青春と朝食
午前七時十八分──
希璃弥は目覚めた。いつもなら休日にこんな早く目覚めることなどない。
(目覚まし時計は八時に設定していたはすなんだが)
目覚めてしまったのならば仕方ない。希璃弥は、休日にとって少し早い朝を迎えることにした。
希璃弥の家はマンションの四階。リビングにダイニング、キッチンの他に寝室、トイレ、洗面所、風呂がある。
希璃弥は寝室から出ると、洗面所へ向かう。洗顔と歯磨きを終わらすと、もう一度寝室へと戻り、部屋着に着替える。
寝室を出ると、今度はキッチンへと向かい、冷蔵庫の中身を確認する。
(んん……全然ねぇな……)
希璃弥は基本、作る料理のメニューを決めてから買い物に出かけるため、冷蔵庫に食材が豊富にあるということはほぼないのだ。
(仕方ない……卵焼きだけでも)
希璃弥は冷蔵庫から卵を取り出し、その横の棚から食パンも取ってキッチンに置く。
新川希璃弥という人間、朝はパン派である。食パンを袋から一枚取り出すと、トースターに入れてスイッチを押す。
その間に戸棚から、卵焼き器を取り出して火にかける。卵を割り、よく混ぜて卵焼き器に注いでいく。
その後も希璃弥は、手際良く卵焼きを巻いていく。
チン。食パンが焼き上がった。希璃弥は皿を一枚取ると、食パンと卵焼きを乗せ、食パンにバターを乗せる。
「いただきます」
それをリビングのテーブルまで持っていくと、ソファに座って、希璃弥は朝食をすることにした。
(やっぱり食パンには、バターが一番合うよな)
なんてことを考えながら、希璃弥は清々しい朝を過ごしていた。
だが、暖かい光に人間は釣られるものであり……。
「ちょっと、ベランダで食べるか」
外は見事な五月晴れであり、朝日がさんさんと部屋の中に入ってきていた。希璃弥はソファから立ち上がり、パン片手にベランダへと出てみた。
「いや、寒いな」
ベランダに出てみたはいいものの、やっぱりまだ五月のはじめ。そこまで暖かいというわけでもないのだ。
(まぁ、こういうのもありか)
希璃弥はせっかくなので、ベランダの縁に寄りかかってパンを食べることにした。
だが、全然ありではなかった。
バサバサ。
「うぁっ?」
希璃弥の頭の上に、服が降ってきたのである。
「上から……服?」
希璃弥は頭の上に手を伸ばして、落ちてきた服をとりあえずベランダへと引き込む。
(ん? なんだこの服?)
落ちてきたのは、ハンガー付きの、明らかに男性物ではない可愛らしいデザインの長袖Tシャツであった。それも数枚。
「なんで?」
しかし、希璃弥の疑問をかき消すように、真上から恥ずかしそうな声が答え合わせをしてきた。
「す、すみませんっ。ちょっと待ってて下さい。今から取りに行きます。そのまま持ってて下さい!」
希璃弥が上を向くと、顔を赤らめてテンパっているかぐらの顔があった。
(あ、そうか。この部屋の上って、白雪の部屋だったな……)
希璃弥は手に持った長袖Tシャツをなるべく動かさないようにベランダを出た。そして、玄関で待つこと数分。
ピンポーン。
ドアチャイムが鳴った。
「はいはい」
希璃弥が出ると、そこにはかぐらが恥ずかしそうに立っていた。
「おは……ようございます。あの……服……」
「あぁおはよう。これ、ほとんど何もしてないから」
そう言って希璃弥は、ハンガー付きの長袖Tシャツ数枚をかぐらに差し出す。
「ほ、ほんとにごめんなさい。洗濯物を干そうとして……わざとじゃないんです」
「大丈夫。逆にわざと落とすやつがいるかよ」
「どこか、怪我とかなかったですか?」
「服落ちてきたくらいで大袈裟だよ。まぁ、これが濡れてたせいで、朝一からシャワー浴びたような髪になっちゃったんだけどな」
「あ……あぁ、ほんとにごめんなさい!」
かぐらは精一杯謝って、希璃弥から差し出されたTシャツを受け取る。
「てか、今洗濯物を干すっていつ起きたんだよ?」
「六時です。起きた時に洗濯機を回したので、朝ごはん食べてから、今干そうとしていたのです」
「早いな。俺、さっき起きたとこだぞ」
「朝ごはんは食べたんですか?」
「お前のせいで食べれなくなったんだよ。パンもかじりっぱなしだ」
「ごめんなさいぃ」
「まぁ、俺がいただけ助かっただろ。いなけりゃそのまま下まで落ちてたわけだし」
「なんかお詫びさせて下さい」
かぐらは罪悪感で押しつぶされそうになっていた。
「お詫びって言ってもなぁ……」
「何かさせて下さい。このままだと罪悪感で死んじゃいます!」
「えぇ……」
かぐらが両手を広げた瞬間、数枚のTシャツの間から、ひらりと下着が地面に落ちた。
「あ」
「え」
両者、一瞬時が止まった。
次に動き出した時には、希璃弥は後ろを向き、かぐらは秒速で下着を回収していた。
「……えっと」
両者、気まずい雰囲気になる。希璃弥はどう言葉をかけていいのか分からないし、かぐらに至っては本当に死にそうな顔をしていた。
「……見ました?」
「え、あぁ……見てないと言えば……嘘になる」
「終わりました。死にたいです。いっそのことここで殺して下さい」
「いや、ちょっと待てって……」
「早く殺して下さい!」
「おい、その発言を大声で言うのはマジで俺通報されるから! いったん玄関入れ」
希璃弥は焦って、とりあえずかぐらを玄関に入れることにした。
希璃弥はいったんかぐらを落ち着かせようと頑張ってみるのだが。
「……本当にどうしたらいいんですか……」
かぐらは終始こんな感じである。
「駄目だ……本当に言うこと聞かない」
見たとは言っても、それが下着だと分かった瞬間に顔を背けたため、希璃弥はそこまで気にはしていない。
だが、かぐらにとっては死にたいほどの案件であるのだ。
「くそ……こうなりゃこいつに効くかは分からんが、一か八か」
希璃弥はスリッパを脱ぐと、リビングに行き、皿の上に盛り付けてある卵焼きを一欠片持って、かぐらのもとへと戻ってくる。
「とりあえず……食べろ」
希璃弥はかぐらの右手に、無理矢理卵焼きを乗せると、食べるように促した。
「…………」
数秒間卵焼きを見つめていたかぐらだったが、思い切って、口に放り込んだ。
「…………美味しい……!」
かぐらの顔が一気に明るくなる。
「え……誰が作ったんですか? こんなに美味しい卵焼き初めて食べました!」
卵焼き。そう。卵料理といえばと聞くと、ほとんどの人が答えるであろう卵焼き。誰でも覚えれば作れるようになり、極めれば本当に美味しい卵焼きを作ることが出来るようにもなる。
希璃弥はとある理由があり、中学生の頃に卵焼きを死ぬほど作らされ、ついに極めてしまうほどになっていた。
料理に関してはあまり自賛しない希璃弥だが、卵焼きでは、誰にも負けないものを作れると胸を張って言えるほど自信がある料理である。
「俺が作った。どうだ、美味いだろ?」
「はい!」
かぐらの顔に笑顔が戻る。もう、下着を見られたかどうかなんて忘れたのだろう。
「また今度、ちゃんと作って欲しいです! お願い……できますか?」
「あぁ、そう言われると思ってたしな。またいつでも食べさせてやるよ」
こうして、一連の事件は希璃弥の卵焼きによって解決されたのであった……?




