第2章5話 見張り台の上
もし今襲われれば、ルーナとエリスの二人だけだと心配だ。俺とリーシャさんはその不安を胸に、すぐに走り出した。山の傾斜は強く、足元が不安定で滑りそうになるが、俺たちが全力疾走すれば集落に着くのにそこまで時間はかからないだろう。走り出すと、セレナが遅れそうになっていることに気づき、俺は彼女の細い腕を掴んで引っ張った。
「来い、セレナ!」
「ちょっと何するの!?」
セレナの声が驚きに震えるが、構わず俺は彼女を横抱きにした。軽い身体が腕に収まり、彼女の温もりが伝わってくる。リーシャさんと顔を見合わせると、彼女はニヤリと笑って頷いた。そして二人同時に魔法の詠唱を始めた。
「炎の守護、我が身を囲みて鎧となれ。炎焔の鎧!」
「速さよ、我が足に宿りて迅速となれ。迅足化!」
俺とリーシャさんはそれぞれ魔法を使う。リーシャさんの魔法は足を速くするもので、彼女の動きが一気に軽やかになった。俺は炎の鎧を背中と足に形成し、背中と足の裏から炎を噴射して加速する。熱い風が耳元を切り、セレナが俺の胸にしがみついてくるのが分かる。彼女の髪が風に揺れ、俺の顔に軽く当たってくすぐったい。
そして俺とリーシャさんは山奥にある集落に戻った。高速で戻ってきたおかげか、集落はまだ襲撃にあっていない様子だ。見張り台の明かりが遠くに見え、ほっと一息つく。すごい速さで戻ってきた俺たちに、ルーナとエリスが驚いた顔で駆け寄ってきた。だが、ルーナは突然俺を見て不機嫌そうな表情に変わった。
「アクイラさん。その娘は誰? また新しい女?」
ルーナの視線の先には、俺に横抱きされたセレナの姿があった。昨日、集落で会ったきりだったから、ルーナにとっては初対面に近いかもしれない。セレナは顔を真っ赤にして硬直している。確かにこれは勘違いされても仕方ない状況だ。いや、俺、彼女いないけどね?
「ルーナ、落ち着け。この方が速く移動できてだな」
「アクイラさん。言い訳は見苦しいよ?」
真顔のルーナの一言で俺は何も言えなくなった。彼女の冷たい視線が刺さり、背筋が寒くなる。その後、リーシャさんが助け舟を出すように代わりに説明してくれた。
「さきほど実際に異変を確認してきたから情報の共有をしたい。ルーナちゃん、エリス、聞いてくれるか?」
「はい、リーシャさん」「ん。わかった」
ルーナ、もう少し俺の話も聞いてもらえますか? 心の中でそう呟きながら、俺は気まずそうにセレナを見た。
「あ、あの?」
急に横抱きしていたセレナが俺に話しかけてきた。顔が紅く、目を反らしている。さすがにこの状況が恥ずかしいと気づいた俺は、慌ててセレナを下ろしてやった。彼女の足が地面に着くと、少しよろけて俺の腕に掴まる。
「わ、悪かった」
「い、いいよ。アタシも状況は理解してるから」
セレナは照れくさそうに笑うが、ルーナはどんどん表情に闇を感じさせるようになってきた。彼女の視線が俺とセレナを交互に刺すようで、背中に冷や汗が流れる。なんかぎこちない雰囲気をどうにかしようとしたのか、リーシャさんがパーンと手を叩いた。
「さて! 一度状況を整理しよう」
その音に全員がハッとして、俺たちは集まって話し合いを始めた。集落の広場に腰を下ろし、まず今回の異変について話し始めると、やはり皆がそのことについて不安を抱いており、情報を求めてきた。なので俺とリーシャさんは山で見たこと全てを説明した。魔獣の群れ、異様な連携、異常な数の詳細を伝えると、空気が一気に重くなる。
するとエリスがぽつりと呟いた。
「その魔獣たちは連携して襲ってきましたよね?」
「そうだな」
俺が答えると、今度はセレナが申し訳なさそうに口を開いた。
「ごめん。こっちとしては異変がいろんな魔獣が集落に来る頻度が上がったことばかり気にしてて、魔獣たちが連携していたなんてそこまで重大だと感じてなかったんだ」
狩り中心で素人のセレナに魔獣の知識がなくても仕方ないだろう。むしろこんな環境下の中で狩りをしていて、よく集落まで帰ってこれたものだ。彼女の謝る姿に少し同情する。
「でも、連携して襲ってくる魔獣なんて聞いたことありません」
エリスもそう言う。しかし、ルーナだけはピンと来ていない様子だ。彼女はまだ見習い傭兵で、経験が浅い。わからないことが多くて仕方ない。
「本来、魔獣は同族以外は全部敵なんだ。つまり魔獣同士が出会えば襲い合うのが普通なんだ。それなのに他種族の魔獣がいても争わないのはほとんどあり得ない」
俺が補足すると、ルーナがようやく頷いた。少なくとも俺の経験にはない事態だ。しかし、この異変の根本はそこではない気がする。もっと大きな何かが裏にある予感がして、俺はそのことについて話そうと思った。
「一度、状況を聖女様に報告する手紙を出そう。そして可能なら増援だな。それまで俺たちは集落の防衛だけしていこう。調査再開は増援が来てからでいいか? またセレナの狩りだが、魔獣の少ないエリアなら護衛一人で大丈夫か?」
「うん。普段アタシが狩ってるエリアは魔獣が少ないから大丈夫」
「よし、じゃあ決まりだな」
俺たちはその後、それぞれ準備をして行動に移った。リーシャさんが報告として地の聖女に手紙を書いている。俺が送った方が喜ばれると言われたが、字が汚いのがバレるのが嫌で、俺はリーシャさんにお願いした。彼女の几帳面な字なら聖女様も読みやすいだろう。
大きな見張り台の上、俺はそこにいて魔獣の襲来がないか待機していた。木製の見張り台は集落を見下ろす高さにあり、風が吹くたびに少し軋む音がする。夜になり、俺は一人で見張りをしていた。月明かりが森を照らし、遠くの木々がざわめく音が聞こえる。しばらくして、階段を上る足音が近づき、リーシャさんが俺の元にやってきた。
「アクイラ。少しいいか?」
「どうした?」
するとリーシャさんは俺の隣に腰を下ろし、話し始めた。すぐ横に座られたせいか、彼女の肩が俺にぶつかり、温かい体温が伝わってくる。彼女の髪が風に揺れて俺の頬をかすめ、微かな花の香りが鼻をくすぐった。
「怖いな、傭兵になって何度も危険な目にあったが、こないだの異変や今回の件。何より、魔の九将と呼ばれる魔族。私たちはこの異変がすべて解決したとき、生きていられると思うか?」
リーシャさんの話からして、彼女も今回の異変がかなり危険だと感じているようだ。そして俺たちはこれから魔族との対決があるだろう。名前の通りなら、ヴァルガスのような魔族があと八人もいる。不安に思っても仕方ない。特に俺はあの時、カイラさんという切り札ありきの勝利だった。あの強さを思い出すと、背筋が冷たくなる。
ここはもう男らしく行こう。俺は不安そうにしているリーシャさんの肩を抱き寄せた。彼女の肩は細くて、少し震えているのが分かる。
「大丈夫だ」
俺なりに安心させようと言葉をかけたつもりだったが、リーシャさんは俺の方にもたれかかってきた。彼女の柔らかい感触が俺の腕に当たり、ドキッとする。
「そうか、そうだよな。お前は強いもんな」
リーシャさんはそう言うと、さらに体重を俺に預けてきた。少し照れくさくなるが、俺も彼女にもたれかかるように抱きしめた。そしてそのまま俺たちは見つめ合うと、自然と顔が近づき、唇が触れ合った。彼女の唇は柔らかく、少し冷たい。俺はそのまま軽くキスを続けると、彼女は目を閉じて受け入れてくれた。顔を見ると、真っ赤になっていて、少し恥ずかしそうに笑う。
「アクイラ……」
彼女が俺の名前を囁くと、俺も彼女の耳元で名前を呼んだ。服の上から肩を軽く撫でると、リーシャさんは小さく声を漏らした。
「あ……」
俺はそのまま彼女を抱き寄せ、温もりを確かめるように抱きしめた。彼女の身体は戦士らしい引き締まりがありつつ、柔らかさもあって、俺の心を落ち着かせてくれる。だがその時、見張り台の端に置いてあった水筒が倒れ、彼女の服に水がかかってしまった。濡れたシャツが肌に張り付き、胸元が少し透けて見える。
「ひゃっ!? 何!? 冷たい!」
リーシャさんが驚いて声を上げ、慌てて胸を隠そうとするが、濡れた布が身体に貼りついて隠しきれない。俺は一瞬呆然としてしまった。
「わ、悪い! 水筒が倒れて……」
「お前、わざとじゃないだろうな!? 恥ずかしいんだから!」
彼女の顔が真っ赤になり、怒ったような恥ずかしそうな視線で俺を睨む。その表情が妙に可愛くて、俺は思わず笑ってしまった。
その後、気を取り直して俺は彼女に再び軽くキスをした。彼女も応じるように顔を寄せてくる。お互いの温もりが心地よく、俺たちはしばらく抱き合っていた。彼女の目は優しく俺を見つめ、緊張が解けたような笑顔を見せた。
「気持ちよかったか?」
俺が聞くと、彼女は小さく頷いて、恥ずかしそうに答えた。
「うん、安心したよ」
そう言って笑う彼女を見て、俺はもう一度彼女を抱きしめた。夜の静寂の中、俺たちは見張り台の上で寄り添いながら、互いの存在に安らぎを感じていた。
翌朝、夜は適度に魔獣の襲来があったが、その都度起きていた見張り番で対処できる規模だったため、特に夜の状況の共有はなく一日を迎えた。朝日が昇る中、俺とリーシャさんは見張り台の上で服を整え、何事もなかったかのように振る舞ったが、彼女の首筋に残る軽い赤い痕を見て、昨夜のことを思い出し、少し顔が熱くなった。
無駄にモテるアクイラですが、世界観的に平民の結婚相手にモテる男の法則として強さ(生存能力、傭兵としての仕事達成率、高ランク依頼報酬の高さによる財力)はかなりのモテ要素で、アクイラはまだ19歳で中級傭兵なのでかなり将来有望だったりします。
年齢の割にランクは高い(上位ではない・特に強者ではない・将来有望である)が現在のアクイラです。




