9 血の雨に踊れ②
「ねえっ! アレは何なのっ!?」
「何だと言われましてもねえ…………」
「神の貌」の教団本部は壱号棟の屋上の真下にあった。壱号棟の屋上は階段状になっており、スウィートルームのプライベートプールと最高層に張られた巨大共用温水プール「まほろば」と並んでいる。教団本部はそれらプールのメンテナンス室の横にあり、広さはコンビニよりも狭い。
「今はあなたの恋人なのでは」
ムジナはそう言うと肩をすくめた。しかし、その肩はひどく小さい。両肩あわせても30センチほどだろうか。そして、肩だけではなく全てのパーツがスケールダウンしていた。
「ウッ、それは。ア、アンタ、さてはお風呂に入っているところを覗いていたな! さすが盗撮の変態! 今すぐ記憶データを渡さないと承知しないわよっ!」
「ご心配なく。ポルノなんて頼まれても保存なんかしません。ましてやキュクロプスと生きた死体の組み合わせなんてマニアックを通り越して深層学習で吐き捨てたゴミ以下なのです」
「ひどーい! そこまで言う!?」
「性欲に流されて無責任に関係を作った挙句、相手の正体にようやく気づいた途端に助けもせずに、それどころか敵だった相手に助けを求めるような節操のないクズに言われたくはないのです」
巫女服を着た幼女は飴玉を転がすような声ですらすらと正論を並べると戸籍上は100歳を超える相手を完全に黙らせた。しかし、相手が本気で困惑しているのを見てとるとため息をついた。
「本当に知らなかったのですか?」
「知るも何もアンタが全部仕組んでいたことじゃない!」
ムジナは再びため息をついた。二回目は肺の空気を全部吐き出すようなものであった。
「どうやら見解に大きな相違があるようですね。そもそも私があなたのことを知ったのは、あなたのMR恋人が記憶を消す手段を検索をしていたからなので。『天狗』の件からおわかりのように私たちの技術や知識を狙う者は決して少なくないのです。その予防策として防御AIに接触してきた相手のことは必ず調べさせています。そして、少しでも危険性がある場合は、郷に近づくことはできないようになっているのです」
「でも、イーは施設に泊まっていたじゃない」
「ああいう規格外は例外中の例外なので! ともかく不覚にも私は世界初の生きた死体に小躍りしてしまったのです。レア中のレアな記憶が手に入ると思って、頭がバグってしまった。あー、大失敗です。おかげでぐぬぬぬ―――」
その後は言葉にならなかった。よほど頭にきたのか、人形のように愛らしい顔が茹蛸のように真っ赤になっている。
「というか、ニア様! あなたこそ何なのですかっ!? なんでよりにもよってキュクロプスなんかと関係があるんですか!? 規格外中の規格外の2人が、それも私たちの郷を訪れる前に出会っているなんて予想できませんよ! 作為と悪意しか感じないのです!」
「ウソ……本当にアンタは関係ないの…………?」
「誰が好き好んであんなバケモノに手を突っ込みますか!? 事実、あの外の惨状を見てごらんなさい! 台風の中心に小舟で近づくような、いやいや、ブラックホールの中に突っ込むぐらいの愚行なのですよ!」
「いやいや、多少猟奇的といえ、たかが女の子一人にそんな―――」
「はあー、無知というのは幸せなことですね!」
三回目のため息。赤血球の運ぶ酸素をまとめてゴミ溜めに放り込むような、長い長い長いため息であった。
「―――イートゥザアイパイプラスワンイコールゼロ」
「はい?」
「さすがにこの名はご存知ですね?」
「そりゃまあ…………」
幼くて愛らしい顔が歪む。いかにもうんざりした調子であえて口に出すのも嫌そうな顔であった。
「あの女は”ミッシングリンク”なのです」




