第2章11話 依存
私はセレナちゃんと一緒に集落に戻ると、大好きなリーシャさんを見つけた。集落の入り口は襲撃の爪痕が残り、焼けた木の匂いと埃っぽい空気が漂っている。リーシャさんたちは後処理に追われていて、汗に濡れた顔で忙しなく動いている様子だ。私に気付いたリーシャさんが駆け寄ってきたので、私はいつも通り彼女の右腕に抱き着いた。だけど、どうしてだろう。いつもなら優しく頭を撫でてくれるはずなのに、リーシャさんは私の行動を理解できていないみたいだった。彼女の腕に触れると、汗と土の匂いが鼻をつく。
「ん? リーシャさん?」
「え? ああ、どうしたんだルーナ。私はアクイラじゃないぞ?」
「…………アクイラ?」
アクイラさんとは誰のことだろう。私は記憶を探ってみるけど、やっぱり何も思い出せない。頭の中がぼんやりして、まるで霧に包まれたみたいだ。私の薄い青のローブは遺跡での戦闘で裂けて埃まみれ、汗で透けた白いチュニックが肌に張り付いて気持ち悪い。でも、リーシャさんの腕にしがみついていると、少しだけ安心できた。
「アクイラさん? えっと……」
さすがに私の様子がおかしいと思われたのだろう。リーシャさんが周囲を見渡しているけど、だんだん表情が青くなっていくのがわかる。どうしたのだろう。具合が悪いのだろうか。もし私の回復魔法が必要なら、大好きなリーシャさんのためなら粉骨砕身、働かせてもらうよ。私は回復魔法の準備を心の中で整えようとしたけど、頭が重くて集中できない。
「なあルーナ、アクイラの奴は、どこに行ったんだ?」
リーシャさんは私の知らない人を探していたみたいだ。私のリーシャさんなのに、彼女はずっとその「アクイラさん」という人を探している。私の中のモヤモヤした感情がねっとりと心をかき混ぜて、気持ち悪さが胸に広がる。リーシャさんの服の裾をぎゅっと握りしめるけど、彼女の視線は私から離れたままだった。
「アクイラさんですか? 私、その人知らない」
私がそう言うと、リーシャさんはセレナちゃんの方に視線を移した。セレナちゃんも困惑した顔で、ボロボロの藍色のチュニック、ボウガンの矢筒が背中で揺れている。何がおかしいのだろう。そして、私たちの帰還に気付いたエリスちゃんが駆け寄ってきた。彼女の淡いクリーム色のブラウスが風に揺れ、ダークグリーンのスカートが軽やかに翻る。
「あ! みんな、戻ってたのですね! えっと? あ、あれアクイラさんはどこにいるんですか?」
エリスちゃんもだ。エリスちゃんまでアクイラさんを探している。私は自分の知らない人を探すリーシャさんとエリスちゃんに、モヤモヤした気持ちが膨らむ。すると、リーシャさんが私たちに言った。
「セレナ…………アクイラはどうしたんだ?」
リーシャさんはついに私と話すことを放棄してしまった。私はぐいっと彼女の服を引っ張る。セレナちゃんは青い顔で、言葉を絞り出すように話し始めた。
「えっとアクイラさんは…………アクイラさんは…………遺跡に残して私たちは逃げてきました。マーレアさんまで負傷してしまいまして、まずはマーレアさんを回復して立て直したく…………」
セレナちゃんの言葉がわからない。私たちは魔族から逃げてきたけど、全員無事だよ。アクイラさんなんていなかった。私は首を振って、リーシャさんの腕にしがみつく。マーレアさんは風の聖女様の回復魔法で治療を受けている。薄紫のシフォン上着は肩からずり落ちたまま、ミニスカートの裾が裂けて血に濡れている。聖女様の回復魔法が緑色の風を放ち、マーレアさんを包む。その治癒速度は私の魔法とは段違いだ。私はリーシャさんに抱き着いたまま皆の話を聞くけど、何の話をしているのかさっぱりわからない。誰を助ける話なんだろう。
もしかして、私が気付いていないだけで、もう一人仲間がいたのだろうか。聖女様ご一行の方かもしれない。私は目を閉じて記憶を探るけど、やっぱり何も出てこない。頭が重くて、体がだるい。
「そ、そうなのか。 アクイラの奴無事か?」
リーシャさんがセレナちゃんに尋ねるけど、セレナちゃんは「わかりません」と首を振った。私はもう皆が何をしているのか理解できない。私の知らないところでみんなが話を進めている。その事実が私の心をゆっくりと蝕んでいく。体もだるさが強くなってきて、私はこのまま大好きなリーシャさんの腕の中で眠ろうかなと思う。
「ルーナちゃん?」
エリスちゃんの声が聞こえる。でも、ごめんなさい。私は今とても眠いんだ。だから少し眠らせて。起きたらきっとまたみんなとお話しできるから、おやすみなさい。
目が覚めると、そこにいたのはセレナちゃんだった。集落の簡素な木造の小屋の中だ。どこにもいない。私の大好きな人はどこにもいなくて、私は大好きなあの人を探す。だけど、どこにいるかわからないあの人を探そうとしたら、私の視界には風の聖女様ご一行とリーシャさんとエリスちゃんが話し合っている姿が入った。聖女様の白いローブが風に揺れ、リーシャさんの革鎧が汗で光っている。私は立ち上がろうとして、ボロボロのローブに足を取られそうになる。
「…………リーシャさん。アクイラさんは…………どこ?」
「ルーナ、元に戻ったんだな」
「ええ、一度意識を失えば戻るようにしていましたので」
リーシャさんが安堵の表情を浮かべ、マーレアさんが何か引っかかる言葉を言う。私は徐々に遺跡の記憶を取り戻す。逃げ出したこと、魔族のこと。そして、大好きなアクイラさんのことも。頭の中に彼の灰色のシャツと炎の拳が浮かび、胸が締め付けられる。私は自分がしたことを思い出し、ポロポロと涙をこぼした。
「アクイラさん、助けに行かなきゃ助けに行こう?」
私がそう言ってリーシャさんの服を引っ張ると、彼女も頷く。
「ああ、わかっている私もそのつもりだ、エリスは残ってもいいぞ」
「私も行きます、アクイラさんは仲間ですから」
そう言ってる中、聖女様が私たちに残酷な言葉を伝えた。
「アクイラ様のことは諦めましょう。マーレアが一方的にやられた相手となれば我々総動員で勝てる相手ではないでしょう。集落の方々は街に避難して頂き、万全なメンバーで再度攻略すべきです」
私は聖女様が何を言っているかわからない。アクイラさんを諦めるって、一体どういうこと? マーレアさんは「聖女様に従います」と言い、レグルスさんも「仕方ないな」と呟く。でも、レグルスさんだけはなぜかニヤニヤと笑っている。赤茶色のチュニックが汗で濡れ、筋肉質な腕が不気味に光る。
「どうしてもっていうなら、俺はアクイラの救出ってやつを手伝ってやってもいいぜ?」
「…………どうしてもだ」
リーシャさんが代表してその言葉を伝えると、レグルスさんは下卑た笑いを隠せない表情になった。そして、彼は言い放った。
「よし、俺がアクイラの救出に行ったら、アクイラの生死問わずお前ら三人を抱かせろよ」
「なっ!?」
「な、何言ってるんですか! 人の命をなんだと!」
リーシャさんとエリスちゃんが顔を青ざめて叫ぶ。だけど、レグルスさんは言葉を返す。
「おいおいおいおい、マーレアが無事じゃねえって依頼をされてるんだぜ? 俺はアクイラなんてどうでもいい。だから依頼人のてめーらが依頼料として身体を差し出すっていうなら救出を手伝ってやるって言ってるんだぜ? 本来なら大金が必要なとこ、身体でいいって言ってんだよ。どうなんだ? まずはここで脱いでみろよ」
リーシャさんとエリスちゃんはだんまり。私はアクイラさん以外に身体を許すなんてできない。でも、ここで脱がなければアクイラさんを救えない? 考えるだけで嫌だ。それでも、アクイラさんを救える可能性が1パーセントでも上がるなら。
「そうだ、アクイラが生存したらよぉ、あいつの前でヤろうぜ? お前らがてめぇの弱さのせいで凌辱されてるところ見たら、あいつどんな顔するだろうな! あ、死んでたら墓前でもいいな! 楽しみが増えたぜ!」
「ふざけるな!」
リーシャさんが怒鳴り、エリスちゃんは泣き出してしまった。私は聖女様に視線を向ける。聖女様ならなんとかしてくれるんじゃないか? でも、私の期待はすぐに裏切られた。聖女様がこう言ったからだ。
「レグルス、貴方が向かったところで死人が増えるだけですよ? くだらない提案をしないでください。 あなた方が無駄死にすればするほどアクイラ様の行為が無駄になるのです」
「そうですね、私を突き飛ばした魔族の方に対抗するには…………やはり増援が欲しいですね。せめて森姫でもいれば」
マーレアさんがそう提案した時、私にとって聞き覚えのある声が響いた。
「なんだ? 私の話か?」
とても強い安心感を得るその声に、私は泣きながら振り返る。彼女の緑色のドレスが風に揺れ、長い髪が集落の光に映える。私は涙を拭いながら、彼女に駆け寄ろうとする。
レグルス…………お前さぁ




