第4章4話 墓参りと結婚話
その日の夜、俺は行動を起こす。アスカリの夜は特に寒く、冷たい風が屋敷の窓を叩いてる。俺は厚手の黒いコートを羽織り、襟を立てて伯爵家の屋敷を出た。屋敷の中は暖炉の火で暖かいが、外に出ると一気に冷気が体を包む。石畳の道に霜が降りてて、歩くたびに微かな音が響く。アカンサに事前に話してたから、門番から通行許可をもらうのは簡単だった。門を抜けると、街の灯りが遠くに揺れて見える。俺は街の中を歩き出した。以前と何も変わらねえ風景が広がってる。
「懐かしいな……」
この街を出てから、もう4年くらい経つ。石畳の道沿いに並ぶ木造の家々、軒先に吊るされた灯りが風に揺れ、遠くで聞こえる夜更けの商人の声。あの頃の記憶が頭をよぎり、胸の奥が少し疼く。冷たい風が頬を撫で、吐く息が白く舞う。街角の小さな広場には、昔よく座った石のベンチがそのまま残ってる。そこに座ってた先生の姿が一瞬浮かんだが、すぐに消えた。俺は花屋に立ち寄った。店先には色とりどりの花が並び、暖かい灯りが漏れてる。彼女の好きだった白いユリの花束を買った。花屋の店員は知らねえ顔で、ぶっきらぼうに金を渡すとユリを包んでくれた。昔の知り合いじゃねえ方が気楽だ。花の甘い香りがコートに染みて、歩きながら少し気分が落ち着く。ユリを抱え、冷たい石畳を踏みしめて歩く。
街の外れにある丘に向かう。そこは俺にとって思い出深い場所だ。夜道を歩く間、寒さがコート越しに染みてくる。道端の木々が風に揺れ、葉擦れの音が静かに響く。丘への坂を登り切ると、見慣れた景色が広がった。大きな樹が一本、丘の頂に立ってて、その根元に彼女の墓がある。月光が樹の葉を照らし、影が墓石に伸びてる。冷たい風がコートをはためかせ、ユリの香りがふわりと広がる。俺は墓前に膝をつき、地面の冷たさを感じながら夜空を見上げた。綺麗な月が浮かんでて、無数の星が輝いてる。雲一つねえ空に、遠くの山々が黒い影を落としてる。風が木々を揺らし、静かな音が耳に届く。この景色を見てると、心が少しだけ軽くなる気がする……。しばらく風に吹かれながら、墓石を見つめてた。先生の名前が刻まれた石が、月光に白く浮かんでる。俺はユリを手に持ったまま、手を合わせた。
「先生…………帰ってきました」
墓石は思ったより綺麗だ。苔や汚れ一つねえ。墓の周りの草も丁寧に刈られてて、静かな佇まいが先生らしい。おそらくセリカかアカンサが使用人に手入れさせてたんだろう。俺は持ってきたユリの花束を墓前に置いた。白い花弁が月光に映え、甘い香りが冷たい空気に溶ける。昔と同じように、その香りを嗅いでみる。先生がこのユリの香りを嗅ぐたび、嬉しそうに目を細めてたのを覚えてる。あの笑顔が頭に浮かび、胸が締め付けられる。墓の周囲には小さな石が円を描くように並べられ、誰かが大事に守ってるのが分かる。
「先生と一緒にいた時間は俺にとって宝物です」
「俺、今ルナリスの街で傭兵やってます。中級傭兵になりました。先生に教わった拳技が役に立ってますよ」
「そういえば、この街に仲間たちと来てるんですよ」
「ルーナって娘がいて、俺を支えてくれる良い奴なんだ」
「セレナってのがいて、自然が好きで優しい奴だよ」
「テラって奴がいて、強くて真面目で頼りになるんだ」
俺は墓前に座り込んで、他愛もない近況を話し続けた。冷たい地面が膝に染みるが、気にならねえ。先生の墓石は静かにそこにあって、俺の声を聞いてくれてる気がした。ユリの香りが風に乗り、夜空に溶けていく。丘の風が冷たく頬を撫で、遠くで夜鳥の声が響く。一通り話し終えると、俺は立ち上がった。膝の土を払い、墓石に軽く手を置いた。石の冷たさが掌に染みる。
「じゃあ、そろそろ行きます。街を出る前にも来ますね、先生。よければその時は俺の仲間も紹介したいです」
そう言って立ち去ろうとした時、背後から懐かしい声が聞こえた気がした。先生の柔らかい声が風に混じって……でも、振り返らねえ。きっと気のせいだ。丘を下り、冷たい夜道を歩いて伯爵家の屋敷に戻った。門の近くで誰かが出入りしてねえか見張ってると、やっぱりセリカが通ってきた。黒いシルクブラウスとタイトスカートに厚手の黒タイツ、その上に灰色の毛皮コートを羽織ってる。夜の寒さに震えながら、俺の方をちらりと見てた。なんとなく尾行されてる気がしてたんだ。
俺はセリカに何も言う気にならなかったが、それでも前に立った。冷たい風がコートをはためかせ、彼女のコートの裾が揺れる。
「アクイラ!?」
「気付かれねえと思ったのか?」
「それは……」
驚いてる顔だ。バレてねえと思ってたんだろう。俺は構わず続けた。
「…………夜の一人歩きは危険だ。ついてくるなら、尾行なんてしねえで普通に声をかけろ」
「…………そうね、ごめんなさい」
素直に謝ってきた。風が彼女の黒髪を揺らし、コートの襟に当たる。
「別に謝らなくてもいい」
俺はそれだけ言って背を向けた。石畳を踏みしめて歩き出そうとすると、セリカが話しかけてくる。
「アクイラ……私ね…………もうすぐ結婚するの」
「…………それは良かったな」
俺はそれだけ返して立ち去ろうとしたが、また呼び止められた。今度はなんだと振り返ると、セリカが真剣な顔をしてた。月光が彼女の紫の瞳を照らし、冷たい空気に息が白く舞う。
「アクイラ」
「なんだ?」
「貴方にも…………私の結婚式に来てほしいわ。夫に紹介したいの」
「断る」
即答した。セリカは一瞬悲しそうな顔をしたが、すぐに笑顔に戻る。風が彼女のコートを揺らし、静かな夜にその笑顔が浮かんでた。
「そう……わかったわ。ごめんなさいね、無理を言ってしまって」
その寂しそうな雰囲気に苛立ちつつ、情が湧いて質問してしまった。
「……どんな奴だ?」
「…………キャプテンオクトよ」
「は?」
キャプテンオクトはアスカリで有名な海賊だ。雷属性の魔法を扱うから「雷族のオクト」とも呼ばれてる。見た目は醜悪でぽっちゃり体型。傭兵ギルドに登録してるが、良い噂は聞かねえ。結婚相手に選ぶような男じゃねえ。なんでセリカがオクトと結婚するんだ? 絶対幸せになれねえ。なぜだ? 風が強まり、彼女の髪が乱れるが、俺は答えを待たず歩き出した。
俺はひとまずその場を立ち去った。セリカは理由を話さねえ。アカンサなら分かるかも。屋敷の廊下を歩き、アカンサの部屋に向かった。夜も深いが、この時間なら起きてるはずだ。長い廊下には暖炉の明かりが灯り、壁に俺の影が伸びる。四年前と変わらねえなら、大きな白い扉が目印だ。扉の前で立ち止まり、冷たい木の感触を確かめる。ノックした。
「俺だ! アクイラだ! お嬢さん? 話がある! いたら出てきてくれ!!」
大きな声で呼びかけると、しばらくして扉が開いた。アカンサが立ってた。淡緑色のシルクネグリジェを身に纏い、アスカリの夜の寒さに備えて厚手の毛皮ショールを羽織ってる。ネグリジェの袖口と裾にはゴールドの刺繍が施され、胸元にはルビーが輝いてる。部屋の中は暖炉の火がパチパチ鳴り、絨毯が足元を温かく包む。
「アクイラ? こんな時間にどうされましたか?」
少し驚いた顔だ。暖炉の明かりが彼女の肌を照らし、淡い影が揺れる。無理もねえ。夜中に押しかけてきたんだから。屋敷の廊下は静まり返り、遠くで風が窓を叩く音が聞こえる。今はそんなこと考えてる余裕はねえ。セリカの真意を聞かなきゃならねえ。
「お嬢さん、教えてくれ。セリカの奴はなんで結婚するんだ?」
俺の問いに、アカンサは少し間を置いて答えた。真剣な表情で、何か重大な理由が隠されてる。暖炉の熱が部屋を暖め、彼女の影が壁に映る。俺はゴクリと唾を飲み込み、言葉を待った。
「ひと月前のことです。アスカリで行われるトーナメントは覚えていますね。敗者は勝者の言うことを聞かなければいけないルールの元、セリカはオクトに負けました。なぜセリカが出場することになったのかはわかりませんが、オクトから結婚を命令された為、セリカはオクトとの結婚を避けられません」
つまり、セリカはトーナメントに出場して負け、結婚を強いられたって訳か。ここまでならセリカも話してくれただろう。俺が聞きたいのは、なぜ出場したかだ。
「ああ、それから…………来週のトーナメントにもオクトは参加しますよ。彼もまだ目的があるのでしょうね」
「そうか…………出場権…………まだあるか?」
「…………もちろん」
アカンサが楽しそうに笑う。暖炉の火が彼女の顔を照らし、悪魔みたいな笑顔が浮かぶ。人の不幸を喜ぶ最低な奴だが、セリカを大切にしてるのも知ってる。今回の依頼も、変死事件よりこの結婚話を俺に知らせるのが目的だったのかもしれないな。
「もらえるか? 出場権」
「ええ、貴方があたくしに従ってくれるなら簡単にお渡しします。お願いを一つだけしますね」
■ アスカリ
アスカリは北方に位置する地方都市であり、モルス伯爵領の中心地として知られている。ルナリスから北へ馬車で一週間ほどの距離にあり、寒冷な気候が特徴である。この寒さは、特に夜になると厳しさを増し、厚手のタイツや毛皮のコートが住民の日常着として欠かせない。街は広大な平野に囲まれ、遠くには雄大な山々が連なり、その中には活発な火山も含まれている。この火山活動が豊富な温泉を生み出し、アスカリを観光名所として人気の地にしている。温泉は街の経済を支える重要な資源であり、冬の厳しい寒さの中でも訪れる者を癒す場所として名高い。また、街の中央には巨大な闘技場がそびえ、定期的に開催されるトーナメントが多種多様な種族を引き寄せている。この闘技場はアスカリの文化の象徴であり、熱血漢や冒険者たちが集う場所として賑わいを見せる。
■モルス伯爵家:
モルス伯爵家は、アスカリを治める名門貴族であり、その歴史は数世紀に遡る。現在の当主はアカンサの父であるモルス伯爵で、彼の統治は厳格かつ公正と評されている。伯爵家の屋敷は街の中心近くに位置し、その壮麗な外観と広大な敷地はアスカリの権力の象徴である。屋敷は石造りの堅牢な建築で、内部には暖炉が複数設けられ、寒冷な気候に対応している。屋敷の庭には、四季折々の花々が植えられ、特に冬には雪に映える赤い実をつける灌木が美しい景観を作り出している。この庭は、アカンサの母が愛した場所であり、彼女の死後は娘であるアカンサがその手入れを引き継いでいる。




