極秘の任務
窓の外で鳥が鳴いている。チュンチュンなのだかパッパラパーだか、なんだか知らないがそれは確かに朝を告げるメッセージだ。
そのおかげで私は、本日お日柄も良く、新しい一日というあやふやな概念の内に、ほっぽり出されることがかなったわけである。
朝やることといえば、顔を洗い、飯を食い、歯を磨いて、あとは汚い寝巻きにサヨナラバイバイ、背広に着替える、それだけだ。これで、こちとら大人のタフガイでございとふんぞりかえっていられるというので、皆々そうしている。私だって例外ではない。
ツイードのスーツで身を固めて、タバコを吸いながら窓の外を眺める。
今日もまた街が音を立て始めた。トラックが眼下の二車線道路を轟音を立てて行き過ぎ、歩道いっぱいのサラリーマンや学生の御歴々は、虚ろな目で駅へ急ぐ。
浮浪者は残飯を漁るだろうし、夜になればヨッパライが立ち小便をするだろう。別に何も不思議なことはないのだ。メッセージを告げるのは鳥だけではない。
そろそろ出かける頃合いだ。カバンを抱えてさあ行かん。マンションをあとにして、歩道を颯爽と闊歩し、やはり皆と同じように駅へ向かい、与えられた任務の遂行の頃合いを探る。
午前七時と三十分くらいか。うむ、ちょうどいい。天気は曇りの月曜日。なるほど最適の雰囲気だ。
ホームで四、五分新聞など読んで平静を装ったのちに、カバンから拳銃を取り出し、次々にぶっ放す。
阿鼻叫喚とはこのことで、まず初めにしかめ面の高給取りらしき中年の男の右胸に銃弾がヒットして即死し、次に主婦、中学生、またサラリーマン、職業の見当はつかないが金髪の若い男、その恋人らしき女と、バタバタ倒れていく。
人々は悲鳴をあげてホームを逃げ惑い、先述の彼彼女らの死体すら踏みつける。その様のまさしく「大衆」という語に相応しく、私はいくらか愉快に思った。たぶんこのようなことであるから、新しい日々が否応なく繰り返して、また、「街」という集団的な思い込みも、成立し得るのだろう。
駅員に先導されて、警官が何人もやってくる。撃ち合いになって一人は殺したけれども、やはり多勢に無勢なので、肩を撃たれ、その次に何某の放った一弾がヘッドショットを見事に決めて、即死、そのままバタンキュー、倒れて、私は帰らぬ人となってしまう。願ったり叶ったりだ。ここで取っ捕まって死刑執行を待つのもいいのだが、早くこちらの身体の方を処理してもらったほうが、話が早い。
その事後処理や報道陣の詰めかけやらに担当者たちの追われている様子を、ふわふわと上空から今、私は眺めているのであるが、そろそろ時間が来たようで、さっき殺した数人と、それから身体を借りていた誰かさんの魂を、天国の門へと案内する。
私は天使の端くれだ。天使の仕事というのは死せる善良な魂を天国へ導く案内人であり、その役割のおかげで存在を認められているが、このところ、我々の管轄している時間及び空間のエリアの人間たちは、殺し合ったりすることが少なくなってしまった。そのため、私は上司の命によって、ある人間に憑依して何人かの命を奪い、いわばセルフで魂のお取り寄せを行ったのだ。
なぜ殺すのか?簡単な話だ。何であれ、事故や無差別殺人の被害者といった「かわいそう」な人間というのは、およそ等しく善良な人間であったとの見方をされることが極めて多いからだ。もちろん真にそうであるかは問題でなくて、なんとなく「善良」であり、無垢の被害者であればそれでよい。
天国への階段は長い。いつも少々くたびれてしまう。門へ辿り着くまでの間、他の者どもは不服ではあるものの、どこか安堵するような顔をしていたが、私の乗り移っていた男だけはどうしても気に入らないようで、こんなことを私に言ってきた。
「なぜ、僕なんですか?なぜ、私が死ぬことになり、殺人者としての汚名を、死後も受けねばならないのですか?私は殺人者になりたくなかったし、それに、今まで順風満帆の生活を送ってきた。あなたに身体を乗っ取られて、全部めちゃくちゃだ。どうしてくれるんです?」
困ってしまう。この男は何ひとつことを理解していないし、目先の悲しみだけに苛まれて冷静な思考が出来なさそうだが、まあ、あまり刺激してやるのも気の毒なので、こう、優しい声で返した。
「これはしょうがないことなんですよ。あなたは悪くないのかもしれない。その通りだ。だけれども全て今回の出来事はロシアンルーレットなので、あなたはそれにたまたま引っかかったというだけなのです。しかも、あなた、天国行きですよ。良かったじゃありませんか。ふつうは殺人は地獄行きと決まっていますが、今回は私が憑いていたのであなたも被害者です。だから、善良な一市民。悪人正機というやつかな?ちょっと違うけれども、まあどうでもいいや。さあ、もうすぐ門が開きますよ。どうぞ、末永く、ごゆっくり…」