第11話 決意と想いは手紙に乗せて
「初めまして。ミリステア魔法国 2級魔法薬師 メイシィ殿」
「お初にお目にかかります。天帝 蘭徳様」
謁見はわたしがよく過ごしているユリリアンナ様のお部屋で行われた。
天帝自らの希望で、わたしの体調を気遣ってくださったという。
天帝は少し大柄で独特の雰囲気をまとった方だった。
四角い傾斜のある被り物をされており、先にいくつかの装飾がぶら下がっているため、口元以外の表情は伺い知れなかった。
大地の神をその身に降ろしたお方なので、妃や血のつながった家族以外には素顔を晒さないという。
まあ、顔が動けばしっかりと端正な男性らしいお顔が見えていらっしゃるけれど。
ユリリアンナ様と青蘭様は天帝と同じ椅子に腰かけ、3人揃ってわたしと対峙していた。
こう見ると間違いなくやんごとなき3人家族の様相。ミリステアの王族たちの集合絵に通ずるものを感じる。
「この度は息子 青蘭の『魔脈閉塞』の治療だけでなく、ユリリアンナの魔法が使えなくなった症状の完治、そして漢庸から青蘭を守ってくれたこと、感謝している」
「まことにありがとうございます。恐悦至極でございます」
「それだけではない。貴殿は青蘭に魔力の使い方の基本を教え、我がもうひとりの妻、公英の産後治療まで尽力してくれたそうだな」
「はい。ミリステアの魔法薬師としてできる限りお役に立ちたく、勝手ながら献上させていただきました」
どうやら、爆発事件の直前に明漣様へお渡しした栄養剤はとても効果があったらしい。
魔力を持つヒューラン向けの特製品だから、一般の薬より効くのはわかっていたけれど、極国の薬草は自国と違うから少し心配していた。
それに、足りないものかき集めてもらったケンには、だいぶ無茶をさせてしまった。
おかげで彼女が以前の体調に戻ったと明漣様が知らせてくれて、ほっとしたのはつい先ほどの話である。
「大きな功績と薬師としての誇りある行動。極国の見守る者として最大の感謝を贈ろう」
「ありがとうございます。これもわたしの容姿に関わらず多大なる理解と協力をしてくださった、ユリリアンナ様と緑青妃宮のみなさま、そして裏番として尽力してくれた友のおかげでございます」
「何と喜ばしいことか。漢庸の件で君に良くない印象を与えてしまったのではないかと、危惧していた」
「とんでもございません。多少の怪我はありましたが、命があれば十分でございます」
「漢庸にはしばし謹慎と遠方への派遣を決定した。君には残りの時間、奴に会うことはないから思う存分我が国を眺めていってほしい」
「お心遣い、ありがとうございます」
会話が途切れた。気まずさを感じるわたしをよそに、なぜか天帝が隣のユリリアンナ様をちらちら見ている。
首をかしげて見せれば、緑青妃は穏やかな笑顔を浮かべて口を開いた。
「もちろん、婚姻とかいうふざけた手紙の訂正の知らせは、送ってあるから安心してね」
「はい!ありがとうございます」
「あと、メイシィに特別な贈り物があるの」
「贈り物、ですか?」
ふいに近くで空気に徹していた黒い服の男性が動き出し、木箱を持ってわたしの前の机に置いた。
丁寧なしぐさで恭しく蓋をあければ、そこには金色に装飾された留め具……バッジ?みたいなものがある。
文様は緑青妃のものだ。前に薬処で見せたことがある。
周りに掘られたものはなんだろう。極国の独特な文字、かなり崩した極字に見えるけれど。
「それは徽章だ」
天帝が手を上げると、黒服の男性は徽章を取り出してわたしの胸元に素早く取り付ける。
「緑青妃の紋に極国久遠賓の文字が入っている。これは君の功績を称え、再来を願う品と思ってくれると良い」
「ありがとうございます……?」
久遠賓?永遠の賓客?もしかして『いつでも来てね国賓として迎えるよ』の証ってこと??
目を白黒させていると、ユリリアンナ様が声を上げて笑った。
この方、公式の場なのにずいぶんと言動が砕けている。問題ないのかな。
「ユリリアンナ、一応公の場なんだが」
早速言われている、天帝に。
「いいんですよ私たちの仲じゃありませんか。うふふ」
「そうか……」
諦めちゃった、天帝が。
「これでいつでも来れるようになったってことよ、メイシィ。
クリードが嫌になったらいつでもいらっしゃいな」
「え、あ」
「ふふふ!」
「ああ、クリード王子か。久々に聞いた名前だな」
もはや天帝 蘭徳様まで口調が砕けてしまった。
ユリリアンナ様は楽しそうに笑ってらっしゃる。
つられてしまった青蘭様も、大きな笑い声をあげる。
抱き着いてきた息子に自然な動作で膝の上に乗せると、夫妻揃って幸せそうな表情を浮かべた。
ああ、これがローレンス様がおっしゃっていたユリリアンナ様だったんだ。
場の空気を換えてしまうほどの快活で暖かく、太陽のようなお方。
ようやくお会いできた気がして、わたしの心が温かくなる。
「あの方は化け物だのなんだの言われているが、本人に会えばわかる、大きな誤りだとね。
誰よりも優しくありたいと願い、誰よりも愛を大切にする方だよ。
あれはただの体質に過ぎない。苦労するかもしれないが、君のような度量も技術もある人だったら安心だ」
「あ、えっと……はは、ありがとうございます」
「ねえ、式は私も参加しちゃダメかしら?」
え、式?もしかして結婚式のことを言ってる!?
またもや目を白黒させるわたしを放っておいて、天帝一家は会話に花を咲かせ始めた。
「あー……厳しいと思うが」
「あら、天帝ともあろう方が不可能を口にされるの?」
「こらユリリアンナ」
「口にされるの?」
「……明漣と考えておく……」
うーん、ユーファステア侯爵家の女性らしいというかなんというか。
1年も孤独に戦い続けて結ばれたおふたりだ。天帝の試練もきっと強い絆で乗り越えたに違いない。
「あら弱気ね。天帝の最後の試練、ほとんどわたしが挑んでいたの忘れたのかしら?汚職まみれの妃宮を一掃して綺麗にしてあげたのは誰?」
「うっ……」
……ユリリアンナ様が天才と言われた意味がわかった気がした。
―――――――――――――――――――
「はあ……」
それから1週間が経った頃。ユリリアンナ様がため息をつきながらわたしを眺めていた。
荷物をまとめる作業が終わり、あとはケンからの連絡を待つのみ。
言葉通り持ってきたものはすべて焼失したので、ミリステアの薬師の服装はなく、悲しいかなこのまま極服で帰ることになっている。
唯一焼けずに残った本、ナタリー様がモデルになった物語は、今やユリリアンナ様の肘置きになっている。
どうやら翻訳されて妃宮へ、ゆくゆくは一般へ流通することになったらしい。と楽晴さんが言っていた。
「メイシィ、いなくなっちゃう~」
「またお会いしましょうね。ありがたいことに、いつでも来て良いってことになりましたし」
「そうなんだけど~」
息子が剣の稽古に行ってしまったのをいいことに、だらだらと長椅子にうつぶせで転がりながら、わたしの荷物を恨めし気に見つめている。
また来れるようになったといっても、片道1か月の長旅は早々変わらない。
次の来訪があるとすれば、かなり先になるだろう。
実は、今回の往訪の返事はミリステアに届くまで半年もかかっていたらしい。
さすが『手紙の届かない国』、天帝はカーン陛下から手紙を受け取るなり『ユリリアンナの郷愁病を治せるのでは』と受け入れを即決し、長旅の整備を始めていた。
どんなにかかって半年だろうと見越して日付を指定したものの、ミリステアに届いたのはその日の1週間前。
為政者同士でさえこんな調子だったなんて、あまりにも意外だった。
けれど、それも少しずつ改善されていくことになるらしい。
「ちゃんとこちらを届けてきますから」
わたしは膨れ上がったたくさんの封筒を持ち上げて、ユリリアンナ様に見えるようにカバンへ仕舞った。
極国は、正式にミリステア魔王国に対して文通の経路を整えることになった。
今回をきっかけに定期的な交流を、と言うのは表向きの理由。
本当は、ユリリアンナ様とユーファステア侯爵家で手紙のやりとりをさせたいという、天帝の意思がある。
あの方もまた、愛する人の想いに心を痛めていたのだ。
あの日、明漣様と薬処で出会ったのは偶然ではなく、天帝の想いを受けた明漣様がわたしに郷愁病のことを伝えようとしていたから。
実はこそこそと緑青宮に通っては中を覗き、ユリリアンナ様が元気を取り戻していく様子にいたくお喜びになっていたらしい。
『あなたは本当に極国の白兎なのかもしれませんね。こうして主上と緑青妃との縁、そして緑青妃のご家族との縁を結びなおしてくださったのですから』
明漣様の言葉が脳裏に蘇った。
「メイシィ殿、お待たせいたしました」
外から兵士の声が聞こえて、わたしは振り返って頷いた。
ユリリアンナ様が勢いよく立ち上がり、わたしに駆け寄るなり強い力で抱きしめてくる。
苦しい。
「ありがとう。メイシィ」
「大変お世話になりました。ユリリアンナ様」
ユリリアンナ様の向こうで、楽晴さんの目尻に光るものが見えた。
初めて来たときはあまりに目立ってしまい、この国の人々と過ごしていけるのか不安だったけれど、今となっては国を去るのが寂しいくらいだ。
でも、今のわたしはミリステアでやるべきことがある。
伝えなければいけない想いがある。
だから今は別れを選ぼう。
「ねえ、ひとつだけお願い」
「なんでしょう?」
異国の王妃の人生を選び、己の道を行く美しい緑青の瞳が光っている。
「『ユリリアンナお姉さま』って呼んでくれる?」
「え?」
思案する。
でも、わたしには断る理由なんて、ない。
「またお会いしましょう。ユリリアンナお姉さま!」
「っ…………」
ぽろりと宝石のような輝きが落ちた。
わたしは外へ身体を向けて、もう振り返らずに歩き出す。
「ええ、必ずよ。私の愛する子」
そんな声を背中に聞きながら。
―――――――――――――――――――――
「ケン、ここまでなの?」
帰り道は驚くほど速く過ぎていった。
あっという間に船を降り、馬車を降り、魔法移動陣が目の前にある。
一緒に旅立った頼りになる友人は、傍に立つことなく、照れくさそうな顔でこちらを見ていた。
裏番としてそれはもうたくさんの薬草を集めてくれたケン。
彼の力なくしてわたしはユリリアンナ様の願いを叶え変えることはできなかったはずだ。
できれば一緒に帰ってその功績を報告したかったけれど、もうすこし極国に用事があるからミリステアには戻らないそうだ。
残念だけど、彼は自由なギルドメンバー。わがままは言えない。
「楽しかったッス。メイシィさんとの日々、オレ、一生忘れないッス」
「ミリステアに来たら連絡してね」
「もちろんッスよ!その時はセロエさんと共に一杯飲み……飲めるっスか?」
「飲めるよ、喜んで!」
旅をする者は、別れ際にさよならとはいわない。
いつのまにか生まれたという暗黙の了解の通りに、ケンはさっさと走り去ってしまった。
ここから先、魔法移動陣の向こうは、ミリステア魔王国。
ひとまわり成長できたわたしが、大きな決断を携えたわたしが、祖国へ帰る。
強い光に包まれた先は、きっと今までよりも美しく映るだろう。
だって、未来は明るいのだから。
「……!」
ミリステアの空。
雄大な青を背景に、金色の髪が揺れている。
みるみるうちに煌めく表情と、細められる瞳。
ああ、会いたかった人がいる。
「クリード殿下……!」
抱き着いてしまいそうな衝動を抑えて近づけば、彼はとてもやさしく笑ってくれた。
だけれど、その瞳はとても暗く、どのような思いで過ごしていたかを教えてくれる。
「ああ……おかえり、良く帰って来たね、メイシィ」
心地の良い声。
わたしはいつもよりずっとずっと大きな声で彼に告げた。
「ただいま戻りました。クリード殿下!」
巨城へ帰ろう。
到着するころには、きっと彼の瞳も戻ってくれるはず。
「クリード殿下が……自室にいらっしゃらないのです!薬もありません!」
「……は?どういうことだ、クレア」
「……え?うそ、だよね?」
その頃、こんなやりとりをしていたなんて、知る由もなく。




