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2 フルーツ味の豆腐④

 硫黄の臭いが充満する浴場でも鼻をくすぐる芳醇な大豆の香り。80年ぶりに嗅ぐ故郷の郷土料理の香りにニアの喉をごくりと鳴った。


「あのさ」

「はい?」


 少女は微笑むと僅かに首を傾げた。すごく可愛い。可愛すぎる。


「それって豆腐よね? 今の、スイーツみたいなのじゃなくて、本物の絹ごし豆腐」

「ええ、そうですわ」


 さっきもそう言ったではないか。ニアは自分のことを殴りたい。それに豆腐のことなんかどうでもいい! 目の前に座る、非現実めいた美少女のことをどんな些細なことでも知りたいと思うのに、舌は豆腐にすっかり支配されてしまっている。


「どこで売っているの? 清掃ロボに注文すれば持ってきてくれるの?」

「―――!」


 たった一つしかない、不思議な虹色の瞳が大きく見開かれる。そして、思わず奪いたくなる小さな唇もまた酸素を求めるようにあわあわと震えていた。

 あれ? 何かヘンなことを言ってしまっただろうか? 脳内で俄仕込みの未来世界の常識と照らし合わせてみるが、やはりわからない。


「…………どうして?」

「食べたい、から……?」


 豆腐を食べたい理由などそれ以外に何があるというのか? 未来世界では大豆の使用が禁止されているとか? そんな馬鹿な。むしろ推奨される側だろう。


「わかりました」


 しかし、少女はニアの考えなど露ほども知らずに芸術品めいた肢体を軽やかに翻すと浴槽をばしゃばしゃと横切っていった。その間に目にも止まらない速さで手が動くとあっという間に髪型をノットヘアーにまとめてしまう(ニアにはできない)。そして、崖とは反対側の縁に手を伸ばすと50センチ四方の黒い箱を持ち上げたのである。


「(えっ!?)」


 少女の肩越しにこっそり箱の中身を覗いたニアは驚いた。完全密閉された箱の中には恐ろしく透明度の高い水で満たされ、波紋一つない水面は硝子のように澄み切っていた。そして、その水のなかには数学の教科書でしか見ないような立方体が4つ浮かんでいる。


「手作り?」

「はい、お豆腐をいつでも美味しく食べられるように作らしていただきました」

「えっ? そっちの話?」

「はい♪ 揺れを吸収する液体金属と重力方向を感知して内部傾斜を自動調整しますのでたとえレーシングカーの車内でもお豆腐が崩れることはありませんわ」

「そ、そうなんだー。す、すごいわね」

「少々お待ちになってくださいますか?」


 箱の横に備え付けてあった収納スペース(自動洗浄機能付き)から小皿を取り出すのをニアは湯舟の中に入りながら眺めていた。


『全裸の少女が風呂場で豆腐を用意するシチュエーションとか、とんでもなくマニアックね…………』


 そんな馬鹿なことを思うが、顔を紅潮させて甲斐甲斐しく豆腐をお玉で救う桃色の肢体を見ていると体温がぐんぐん上がっていくのは決してお湯のせいだけではあるまい。


「はい、お召し上がりくださいまし」


 浴槽の縁に置かれた小皿の上には薬味とともに5センチ四方の豆腐が乗っかっていた。定規で引いたような立方体であることを除けば、山本似愛が80年前に食べていた豆腐と何一つ変わることはない。


「ねえ、お箸はないの?」


 だから、本当に何気なく聞いてしまったのだ。渡されたのはナイフとフォークだったから。そういえば最初に見たときも少女はフォークで食べていた。


「…………はい?」


 コトリと糸が切れた人形のように首を傾げる少女。気のせいか、目の下の下直筋がピクピクン動いてる、気がするような…………。


「…………フォークとナイフがあるじゃありませんか?」


 感情を一切感じさせない平坦な声。やはりひょっとしなくても何やら怒っているようだが、よせばいいのに日本人(ネイティブ)としての薄っぺらい矜持が地雷原に踏み出してしまう。


「箸のほうが食べやすいんじゃない―――」

「ああ! お姉さんはお箸の達人(マスター)でいらっしゃるんですね! もう! それを早く仰ってくださればよかったのに。私、聞いたことがあります。その昔、お箸の達人は粕一つ残すことなく食され、皿には雪解け水のように澄んだお水が残ったと」

「箸には慣れているけど、さすがにそれは無理かも」

「…………はい?」


 箸を取り出しかけた背中がピタッと止まった。後頭部のお団子がぷるぷると震えだすと、その震えは時を置かずして少女が握りしめた箸に伝播する。


「…………それだと、形が崩れますよね? 絶対に崩れますよね?」

「崩れるね」


 いったいこの少女は何を言っているのだろうか?

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