表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

6/38

失恋2


 「……あのね。ひとつだけ聞いてもいい?」


 「はい。ひとつと言わず、いくつでも遠慮なくどうぞ」


 いつものお茶目な冗談に、つい笑ってしまう。けれど笑みは儚く消えた。ずっと尋ねたいと願いながら、怖くて口に出せずにいた疑問を言葉にのせる。


 「鷹野。あなたにとって、私はこの七年の間に一度でも――……」


 言葉が途切れる。この先を告げるのには、椿にとって途方もない勇気が必要だった。


 (でも、この機会を逃せば二度と聞けない)


 ありったけの勇気を振り絞り、怜司をまっすぐ見据えた。 


 「……――心から仕えるに足る、自慢のお嬢様になれた……?」


 鼓動が逸り、心臓が痛いほどだった。無意識に拳を握り締めると、怜司が近付いてくる。初めて出会った日と同じように目の前で跪き――椿の拳を、両手でそっと開いた。


 「緊張した時に拳を強く握る癖、治りませんね」


 困ったように微笑んで、労わるように掌を撫でる。優しく手を放すと、彼は腰を落としたまま答える。 


 「あまりに的外れなことをお尋ねになるので、拍子抜けしました。初めてお会いしたあの日からずっと、私にとって心から仕えるに足る、自慢のお嬢様ですよ」


 「!」


 「お嬢様と共に過ごしたこの七年は、私の人生の中で最も充実していました。お嬢様に出会えたこと、そしてお仕えできたこと、光栄に思いますよ。生涯忘れることはございません」


 「本当? ふふ。ずいぶん大袈裟ね……」


 椿は肩を揺らして笑った。心がまたとない幸福に満たされるのを感じながら、怜司への行き場のない愛おしさが溢れてきて仕方がなかった。


 七年に渡る片思いは、一度も報われることがなかった。それでも十分過ぎるほど、怜司の真心を受け取ったと思う。


 不意に涙が一筋流れた。


 「っごめんなさい。目にゴミが入ってしまったみたい」


 あえて笑いながら、堪えきれずに零れてしまった涙を手の甲で拭う。怜司が立ち上がり、ハンカチを差し出してきた。微かに震える手で受け取り、瞼を押さえた。 


 「――椿()()は本当に、嘘が下手ですね」


 気付けば、怜司に抱き寄せられていた。後頭部に掌が添えられ、彼の胸に顔が埋まる。驚いて体を硬直させると、耳に焦れた声が降ってきた。


 「昔から、貴女に泣かれるとどうしたらいいのか分からなくなる。涙を止める術も持たないのに、お側を離れ難くて、役立たずのままこうして貴女に寄り添うことしかできない。それがとても歯痒い……」


 背中に回された手に、守るように力が込められる。長い沈黙の後、彼は小さく囁いた。


 「お嬢様。私は――」


 いつになく熱っぽい声色だった。彼の表情を確かめたかったが、胸に抱き込まれていて叶わなかった。


 胸の内で高鳴る心臓を持て余していると、怜司はそっと体を離した。椿は急いで顔を上げたが、彼はもういつもの穏やかな微笑を浮かべていた。


 「……今、何を言おうとしたの?」


 「何でもありません。お忘れください」


 「そんな! 言いかけてやめられたら気になるわ」


 「大したことではございませんよ。いつものくだらない冗談を思いついただけです」


 やんわりとした態度ではあるが、これ以上口を割る気がないという強い意思が伝わってくる。椿は言葉の続きを聞き出すのを諦め、屋敷の方へ体を向けた。


 「もうすぐこの屋敷ともお別れね。さすがに感傷的になるわ」


 さあっと春の風が吹いて、桜の花びらがひらひらと舞い散ってく。靡いた長い髪を軽く手で押さえ、怜司に向き直る。


 「……少し一人になりたいから、しばらく下がっていてくれる? お父様に心配を掛けないよう、部屋に戻る時には声を掛けるわね」


 「かしこまりました。離れた場所で控えておりますので、ご用命の際はお知らせください」


 「ありがとう。また後で」


 彼が一礼して離れていく。たくましく、愛おしい背中を瞼に焼き付けながら、心の中で別れを告げる。


 (さようなら鷹野。私の長い初恋も、これでおしまいね)


 怜司に顔が見えないように屋敷側に背中を向け、溢れ出した涙が止まるまで、庭にひとり佇んでいた。

 


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ