雨と青春
「じゃあ、今日は解散で」
晴輝が自転車の鍵を指にはめて、くるくるしながら立ち上がる。
「あたしも帰る!」
「んじゃ俺も。羽澄、傘明日返すからな」
晴輝に続いて、紫里と希璃弥もソファから立ち上がる。
「ジュース一本と一緒にね!」
紫里は人差し指を立てて、一を表して微笑む。
「はいはい。覚えてたらな」
晴輝が最初に生徒会室を出て、その後に紫里、希璃弥と続いていく。希璃弥は生徒会室を出た後に、中を振り返ってかぐらに声をかける。
「おーい白雪! 帰らないのか」
「あ、待って下さい。今出ます」
慌ててかぐらが生徒会室から出てくる。
「それじゃ。あたしたちこっちだから」
「じゃあな」
校内の駐輪場は、希璃弥たちが出る校門から正反対に位置するため、二人ずつ生徒会室前で別れることになる。
「また明日な」
希璃弥は挨拶を交わし、階段を降りていく晴輝と紫里を見ていた。
「あの……ちょっと教室までついてきてくれませんか」
かぐらが恥ずかしそうに顔を赤らめて俯く。
「……いいけど、なんだよ?」
「いいから。なんでもです」
半ば強引にかぐらは歩き出す。仕方なく希璃弥も、その後についていく。
そのまま二人は、一年七組のホームルーム教室まで来る。がらんとした教室にかぐらは入り、自分の席に近づく。
「……ここにもない」
かぐらは教室に傘を忘れていたのだと思っていたのだ。だが、その願い虚しく教室に傘はなかった。
「終わりました」
かぐらは内心諦めながら、何事もなかったかのような表情で教室を出てくる。
「そんな無理して俺と帰らなくてもいいんだぞ。俺は一人で帰るし」
「いえ、大丈夫です。早く帰りましょう」
二人は学校を出る。
雲がどんよりと薄暗く広がっていて、今にも雨が降ってきてもおかしくないような空模様だった。
「雨の匂いがする」
希璃弥は思わず呟いていた。
「へ?」
「あぁ、よく言われるんだけど、田舎出身の人は雨の匂いが分かるんだって」
「そうなんですか。雨の匂いなんて気にしたことありません」
「まぁ、もうすぐ雨が降るだろうってことだ」
そう言って、右手に持っている紫里の折り畳み傘を、かぐらに見せる。
「さっさと帰りましょう」
「お、おぉ」
二人は歩き出す。
学校から二人のマンションには、二十分ほどで着く。それまでに雨が降らなければ、かぐらは傘を忘れたという事実を、希璃弥にバレなくて済む。かぐら自身としては少しの雨なら、傘をささずに帰るのだが、今は希璃弥がいる。傘をさしている人が隣にいるのに、ささないというのはおかしいだろう。
絶対に雨が降りませんように。と、かぐらは心の中で強く願いながら、マンションを目指して歩いていた。
入学して二週間。希璃弥とかぐらは、同じ道を歩いて下校をしている。入学早々、二日連続で時間が被ったため、朝はお互いに家を出る時間を決めようという話に落ち着いた。希璃弥が七時五十五分、かぐらが八時五分となった。こうして、一緒に登校することはなくなったのだが、下校は訳が違った。生徒会室に残ってから下校するので、どうしても一緒に学校を出ることになってしまう。ということで、下校だけは二人で帰ろうという話になったのだ。
だが、そのほとんどに会話はない。
二人とも沈黙を守り、マンションにつくまで一言も喋らなかった、そんな日もあったほどである。
しかし、今日は違った。
とうとう雨が降り始めてきたのである。
「あ、ついに降ってきやがった……」
希璃弥は雨が降っているのを確認すると、右手で折り畳み傘を開く。そして、ふと自分の横を見ると、かぐらは何の動作も行わず、ただ歩いている。
「白雪、傘ささないのか?」
「これくらいの雨なら大丈夫です」
「そうか」
そして再び沈黙が始まる。しかし、もう一度沈黙が破れることになる。
雨は次第に強くなっていき、遂には滝のように降ってきた。それに加え、雷も鳴り始め、本格的な豪雨になる。
「やばいなこれは」
希璃弥が呟く。だが、隣のかぐらは傘をささずにずぶ濡れになっていた。
「おい白雪、なんで傘ささないんだよ?」
「これくらいの雨なら……」
「いや、土砂降りだよ? この雨なら誰だって傘さすだろ」
希璃弥は折り畳み傘の半分を、かぐらの上に持ってくる。
「もしかして、傘忘れたのか?」
「……はい」
「ならもっと早く言えよ」
「……でも」
「俺が傘忘れたの弄ったから、言い出せなかったのか?」
「はい」
かぐらの中の羞恥心は、爆発寸前だった。
「しょうがない。確かそこに公園があったし、一旦そこで雨宿りしてから帰るぞ」
希璃弥たちは、いつも進む道とは逆の方へ行き、小さな公園に入った。その公園は、ベンチとその上に屋根があるので、雨宿りには充分な場所だった。
「ここなら座れるだろう」
希璃弥はベンチが濡れていないことを確認すると、鞄を置いて座った。かぐらも同じように座る。
「ほら、これで頭拭け」
希璃弥は鞄からタオルを取り出し、かぐらの頭の上に乗せる。
「ありがとうございます……」
かぐらは頭の上のタオルを取り、顔と頭を拭いていく。
「教室に一回戻ったのは、傘が教室にないか探しに行ったんだな?」
「はい」
「で、なかったからそのまま帰ろうとして、雨が降ってきたと」
「はい」
「はぁぁ。ったく、だからってそんなびしょびしょになるまで放っておかなくても……」
希璃弥は深くため息を吐いて、一生懸命タオルで身体を拭いているかぐらを見る。その姿を見て、呆れると同時に、希璃弥の良心が傷んだ。
(だったらなんで、もう少し早く気づいてあげられなかったんだ)
かぐらはブレザーを脱ぎ、屋根から突き出していた棒に引っ掛ける。ブレザーは洗濯された後かと思うほどに濡れており、今から着て帰ることは出来そうもなかった。
「ブレザー……どうしたらいいですか」
「んなもん帰って乾燥機にでも放り込めば、明日には使えるようになってる」
「今家の乾燥機、修理中なんです」
「じゃあ明日は我慢しろ。明日は金曜なんだし、一日我慢すれば月曜には着れるようになるだろ」
「分かりました」
かぐらがしょぼんとして座り込む。
「これに懲りたら、人のことをとやかく言わないことだな」
「はい。すみません」
「ん。雨、弱くなったな。これだったら帰れるか」
雨が少し小降りになっていた。希璃弥は屋根の下から出て、雨の様子を確認する。
「よし、帰れる。行くぞ」
かぐらは、ブレザーを手にかけ、鞄を持って立ち上がった。
「ほら、傘入れ」
希璃弥は傘の半分をかぐらに渡す。そのまま二人は歩き出す。しかし。
「狭いです」
「いや折り畳み傘だからな」
「もう少しそっちに寄って下さい」
かぐらが希璃弥にくっつく。
「これでいっぱいだ。てかお前はもう濡れてるから関係ないだろ」
希璃弥が突き放すと、かぐらはさらにくっついた。
「寒いんです」
「だからってびしょびしょのままくっつくな。俺も濡れるだろーが!」
「いいじゃないですか。一緒に濡れましょうよ」
「あーやっぱ傘から出ろー!」
二人はなんやかんや言いながら、住宅街を抜け、川辺の道に出て、マンションの前まで歩いてきた。
「んじゃ、ちゃんと風呂入って温まっとけよ」
希璃弥は折り畳み傘をカバーの中にしまいながら、かぐらに忠告する。
「分かってます。あと、ブレザーお願いしますね」
「そこはありがとうございますなんだよ、普通は」
結局かぐらのブレザーは、希璃弥の家の乾燥機で乾かすことになった。
「じゃまたな」
希璃弥の家の方が、かぐらより一階下なので、先にエレベーターを降りる。
「はい」
エレベーターを降りて、希璃弥は家の前まで来る。鍵を取り出し、ドアを開け、家の中に入る。
「はぁぁ。疲れた。どうも白雪を相手にすると体力使うんだよな」
希璃弥は一旦シャワーを浴び、服を着替え、再び玄関に戻る。
「ポケットとか、なんか入ってないだろうな」
希璃弥は一応ブレザーのポケットを探る。すると、一枚の紙切れが入っていた。
「なんだこれ」
見ると、そこには『二〇二〇年、新型ウイルス流行。大丈夫。覚えてる』と書かれていた。
「……っ! なんだよこれ」
(この世界線に新型ウイルスは流行しないはず。というか、新型ウイルスという概念さえもない。確かに前世の世界線だと、二〇二〇年に流行が始まっている。でもなんでそれを白雪が知っているんだ?)
希璃弥の頭に無数の謎が浮かび上がる。
「まさか、白雪も転生者……?」
希璃弥は少し天井を見つめる。
(でも、それはおかしい。もしそうなら、あやめ先輩の存在が否定されることになる)
「何かの間違いだと信じよう」
希璃弥は、無理矢理自分を納得させて、乾燥機の中にブレザーを入れ、スイッチを押す。




