サツキを襲う侵略者
近所の人から虫駆除を頼まれてしまった……
時は5月の中頃、雲一つない青い空の下私は殺虫剤を右手に持ちながらサツキの花壇まで歩いて向かっていた。
5月になればサツキの花が綺麗に咲く時なのだが、それと同時に毛虫が至る所に出始める季節でもある。なんでも今年は周期的に毛虫大量発生シーズンのようで、近所の毛虫アレルギーを患うおじさんからサツキに巣食う夥しい量の毛虫をなんとか駆除してくれと頼み込まれたのだ。
もちろん最初は拒絶しましたとも。そもそも私はそこまで害虫が好きではないし、虫駆除の能力に長けていないから何度も何度も断り続けた。
けれど毛虫アレルギーおじさんが遂に「頼む…… お前しかいないんだ、お前だけが頼りなんだ…… 頼む…… オレを救ってくれ……!」とバトル漫画も真っ青の迫真の演技を白昼堂々とやってくるもんだからやむなしに引き受けたのだ。相当毛虫が嫌いなんだな…… あのおじさん。
一応害虫駆除業者にも駆除するように電話で依頼してみたけど「毛虫? はぁ? そんな雑魚相手にならねえな。他をあたりな」と断られてしまった。どうやら彼らは強い害虫でないと相手にしてくれないらしい。毛虫如きで俺らを呼ぶなだとさ、ひどいもんだよね。
そんなもんだから私は近所にある大型ショッピングモール「ゐをん」にて殺虫剤を購入した。
名前は『エビルライチョール』。大手殺虫剤メーカーのブランド『ライチョール』の強化版だ。毛虫相手にここまで火力高い殺虫剤は不要かと感じていたけど一応念のため強い方を買ってきた。途中でハチとか出てきたら危ないからね。
素人の私がいきなり害虫駆除をやるのもアレなので一応勉強はしてきたつもりだ。私は趣味でweb小説をやっているのだが、その投稿サイト『小説家にならなきゃ』にて何か勉強になる小説は無いかと探していたところ丁度『害虫戦記 〜1匹残らずブチ殺す〜』という、『現代ロマンあり、ファンタジーあり、異世界転移あり、無双あり、ハーレムあり、害虫駆除あり』の作品が投稿されていた。まさか『害虫駆除モノ』が『ならなきゃ』で連載されているとは知らず、とりあえず全部読むことにしたのだが……
誰が書いたのか知らないが全3,000万文字オーバーの大長編であり読むのに大変苦労した。作者は害虫駆除に関する知識が明るいのかその辺りは勉強になったのだが、肝心の作品そのものは結構微妙で害虫駆除描写がなければ途中で読むのをやめていた程のクオリティだった。そんな苦行も経ての私だ、今日の戦いは絶対に負けるはずがない。
「さてと……」
目標が潜むサツキの前に到着。赤い花が所々咲いておりとても綺麗だが近くに寄ればあちらこちらで毛虫が葉っぱを食べているのが見える。
なんで私みたいなweb小説が趣味の一般男性がこんなところで虫駆除しないといけないのか…… 腑に落ちないと感じた時もあったが無惨にも食い散らかされるサツキの花を見て流石に可哀想だと思ってしまった。これは害虫だなあ、駆除してやらないと……
花壇の大きさはそこまで大きくない。手持ちの『エビルライチョール』1本でなんとかなりそうだな。こんな毛虫相手に時間まで食い潰されてはたまったもんではない、とっとと終わらせて帰ろう。
気合を入れつつさっと構え、『エビルライチョール』を噴出しようとするまさにその時であった。
「ちょっと待ったあ!!」
「ん?」
遠くから女性の声が聞こえ、私は振り返る。向こうから駆け足でこちらへ来る人が一人……
白を基調とした和風を着ている黒髪ロングのお姉さんが声を荒げているのが見えた。誰だ…… あの人……
「ちょっと君! まさか、ここにいる毛虫たちを皆殺しにしようとしてないわよね!?」
なんで駆除の表現がそんなに野蛮なのかは謎だが、概ね正解なので私は黙って首肯することにする。
「どうして!? どうしてそんな残酷なことするのさ」
「え、だって毛虫がいっぱいいるから……」
戸惑う私に隙を見たのか、ぱっと『エビルライチョール』を彼女に取り上げられてしまった。
「こんな…… よりにもよって、通常版より強い『エビルライチョール』…… こんな兵器……罪のない毛虫たちに向かって放つだなんて…… なんてことを……」
なんなんだこの人…… 突然現れては私の殺虫剤を奪い取って…… 相手の勢いが強すぎてつい固まってしまったけどさ。
「こんなもの毛虫に吹きかけたら一瞬で死んじゃうじゃない! 貴方、いったい何を考えているの!?」
「そこのサツキにいる毛虫を全部駆除しようと思っただけですよ」
何故か睨まれてしまったぞ…… 私がいったい何をしたというんだ。
そもそもその白色の和服は一体なんなんだ? 近所にこんな人住んでいたっけ?
それに殺虫剤を兵器と表現するなんて中々物騒な人物ではなかろうか。あんまし関わらない方が良さそうだ。
「駆逐だなんて…… なんて奴なのっ!? 貴方は罪のない虫達を殺して悦に浸る邪悪な人間ね。『エビルライチョール』持っているだけあるわ…… 恐ろしい……」
「何言ってるんだこの人」
しまった、思ったことがつい口に出てしまった。そりゃ突然現れて無茶苦茶なこと言われたら誰だってこうなる。
「この人殺し!!」
「相手虫ですって!!」
意見を主張するにも名詞を間違えないでほしい。ご近所に聞かれたらサスペンスドラマの撮影か何かと勘違いされてしまう。
「ってか返して下さいよ。『エビルライチョール』が無きゃ駆除できないじゃないですか」
私が『エビルライチョール』を奪い返そうとするとパリィされてしまった。
「それだけは出来ないわ! 今まさに罪なき毛虫が殺されようとしている手前、譲れるわけないじゃないっ!」
「え〜」
じゃあもうこの人に任せて帰ろうかな…… っと思ったけどしっかりやらないとあの毛虫アレルギーのおじさんにまた文句を言われてしまいそうだからなんとか堪える。
「大体貴方ね、なんでこんな環境に悪い成分が沢山詰まった『エビルライチョール』を持ってくるのさ。通常の『ライチョール』ならまだ環境に優しいから分かるけど、なんで『エビルライチョール』なのよ、殺意高くない!? 毛虫達に恨みでもあるの!?」
……お説教が始まってしまったぞ。私はいったいどんな顔をして受ければいいんだ?
「別にないけど…… そっちこそ何なんですか? 巷で噂の『毛虫愛護団体』ですか? 最近ネットニュースでトレンドになった」
「違います。目の前で罪なき虫達の殺戮が織り成されるのに耐えられなかった唯の自然を愛する少女です」
自ら肩書きを怪しくしないでほしい。『毛虫愛護団体』の一員ならまだ腑に落ちたのに……
「じゃあ私はどうすればいいんですか!? 君の意見に従って毛虫駆除は止めるにしても、何もせず帰ったら毛虫アレルギーおじさんからイチャモンつけられてしまう。こんなの私の逃げ場が無いじゃないですか」
「貴方、殺す以外選択肢を持たない人なの……?」
怪訝な顔をされる。
何その解釈…… あの白色和服にとって私は相当厄介者に見えるらしいぞ。私はそんな悪魔みたいな性格じゃない。
三度戸惑う私をよそに少女は「こほん」とひとつ咳払いをしてゴソゴソと何かを取り出した。
「これで摘んで取り除けばいいじゃない」
「は?」
唖然としてしまった。得意気に話す彼女だが、目の前で出されたのは『割り箸』以外何ものでもないからだ。
「この割り箸で摘んで牛乳パックの中に入れる…… そして終わったらこの子達を遠くの森へ還してあげるのよ!」
「ええ……」
なんてアナログなやり方なんだ。私のおばあちゃんですらやらない手法だぞそれ…… 確かに彼女のいう通り毛虫を殺さず済むかも知れないが、遠くの森へ還してあげたって食物連鎖よろしく鳥の餌になるのが目に見えている。私に諸行無常を感じさせる気かこの人は……
「この割り箸こそ環境を汚さず、虫も殺さない。自然に寄り添った最適法と思わない?」
思わない。あまりにも非効率すぎるし、こんなのやっていたら日が暮れちゃう。家で小説の続きを書かないといけないのにそれが出来なくなってしまうぞ…… いやだなあ……
「ほら、貴方の割り箸。毛虫はデリケートだから優しく摘まみなさいよ、強く摘まんで潰したらただじゃおかないから」
「マジっすか……」
私は渋々割り箸を手にしてサツキの前にかがみ込んだ。
せっかく『エビルライチョール』買ってきたのに、よりにもよって1匹ずつ箸で摘まんでいくという圧倒的非効率手段へ無理矢理変えされるなんて思ってもみなかった。
また文句を言われると面倒なのでとりあえず彼女がいる間だけは割り箸で取っていようかと目論んでいたけどそれもまた甘かった。
なんと彼女もまた私と一緒に毛虫の除去に加勢してくるではないか。応援自体は嬉しいのだが、彼女がいる限りはいつまでたっても『エビルライチョール』を使用することが出来ない為どっかに行ってほしかった。
結局2時間ぐらいかけて一つ一つ丁寧に毛虫を除去し、ある程度は毛虫の姿が見えなくなるくらいまでにサツキは綺麗になった。
「ふぅ〜 疲れましたね。この辺りにしておきましょうか」
「そうね、貴方も小さな命を守ることができていい気分でしょ?」
何言っているんだこの人。暑い中2時間も毛虫駆除させられた身にもなっていただきたい。君が来なければ20分足らずで終わっていたんだぞ。
とはいえ、毛虫の姿が見えなくなったサツキは更に綺麗さを増しており悪い気分にはならなかった。苦労した甲斐があったと、とりあえずは自分の中で納得させながら片付けに入る。
そんなお開きムードの中もぞもぞと足元に動く大きな黒い影がひとつ…… ん? あれは!?
「わ、百足!」
「なんですって!?」
私の声に彼女が反応し、大きく黒髪を翻しながらバックステップをする。
大きな黒いムカデがうねうねと土の上を這っており、中々インパクトある光景だ。この虫は割り箸で摘みたくないな、自称自然を愛する彼女に任せよう。
「どこ? どこなの!?」
「そこ、そこです。貴方の足元!」
指で示すと彼女は私が買ったあの『エビルライチョール』を構え、ムカデにエイムを合わせる。
まさかっ!!
「えっ、それ貴方が環境に悪く、保有者及び使用者は『邪悪な人間』とまで仰った『エビルライ──」
「もらったぁ!!」
ブシュー!!
彼女の掛け声と共に『エビルライチョール』が噴出された。当然に超火力殺虫剤の前になす術なくムカデは一瞬にして沈黙する。
嘘でしょ…… この人やりやがったよ……
「ふぅ〜 危なかったね。君、刺されなかった?」
何事も無かったかのように大きく息を吐かれたけど…… マジか…… 正直私はドン引き他ならないのだけど……
一瞬、箸で摘んででもなんとかすると思っていたけど、この人何の躊躇もなく『エビルライチョール』を使用したぞ……
『もらったぁ』って大きな声で叫んでいたんだけどアレは私の空耳だったのか……? いや、そんなはずがない。
満足気な表情を浮かべる彼女に私は恐る恐る問いかけた。
「え…… 使っちゃってよかったの!?」
そんな私の言葉に彼女はほんのりと顔を赤めながらゆっくりと口を開く。
「ムカデは…… 別。だって怖いじゃないですか」
なんだそれ!!
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「ねえ、ばあちゃん。ちょっと聞いていい?」
私は家に帰り庭で『ライチョール』を使いながらセコセコと虫駆除に勤しむ婆ちゃんに聞いてみた。
「何かの?」
「毛虫は許せて、ムカデは許せない…… その違いって何があると思う?」
取り止めのない質問に、婆ちゃんは「ふむ……」と唸りながら考える仕草をする。
「そりゃ見た目じゃろ、毛虫は可愛い見た目しておるけどムカデはグロテスクじゃからの。その違いはデカい。あの悍ましい姿、想像するだけでも背筋が凍るわい」
「へえ〜」
当たり前だが腑に落ちなかった。