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11 虹の彼方②

「だから、アバターのガワを被って私と話していたというわけ」

「ええ」アバターは首肯した。


 おぞましいとか生理的嫌悪感ですら生温い、今すぐ首をミキサー突っ込みたくなるような、生そのものへの拒絶反応がニアという存在を汚していく。


「あなたは誰? そして、あなたは何処にいるの?」


 それだけ言うのが精いっぱいだった。


「この世界のニンゲンたちは我々のことを『天狗』という。ホモ・サピエンスという種を超越した存在。しかし、それは違う。僕らは厳密にはニンゲンではない」

「どういうこと? さっきあなたは人間以外の知的生命体の存在を否定した。矛盾していない?」

「確かに私たちは身体的には人間だし、頭脳や精神体としての枠組みもそれらに制限される。それは認めざるを得ない現実だ。しかし、言葉の概念がそもそも違うのです。人類の超越ではなく、知識の継承、僕らはシンプルに『エア(heir)』と自称しています。つまり、特定の集団を指すのではなく、知識を継承する行為そのものを指すのです」

「知識の継承?」

「私たちは独自の閉鎖ネットワークを形成し、常時接続しています。そして、その接続に人類の大多数は耐えられない。言ってみれば我々はむしろ劣等種といっていい。しかし、未曾有の変革を余儀なくされたとき、劣等種が支配者に入れ替わることはこの星の歴史では多々あったことだ。そうなればいいですけどね。とにかく僕らにはニンゲンにおける自我が欠落している。知識と進化を貪欲に求めるアメーバみたいなものですよ」


 自嘲的に笑うアバターの整った顔をニアは生気のない目で見つめた。

 仮想空間の奥にいる誰かの正体を知りたい気持ちはこれっぽちも残っていなかった。性別も年齢も人種も性的思考も、このアバターは持ち合わせていないに違いない。それは自我の無いAIと何が違うというのだろう?

 もう何もかもがどうでもよかった。

 一秒でも早くこの悪夢を終わらせたかった。

 だから、その質問に明確な意図はなく、無意識が起こした反復的な確認に過ぎなかった。


「私を生き返らせた男もあんたたちの仲間なの?」


「いえ、違いますよ。『リュウヘイ・カーター・ランドルフ』という明らかにクトゥルフ神話からとった偽名を名乗った男は人間嫌い(ミザントロープ)ではありますが、平凡な一人のニンゲンです」


 混濁した少女の瞳に生気が、炎が灯る。


「…………なんですって?」


 しかし、『天狗』たちは少女の変化に気がつかず、朗々と話し続ける。


 ―――それが自分たちに対する死刑宣告であることにまるで気がつかずに。


「あなたが黄泉の国から蘇ってしばらく経ったとき、彼が僕たちにあなたの保護を依頼したのです。あまりにも唐突な申し出でしたが、僕たちは歓喜しましたよ。あなたは自分のことを平凡な女の子だと思っているようだが、とんでもない! あなたという存在は人類が抱える数少ないオーパーツの一つなのですよ。それはこの施設の管理人も同意してくれるはずですよ」


 話を振られたムジナはプールの縁からちょうど上がるところだった。生体パーツが損傷し、とてもではないが、満足に動ける様子には見えない。ムジナは心底悔しそうな表情を浮かべると天狗を睨みつけた。


「…………そうなのですよ。ニア様は臨死体験ではなく、正真正銘、死後の世界から戻ってきた世界で唯一無二のお人なのです。いや、御伽話が本当だったら二千百年前にたった一人だけいましたけれど」

「だから、私の記憶を狙った?」

「ニア様、あなたの記憶には本当の死が記録されているのです。それは人間が人間としての歩みを始めて以来、想像し、考え、ときには自然の天啓や星の動きにさえ頼っても欲した知識です。あなたは審判を受けたのですか? 天国や地獄があったのですか? それとも別の何かに転生した記憶があるのですか? みなそれを知りたがっているのです」

「付け加えるなら、僕たちの世界と異なるネットワークが存在している可能性もあります。古今東西の現れる死後の世界のイメージの共通性、集合的無意識が意味するもの、果ては自我や心を定義する何かが見つかるのかもしれない。そして、その先には隣人たる知的生命体に繋がっているのかもしれないと僕たちは考えています」


 いつの間にか、目の前に浮かんでいたAKIはニアの頭を抱きすくめると囁くように言った。


「さあ、ニアっち。”扉”を開けるんだし!」  

「…………ぷぷっ」

「ニアっち?」


 ニアは笑っていた。

 おかしいというより、心が温かくなるようなどこか気持ちのいい笑いだった。


「ふふふっ、ああ、ごめんごめん。あんたたちが優しいというか、すごく人がいいなと思ってさ」


 どいつもこいつもなんて回りくどいやり方。

 そんなに自分の頭の中身が欲しいのなら拉致でも何でもして頭をカチ割ればいいのに。

 しかし、未来人にはそういう発想がないのだ。

 なんて―――優しいのだろう。


「いやさ、天狗のあんたには不満があるかもしれないけど、人類は確実に進歩しているよ。たぶんこの81年間にどうしようもないことが何度も何度も起きて、その結果なんだろうね」


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