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2 フルーツ味の豆腐⑥


「すごく、美味しい」


 そう。その豆腐はとても美味しかった。

 それ以外に何が言えようか。

 大豆の芳醇で深い味わい。豆の糖分の持つ御簾の奥の姫君を思わせる淑やかな甘さ。そして、人工物など微塵さえもない山々の湧き水の風味が口の中に広がっていく。見目に麗しい食べ物なら世界にはいくらでもある。しかし、こんなにも清純な食べ物があるだろうか。

 そして、何よりもこの豆腐には懐かしい匂いがした。


 ―――まるで、今際の際に抱く遠い故郷の記憶のようだ。


「おいしい」


 かつて食べたスーパーの大量生産されたパック詰めの豆腐とは違う。でも、この豆腐には80年前の山本似愛が確かに生きていた時代の香りがした。

 気がつけば完食していた。


「ごちそうさまでした」

「お、お粗末様でした…………」


 よく見れば皿の水の中に豆腐の欠片が残っていたので指で掬って口の中に入れた。少女のルール的にはおそらくアウトなのだろうが、少女は何も言わなかった。折れた箸を握りしめたまま、ちらちらとニアの顔を伺っている。


「…………それで、どうでしたでしょうか?」

「??? 美味しかった、けど? これだけじゃダメ?」

「だ、ダメではない、ですっ! そ、それどころか! す、すごく嬉しい! ですのが…………」

「ごめん、わからんない。むしろあなたはどう言って欲しいの?」


 すると少女は両手を胸の前でまるで祈るように組むと、もじもじと身体をよじった。


「お豆腐の味がわかるお人なんて、今では日本人(ネイティブ)でも珍しいですから。それでその、わたくしなりにお味が再現できるように頑張ってみたのですが…………」

「あなたは豆腐が好きなの?」


 ニアがそう言うと少女の顔がにぱーっと太陽のように輝いた。


「はい、はい! 大好きですわ! 1年前、高野山のとあるお坊様にいただいたお豆腐のお味に感動して、そのお味がどうしても忘れられなくて製造方法を訪ね歩いて、ようやく再現できるようになったんですわ!」

「そっか、本当に好きなのね」


 うんうんと力強く頷く少女であったが、たちまち表情が曇っていく。


「お姉さんは見たところ、お豆腐のことをよく知っていらっしゃいますよね?」

「まあねー(今の豆腐は知らんけど)」

「だからこそなのです。お姉さんが美味しいと言ってくれることは本当に嬉しい。飛び上がって、お空のお月様に叫びたいぐらいですわ。でも、お豆腐は美味しいのは至極当然のことなのです。わたくしはお豆腐のことをよくお知りになっているあなたに、わたくしのお豆腐がどれだけお豆腐として完成しているかを伺いたいのです!」


 ああ、そういうこと。


「どうか! 忌憚ない意見をくださいまし! どんなに厳しい言葉であろうと構いません! わたくしはいつか完璧な豆腐を作りたいのです!」


 そう言って少女は目をぎゅっと閉じ、深々と頭を下げた。それを見たニアの相好が自然と崩れる。どうやら可憐な容姿に似合わず、職人としての強い芯があるようだ。


「ねえ、顔を上げてよ。私は別にそこまで豆腐に詳しいわけじゃないよ」

「いえいえ、ご謙遜を! お姉さんのあのお豆腐の食べっぷり。わたくしの見る限り―――」


 また話が長くなりそうなのでニアは割り込むように言った。実際、お湯に浸かり過ぎて逆上せていたのかもしれない。だから、あんなことを言ってしまったのだ。


「あなたの豆腐は美味しいよ。それは間違いないこと。どう美味しいかまではうまく説明できないけど、なんて言えばいいかなあ。そうね、豆腐は特別な食べ物じゃない。ご飯みたいに毎日食卓にあるもの。ごく当たり前の日常の食べ物なんだ」


 山本似愛の日常が鮮やかによみがえる。

 両親と囲んだ食卓や親友との楽しい食事、学食や近所の定食屋のメニュー、コンビニや駅前の牛丼チェーン店。どれも当たり前の日常だった―――。


「あなたの豆腐は毎日食べたい。そういう感じ、かな?」

「―――っ!」


 少女の顔が、首が、耳が、胸が、たちまち朱色に染まっていく。虹色の瞳が信じられないものを見るように大きく見開き、視線は固まったまま1ミリたりともズレない。


「は、はわはわわわ」


 アレ、また変なこと言っちゃった?

 少女の奇態にニアが頭を巡らせかけたときだった、


「そ、それはプロポーズという意味の解釈で宜しかったでしょうか?」

「―――へ?」


 論理があまりに飛躍すぎて「プロポーズ」の意味がゲシュタルト崩壊した。しかし、もじもじと身体をよじり、期待と不安にない交ぜにした上目遣いに目にしたとき、それが81年前と変わらないことをニアは理解した。


「いやいやいやいやいや、あんた何言ってんのっ!? そういう意味じゃなくて、毎日食べたくなるぐらい美味しいという意味で」

「でも、わたくしがお姉さまの傍にいないと毎日食べられませんよ?」

「そりゃ確かにそうだけどさー!」

「お姉さまはわたくしの豆腐を毎日食べたいんですよね?」

「うん…………」


 そう言いながらニアは相手の勘違いを素直に肯定しなかったことを後悔した。こんなとんでもない美少女が何かの間違いで花嫁になるのなら、それこそ降って湧いてきたような幸運ではないか。多少頭がぶっ飛んでいるが、今ならうまい豆腐もセットだ。

 そもそも未来人にとって結婚というのはそこまでハードルが高いものではない。出会って意気投合したらアドレス交換するような感覚で結婚するのである。当然離婚もワンタップでOK。


「わかりました! 今はまだそのときではないということなのですね! もっともっと美味しい完璧な豆腐を作れるようになったら、そのときはお姉さまを花嫁としてお迎えに参りますわ! いま少し、いま少しだけお時間をくださいまし!」

「あー、うん?」

「それでは暫しのお別れです。ごきげんよう!」


 そう言うと少女はつむじ風のように浴場からいなくなってしまった。

 後に残されたのは小皿に載せられたおかわりの豆腐が1丁。ニアは清掃ロボに冷酒を頼むとつまみに食べた。とても美味かった。


「…………そういえば、名前を聞くのを忘れてたな」


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