失恋2
「……あのね。ひとつだけ聞いてもいい?」
「はい。ひとつと言わず、いくつでも遠慮なくどうぞ」
いつものお茶目な冗談に、つい笑ってしまう。けれど笑みは儚く消えた。ずっと尋ねたいと願いながら、怖くて口に出せずにいた疑問を言葉にのせる。
「鷹野。あなたにとって、私はこの七年の間に一度でも――……」
言葉が途切れる。この先を告げるのには、椿にとって途方もない勇気が必要だった。
(でも、この機会を逃せば二度と聞けない)
ありったけの勇気を振り絞り、怜司をまっすぐ見据えた。
「……――心から仕えるに足る、自慢のお嬢様になれた……?」
鼓動が逸り、心臓が痛いほどだった。無意識に拳を握り締めると、怜司が近付いてくる。初めて出会った日と同じように目の前で跪き――椿の拳を、両手でそっと開いた。
「緊張した時に拳を強く握る癖、治りませんね」
困ったように微笑んで、労わるように掌を撫でる。優しく手を放すと、彼は腰を落としたまま答える。
「あまりに的外れなことをお尋ねになるので、拍子抜けしました。初めてお会いしたあの日からずっと、私にとって心から仕えるに足る、自慢のお嬢様ですよ」
「!」
「お嬢様と共に過ごしたこの七年は、私の人生の中で最も充実していました。お嬢様に出会えたこと、そしてお仕えできたこと、光栄に思いますよ。生涯忘れることはございません」
「本当? ふふ。ずいぶん大袈裟ね……」
椿は肩を揺らして笑った。心がまたとない幸福に満たされるのを感じながら、怜司への行き場のない愛おしさが溢れてきて仕方がなかった。
七年に渡る片思いは、一度も報われることがなかった。それでも十分過ぎるほど、怜司の真心を受け取ったと思う。
不意に涙が一筋流れた。
「っごめんなさい。目にゴミが入ってしまったみたい」
あえて笑いながら、堪えきれずに零れてしまった涙を手の甲で拭う。怜司が立ち上がり、ハンカチを差し出してきた。微かに震える手で受け取り、瞼を押さえた。
「――椿様は本当に、嘘が下手ですね」
気付けば、怜司に抱き寄せられていた。後頭部に掌が添えられ、彼の胸に顔が埋まる。驚いて体を硬直させると、耳に焦れた声が降ってきた。
「昔から、貴女に泣かれるとどうしたらいいのか分からなくなる。涙を止める術も持たないのに、お側を離れ難くて、役立たずのままこうして貴女に寄り添うことしかできない。それがとても歯痒い……」
背中に回された手に、守るように力が込められる。長い沈黙の後、彼は小さく囁いた。
「お嬢様。私は――」
いつになく熱っぽい声色だった。彼の表情を確かめたかったが、胸に抱き込まれていて叶わなかった。
胸の内で高鳴る心臓を持て余していると、怜司はそっと体を離した。椿は急いで顔を上げたが、彼はもういつもの穏やかな微笑を浮かべていた。
「……今、何を言おうとしたの?」
「何でもありません。お忘れください」
「そんな! 言いかけてやめられたら気になるわ」
「大したことではございませんよ。いつものくだらない冗談を思いついただけです」
やんわりとした態度ではあるが、これ以上口を割る気がないという強い意思が伝わってくる。椿は言葉の続きを聞き出すのを諦め、屋敷の方へ体を向けた。
「もうすぐこの屋敷ともお別れね。さすがに感傷的になるわ」
さあっと春の風が吹いて、桜の花びらがひらひらと舞い散ってく。靡いた長い髪を軽く手で押さえ、怜司に向き直る。
「……少し一人になりたいから、しばらく下がっていてくれる? お父様に心配を掛けないよう、部屋に戻る時には声を掛けるわね」
「かしこまりました。離れた場所で控えておりますので、ご用命の際はお知らせください」
「ありがとう。また後で」
彼が一礼して離れていく。たくましく、愛おしい背中を瞼に焼き付けながら、心の中で別れを告げる。
(さようなら鷹野。私の長い初恋も、これでおしまいね)
怜司に顔が見えないように屋敷側に背中を向け、溢れ出した涙が止まるまで、庭にひとり佇んでいた。