桜雨
忘れたくなくて、少しでも思い出に関わっていたかったのだ。唯一の理解者がいなくなった現実の受け入れ方、どんな風に心を落ち着かせたらいいのか、今でもわからない……
「おばあちゃん……ほんま急やったんよ。元気そうやったのに…… 病気やてわかった時は、もう手遅れやった……」
自分自身でもずっと操り切れなかった何かが、口にしていく度に暴れ出す。小さな心の中に収まり切らないモノが、取り留めのない言葉になって、少しずつ吹き出す。
「……もしかしたら、うちがずっと迷惑かけたから、しんどくて負担やったんやないかて……」
息が詰まり、喉奥がググッ、と痛くなった。自身でも目を反らしてきた考えだった事に、今頃気づく。異質な自分の存在が重荷で、祖母の寿命を縮めてしまったのではないかと…… そんな恐ろしい罪悪感と後悔が、彼女の内をひっそりと蝕んでいたのだ。
「……お母さんやないのに……親ですら面倒がって……見捨てたうちなんかに優しくしてくれた、のに…… 何もしたげれへんまま……なんて……」
血縁だからとは言え、そんな厄介な自分を引き取り、面倒を見てくれた。もう二度と会えない。真に話すらできない今、祖母の気持ちは、永久にわからない。
昔の事を母と話したくても、できないと思っていた。父や祖母には、聞いてはいけないような怖さと遠慮があった。だって、今でも聞こえるのだから。
本当に……何故、自分にだけこんな力があるのかと、ずっと神様に問い質したかったけれど、どうせなら死者……祖母の声が聞ける能力が欲しかったと、今は心底恨めしく思う。
「……おばあちゃん……幸せやったんかな」
――お前はどうだったんだ
「え?」
――共に過ごしている間、お前は、幸せだったのか?
ずっと黙って聞いていたサクヤの唐突な問いに、楓は戸惑い、唖然とした。が、真剣な雰囲気を感じ取り、頭を転らせる。
周りも大人も、世間でもよく『なりたい』と言っている、言われている『幸せ』というもの。自分にとっては、どうだったのだろう……と、聞かれて改めて考えた。
……少なくとも、今はそうじゃない事だけは判る。一人でする事になった食事の支度は大変だが、飢えてはいない。父と分担している家事も、億劫に感じる時はあるが住む場所に困っている訳ではない。経済的にも父が必死に働いてくれるおかげで、どうにか『生かされて』いる。
だが、こんなに苦しくて、空っぽな心を抱え、一人きりで過ごしてばかりいる自分が、手放しに『幸福』だとは思えなかった。最後に心から笑ったのが、いつだったかすら思い出せない。じゃあ、以前は? あの頃は……?
「……幸せ――しあわせ、やったよ…… そりゃ、ケンカした事もあったけど……楽しかったし……」
――なら間違いなく、祖母も幸せだったろうな
見えない相手に向かって、不審げに睨む。祖母は貧乏くじばかり引いて、損ばかりだと、楓は思っていた。祖父は働きづめだったが裕福とは言えなかった。育児は姑と気まずい中、何とかこなしたらしい。孤独だったのだ。
その必死に育てた父や叔母とは疎遠にされ、習慣や信条を『時代遅れ』『大昔の人』と、陰で小馬鹿にされているのを聞いた。おまけに自分みたいな面倒な重荷を押し付けられ……
それなのに嫌な顔一つせず、優しくしてくれた祖母は善人で、人格者だったのかもしれない。だが、自由気ままに人生を謳歌しているようにも、楽しげにも、幸福にも……見えなかった。
「何で、わかるんよ」
そんな実情を知ってか知らずか、まるで本人に会って聞いて来たかのように言い切るサクヤに、楓は少し訝しげに問い返す。
――これでも長い年月の間、様々な人間や様子、生きざまを見てきた。……共にいる片側が、真に満ち足りた表情をしている時は、大抵、もう片側も同じような表情をしている
「……⁉」
――家族、恋人、親友同士……人間というのは、そういう生き物だ
不器用に綴じていた綻びがほどけ、痛みを伴う安らぎが、じわり……じわり……と、破けた心から胸いっぱいに沁みていった。しこりがゆるゆる溶け……両の眼から溢れる。
「……ほんま?」
――ああ。間違いない
「……そ、か」
鵜呑みにした訳ではなかった。だが、沢山の人間を見てきた『神様』が言うのなら、信憑性がある気がした。何より――この『サクヤ』という水神の言葉だから、尚更信じられる。いや、信じたいと、何故か……無条件に思った。
一方、この少女が抱えている孤独な心情を覚り、サクヤは少し助言してみたくなっていた。話を聞く限り、他に気を許せる者はおそらくいないのだろう。
――友人にも話してみたらどうだ。能力は無理でも、その事情だけでも……
「……どうやろ。それはそれで、めんどくさがられそうな気、する……」
他人から自ら距離をとり、心を閉ざしてしまっているのは自覚していた。だけど、自分の気持ちや考えを話して、引かれるのが怖い。両親だけではなかった。似たような顔を、反応を、今まで何度も見てきた。
そもそも、自身が見聞きするもの全てに、楓は慣れない。十年以上生きていても馴染めない。彼女にとって、この世界は何かと煩くて、騒がし過ぎるのだ。『地元を出たら変わるのだろうか』とも考えたが、この町自体は嫌いでない……
好きだからこそ、辛かった。この世全てにフラれたような……疎外されたようで、悲しかった。
少し複雑な思考が過ったが、神らしく先達者として説き、慰めるようにサクヤは語る。
――世界は、お前が思っている以上に、ずっと広い。良くも悪くも、様々な人間がいる。なるべく居心地良くいられる場所を探せばいい。今は、そのために知識と力をつけろ
「……なん、よ。急に……」
予想外のサクヤの激励の言葉。揺さぶられた心に連動し、楓の眼から、熱い滴が零れた。そんな様子を見守るように、サクヤは静かに黙っている。
端から見たら、女子高生がぶつぶつ呟きながら、一人泣いている怪しい光景に見えるだろう。ここに人が来ない事を、今はありがたく思った。
暫く経ち、ずっと辛かった傷の痛みが、じわじわ、と引いて治まった頃。少し落ち着きを取り戻した楓は、零れた涙の勢いで、今の素直な思いを口にした。
「見たいな……」
――え?
「サクヤさんが、どんな顔して、どんな姿でここで生きてるのか……見て、話したい。……あかん?」
姿が見えない自分に、真剣な眼差しで願う様子に、サクヤは言葉を失った。
一瞬の間が空き、生ぬるい夜風がすうっ、と吹き抜ける。
――悪いが、無理だ。本来なら声をかけるのも禁忌だ。お前みたいな人間だから、お上も大目に見てくれてる
彼女の予想外の願いに内心戸惑ったが、覚られないよう、サクヤは動揺を努め抑え、断る。
「……そ、か」
返ってくる答えを、楓は予想していた。が、はっきり言葉で聞いてしまうと、やはり悲しくなる。




