第6話 微笑みの裏の孤独
ホームシックとは、別の環境に置かれた人間が故郷や家族を想い、強い孤独感や異常な寂しさを感じてしまうことを言う。
治療法――なんて堅苦しい話ではないけれど、いかに生きる希望を持つかが改善への近道だ。
「こっちに来てから知ったんスけど、やっぱりユリリアンナ様は『郷愁病』だったんスね」
「有名な話なの?」
「そうらしいっス」
それから数日が経ち、わたしは楽晴さんに教えてもらって裏番と話ができる『裏処』にいた。
事前に自分の名前を記載した木の札を東門の門番に渡しておくことで、裏番本人への伝達だけでなく、商談を行う無数の部屋の一角を借りられるという。
「じゃあ、魔法が使えなくなったってのも本当?」
「うん。そうみたい」
「はあ……まあ、わからなくもないっスね」
かつて初めてセロエと会った時に話した木造の小屋に似た空間は、外から漏れる活気あふれた声を響かせている。
つまりこちらの声も外に漏れているだろうけれど、木を隠すなら森の中、都合がいいのかもしれない。
ケンは別れた時と同じ格好で、肩肘をついて気難しい表情をしている。
「もともと魔力が豊富な人はあんまり気にしないんで、逆に盲点なんスけど」
「うん」
「魔法ってイメージが大事じゃないっスか」
「そうだね」
ケンはそういって指先からちいさな炎を灯した。
少し薄暗い空間だからこそ、太陽の光にかき消されることなく陽炎が見える。
「魔法陣を使わない場合、イメージしないと魔力が集中しなくてうまく使えないっス。でも、魔力が豊富な人は意識しなくても魔力が集まりやすいから、あんまりイメージがなくても力でごり押しできちゃうんスよね」
「そうだね、魔法学の一般的な知識…………あ、そうか」
極国は魔法を嫌がる傾向が強い。
もともと魔法が堪能だったユリリアンナ様は、極国に馴染むために魔法を意識的に使わなくなったはず。
ミリステアの人々にとって魔法は生活になくてはならないもの。
夫である天帝の治世のため、後ろ盾のない息子のため、無理に我慢をし続けて、いつしかイメージも掴めなくなり、魔法の使い方も失っていった。
そうしてやがて、我慢で削りつづけた心は故郷への想いに耐えられなかったのかもしれない。
「……どうにか、できないかな」
思わずわたしは言葉を零していた。
「そうっス!俺もそう思います。
でもまあ……メイシィさんがどうこうするには、不利な気がするっス」
「……だよね……」
正直、わたしの立場ではあまりにも分が悪い。
故郷のミリステアから来て、数か月で帰国する身だし、見た目はミリステアらしい他種族国家そのものだし、何より共通話題がユーファステア侯爵家のことばかり。
何を話してもユリリアンナ様の想いを強めることしかない。
あまり話をしないようにしよう。
この話題は触れないようにしないと、郷愁病が悪化しかねない!
なの、だけれど……。
「ねえねえ、メイシィ。ローレンスは元気にしているの?」
「え、あ、はい。お元気です。今はラジアン王太子の側近として活躍なさってます」
「まあ!あのラジアンに?」
聞かれたら答えなきゃいけないじゃないか!
とわたしは頭の中で叫んだ。
ケンと別れて緑青宮に戻ったわたしは、すぐにユリリアンナ様のお部屋に呼ばれた。
お茶をしながら雑談していると、まさかの弟妹の話を振られてしまった。
15年前で記憶が止まっているユリリアンナ様にとって、家族の近況は驚きの連続らしい。
初めて会った時とはうってかわって、大興奮のご様子だった。
「もともとは幼馴染のクリード殿下の側近になる予定だったそうですが、日ごろのトラブル対処能力が認められラジアン殿下ご自身に引き抜かれたと聞いています」
「ふふふ!それはそうねえ、だってあのクリードの暴走の後処理ばかりしてたら、嫌でも身につくでしょう。
でもラジアンについたとて、もっとめんどくさいトラブルに見舞われてるのでしょう?」
「さすがですねユリリアンナ様、おっしゃる通りです」
サーシャ様が以前おっしゃっていた、アーリア妃殿下との大喧嘩でユーファステア侯爵家の建物を壊した話をすると、腹を抱える勢いで笑われた。
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この話は翌日になっても続けられた。
時は正午、ここは緑青宮の敷地内、家と家を繋ぐ屋外の廊下を伝ってとある人物にお会いするために移動しているところだった。
「ローレンスはぶっきらぼうでお仕事一筋の残念な子だけれど、見た目は良いし私たちの誰よりも心配性で世話焼きで、可愛い子なの。私はメリアーシェの次に大好きよ。
頑張っているのね。今までそうだと信じてきたけれど、いざ話を聞くと嬉しくて仕方がないわ」
わたしはユリリアンナ様の意外な反応に驚いていた。
故郷の話をされれば望郷の想いが強まり、より寂しさを感じるのが自然だけれど、この方にとっては弟妹たちの活躍は良い意味に捉えるらしい。
「それで、サーシャは元気にしているの?あの子はカナリスと結婚して第二王子の妃として頑張っているのでしょう?」
「あ、いや、それが……」
「……え?違うの?」
ここで嘘をついても何の得もないだろうし。とわたしは正直に打ち明けることにした。
カナリス殿下の病死、そしてその後のサーシャ様の想いについて。
――――――――――――――――
「まあまあどういうこと!?」
「申し訳ありません!楽晴さん!」
とある人物への訪問は中断となってしまった。
理由は、目の前のユリリアンナ様にある。
「わあああああああ!」
お昼の準備で席を外していた楽晴さんが見たものは、緑青宮の自室でわたしの膝に顔をうずめて大泣きしているユリリアンナ様だった。
「どうして!どうしてそんなことになってしまったのサーシャ……!あんなに幸せそうだったじゃない!!うっ……うううっ……」
「あらあらまあまあ、大変なことになっているわねぇ……ふふ……」
「私はその場にいられたら……!!全力で抱きしめてずうっと一緒にいたのに……!わああああ!」
「久しぶりに見ましたねぇ、緑青皇子様が生まれた時とそっくり……ふふ」
まさかユリリアンナ様がこんなに感情豊かな方だとは思わなかった。
ここまではっきり表に出されると、一周回ってつい場が和んでしまいそう。
楽晴さん、ちょっと笑ってる。
「あれから5年は立ちましたが、サーシャ様はユーファステア侯爵家で良い日々を過ごしていらっしゃいますよ?どうやら幼馴染だった方と良い感じだとか」
「なんですってええええええパルガル伯爵ねまーだ諦めてなかったのかしらあんの執着男おおおお……」
「ええええ」
がばっと急に起き上がるユリリアンナ様。眉間に盛大な皺を寄せてこぶしを固めている。
誰なんだパルガル伯爵、そしてなんでそんなに確執があるのか。とっても気になる。
「ともかくサーシャ様は今とてもお元気に過ごされていますから、どうか悲しまないでください、ユリリアンナ様」
「ぐすっ……そうね、サーシャはとても強い子だもの。一途で恥ずかしがり屋さんでついついいじり倒したくなる可愛い子……」
楽晴さんがお茶を飲ませて数分、ようやくユリリアンナ様は落ち着いてくださった。
「それで、次はええと……セロエのことを聞こうかしら」
「セロエ様は魔術師になりました」
「まあ!流石セロエ、魔力量は家族でいちばんだもの」
「ただ、ユーファステア侯爵家を出奔して今はギルドで稼ぎながら世界中を旅していらっしゃるそうです」
「……」
ユリリアンナ様が下を向いたまま固まった。
表情は伺えない。怒るの?泣くの?それとも戸惑ってるの?
何かわからないかと楽晴様を伺うけれど、同じように困った顔をしていた。
「セロエ……なんっっっっっって可愛い子!好き!!」
「えええ」
「もともと荒っぽい子だったから貴族のしがらみなんか気にしない道に進んでほしかったの~!はあ……自分で選んでくれたのね、ふふ、嬉しい。
私が嫁に行く前にカロリーナ妃殿下と共謀してお父様とお母様、ついでにローレンスに脅……説得しておいたかいがあったわ!うふふ!」
驚いた。ユリリアンナ様がユーファステア侯爵家を出たころ、セロエはまだ学校に通っていたし出奔の話もなかったはず。
一番に気がついて一番確実な説得ルートを辿っていらっしゃる。きっとセロエも知らないだろうな。
どうやら緑青妃はとても家族思いで暖かい方のようだ。
「で、ナタリーは?」
「ナタリー様はパスカ龍王国の辺境伯家に嫁ぎました。ラブロマンスの題材としてとても有名な方で、つい数か月前に男の子を出産されました」
「まあ!あのぽけっとしたり大暴れしたり気まぐれなあの子が竜人族と!?」
流石長女、言いたい放題。間違ってないだけに何も言えない。
そういえば、とわたしは今更大事なことを思い出しておしゃべりが止まらないユリリアンナ様に声をかけた。
「ミリステアからナタリー様が題材になった本をお持ちしました。ご覧になりますか?」
「ええ!!ぜひ!!」
「それではプレゼントいたしますね」
元気の良い声だ。これでユーファステア侯爵家の弟妹たちの話はしただろうか。
あと何か忘れたことはないかな……と思案していると、ふいに膝にぽとりと重いものが落とされる。
装飾を外して髪型の崩れた頭だった。まさかの膝枕再び。
「あの、ユリリアンナ様?」
「メリアーシェ、最後に会ったのは……いや、私が家を出る日は具合が悪くてお別れもできなかった」
「……」
「ずっと心配だったの。ミリシアおばあさまは『《《私の命をかけて必ず治す》》、心配することないわ』っておっしゃって亡くなったから、信じていたけれど」
「ユリリアンナ様……。確か、メリアーシェが一番好きとおっしゃっていましたね」
「ええ、そうよ」
ユリリアンナ様は膝に頭を預けたまま、上を向いてわたしの顔を見た。
緑青色の瞳はわずかに潤んでいて、幸せそうな表情を浮かべている。
「病と闘って辛いはずなのに、話せる日はずっと笑いかけてくれたの。お母様が泣いていても、セロエが治してってお医者様にぐずっていたときも、ずっと。
私たち家族ってみんな自由でしょう?だからお互いに干渉することが少なくていつもどこか他人行儀。
でも、あの子のことだけは同じ想いだった。その1点だけでわたしたちは『家族』でいられた」
「そう、ですか……」
ユリリアンナ様はわたしの顔を見つめていた。でも本当に見つめているのは、きっとその向こうの大切な弟妹たちなのだと思う。
自分で決めた結婚だけれど、相当後ろ髪をひかれた旅立ちだったのだろうな。
ここは『手紙の届かない国』
もう二度と会えずその後を知ることすら叶わない弟と妹たちを想うあまり、郷愁病のきっかけになってしまったのかもしれない。
「あの子たちが頑張って生きているなら、私も、立ち止まってばかりはいられない……そう、よね」
ユリリアンナ様がそう呟いたその時だった。
ばたんと勢いよく開く扉。顔を上げれば廊下の向こうまで景色が目に入り、勝手に開いたのかと驚いてしまう。
「おかあさま!!」
下を向くと、黒髪に母親と同じ瞳を持った男の子が立っていた。
少し着崩れた服で、扉を開いた両腕をそのままに仁王立ちしてこちらを見ている。
慌てたように飛び起きたユリリアンナ様は、大きな声を発しながら走り出した。
「青蘭!!よく来たわね~!」
「おかあさま……?えっと、来ないから僕が来たよ!」
「ひゃあああ可愛い子!ぎゅってしましょうね~~!」
「ぐえ!」
明らかにテンションが高すぎる母に押しつぶされそうな息子。
緑青皇子とはこの方なのだと、呆然とした頭の隅で考えていた。




