜くの」
「わい、一度でええから、足を食うてみたいねん。俊足の奴な。遅いのは、いらんわ」
「あたしは、手がいい。最近の下界は、外人も、うようよいる。国によって味が違うのよ。選び放題ね」
いまや黒板を見ている児童は、一人もいない。いや、二人だけいた。
先生は、溜息を吐きたいのを、ぐっと我慢して制した。
「はいはい、静かにー。静かにしなさーい!どれも不正解です。これ以上喋ると、罰掃除させますよー」
戒は、てき面だった。
五香松先生の罰掃除は、浮雲小学校で有名だ。
もはや、伝説級の罰ゲームである。
『保持妖怪とは』
黒板の真ん中を、その六文字が陣取った。
チョークを置いた先生が、ぐるりと教室を見回して、空恐ろしい笑みを投げ掛けた。
「知っているのに白を切った皆さん、ええ、そう、あなた達ですよ。飛び切りの宿題を出しますからね」
ゲッーーという悲鳴が、二つほど上がった。他は全員、青ざめた。
「三、四年生の復習をします。第一章を開いて。教科書を一から読みましょう。では、覚子さん、最初の行をどうぞ」
指名された少女は、しぶしぶ立ち上がり、声に出して読み始めた。
「保持妖怪は、由緒正しき古来妖怪と異なり、人間の記憶を食す変異妖怪である。我々の食べ物は、人間の記憶なり。人肉を食す事は禁ずる。故に、あやめてもならない」
読み終わった時、少女は、ほっとした。
この美少女と、その隣の席の美少年だけは、初めから教科書を開いて、微動だにせず俯いていたのだ。
「ありがとう。覚子さん」
先生は微笑むと、改めて教室を見渡した。
「いいですか、人を殺してはいけません。私たちは、そう、言うなれば、怪盗に近いのです。人の記憶を盗み、それを食する妖怪、それが私たち保持妖怪です」
子供たちは、熱心に聞くふりをしていたが、中には小声で不平を言う子もいた。
「ちぇっ。人食い鬼に生まれときゃ良かったぜ」
我が強い女子などは、堂々と言った。
「つまんなあーい。親戚のお兄ちゃまが教えてくれたのに~。人を呪い殺すの、すっごく面白いんだって~。私も、怨霊の一族に生まれたかった~」
この日、六年三組では、格別素敵な宿題が出された、二人を除く全員に。
生前、覚子は、人間だった。
迷って逝きついた先が、この浮雲九十九番地だ。
美味しそうな焼鳥の匂いを辿って、藍色の暖簾をくぐると、パンチパーマのおじいさんがいたのだ。
「へい、らっしゃい、お客さん」
白髪頭に、ピンクの前掛け、それが、不思議と似合っていた。
「おっ、珍しいねえ。小学生の御客さんたあ、店も、名が通ったかね」
老いた優しい眼差しで、覚子を見た。
覚子は、咄嗟に逃げようとしたが、後ろの常連客に押し返された。
「うわっ」
こけかけて店に入ると、逃げるタイミングを失った。
「おやじさん、また来たよ」
「へいっ、らっしゃい、旦那。奥さんは帰って来やしたかい」
「いやあ、今回は大揉めだったよ」
でぶっちょのおじさんは、白いハンカチで額の脂汗を拭きながら、カウンターに腰かけた。
一度逃げるタイミングを失うと、なかなか次が難しい。
それも、空きっ腹とあっては尚更だ。
「嬢ちゃん、初来店はサービスだ」
焼鳥を出されて、覚子は、カウンターに座った。
「嬢ちゃん、四十九日は終わったね。間違いないでさ。あっしの店に迷い込むってぇのは、そういうことですぜ。ここは、浮雲の一番端、九十九番地の入り口ですからねぇ」
浮雲は、地獄と極楽の狭間を彷徨い浮かぶ巨大な雲だった。
「私、どうすればいいの?」
消え入る声で尋ねると、焼鳥屋の店主、五老次郎さんが助けてくれたのだ。
「四十九日が過ぎちまったら、極楽道には戻れん決まり。五香松の姐さんに、一つ頼んでみやしょう。九十九番地は、保持妖怪さまの下町だ。折よく小学校もある」
「ほんとう?ありがとう、焼鳥のおじいちゃん!」
五老次郎さんには感謝しているが、妖怪相手に暮らすのは骨が折れる。
「覚子さん」
図書館に向かう途中、覚子は、廊下で呼び止められた。
「今夜は、職員会議で遅くなるわ。夕飯は、昨夜の記憶カレーでいいかしら」
「はい」
「二日続けて悪いわね」
「カレーは、二日目の記憶が美味しいですから」
「そうね。では、戸締りに気を付けて」
くるぶしまで流れる黒髪を翻して、五香松先生は歩いて行った。
あの日、五老次郎さんに書いて貰った手紙を持って、浮雲小学校に行くと、ちょうど五香松先生がいた。
「これも何かの縁ね」
そう言って、覚子を引き取ってくれたのだ。
白髪の五老次郎さんが、姐さんと慕う人物なので、年齢は分からない。
しかし、本当に妖怪なのかと疑いたくなる美貌だ。
なぜ独身なのか、ときどき不思議に思う。
家族と呼んでいいのか分からない。
けれど、浮雲九十九番地で、唯一の保護者で間違いない。