雨と黒き貴公子(2)
翡翠の貴公子が同族の子供を見付けたと言い、
シャルロットは其の子供を手に入れるべく・・・・。
雨にぬかるんだ道を走る帰りの馬車の中、夏風の貴婦人が伝えて来た内容に、
シャルロットは眉を跳ね上げた。
「何ですって?? 異種がオードリーの屋敷に?? 其れは間違いはないの??」
閉じた扇子を手に、強い口調で問うてくるシャルロットに、夏風の貴婦人は頷いた。
「多分、間違いはないかと。翡翠の貴公子曰く、遠目からでも同族だと判ったそうです」
「では、オードリーは異種を匿っている事を、わたくしに隠していたと云う訳ね・・・・」
なんて無礼な・・・・!!
ぎりぎりと歯軋りをして鬼の形相になるシャルロットに、
だが夏風の貴婦人は落ち着いた口調で追加した。
「いえ・・・・それが、どうやら使用人の格好をしていたらしいんです」
「使用人ですって??」
「はい。つまり・・・・おそらく、まだ覚醒していない異種ではないかと」
「覚醒していない??」
シャルロットの顔から、すっと怒りが消えると、冷静に問い質してくる。
「そもそも何故、異種だと判ったの?? 異種独特の色を晒していたとでも云うの??」
異種は髪や瞳に、人間には無い色を持っている者が多い。
翡翠の貴公子が一目で同族だと判ったと云うのなら、異種本来の姿を晒していたと云う事になる。
だが、そんな事が在るだろうか??
本来の姿を晒していれば、オードリーが気付く事は勿論、直ぐに噂となり、
シャルロットの耳に入らない筈がない。
となると髪を染めさせたり等して、オードリーが異種を隠し持っていた事になる。
だが其処まで考えて、シャルロットは直ぐに察した。
「つまり、外見は人間と、そう変わらない姿だったの??」
夏風の貴婦人は頷いた。
「はい。黒髪に白い肌の少年だったらしいので、おそらく、
オードリー公爵も異種だとは気付いていないのかと」
「成る程・・・・あら?? でも其れなら、どうして其の子供が異種だと判ったの??」
再度、鋭く問い質してくるシャルロットに、夏風の貴婦人は、しっかりとした口調で答えた。
「其れなんですが、私たち異種は基本的に、覚醒した同族しか同族だと判りません。
でも一つに於いて判る時が在ります。其れは相手が主神の異種だった時です」
「主神??」
其れには、シャルロットも碧い瞳の色を変える。
「つまり見付けた子供は主神で、まだ覚醒しておらず、
オードリーも異種だとは気付いていないのね??」
「仰る通りかと。ただ、もしかしたら髪は染めているかも知れませんので、
本人が異種で在る事を隠している可能性は在ります」
「オードリーが髪を染めさせて隠している事も有り得るわね」
「はい。でも・・・・」
「ふふ。あの何でも自慢したがりなオードリーが、異種を隠してる事は考え難いわね」
「はい」
「ふふ・・・・」
シャルロットは扇子を広げると、己の口許を隠した。
異種による大陸革命を興すには、一人でも多く異種が必要なのだ。
しかも其の異種が主神ならば、尚の事だ。
主神とは、異種がそれぞれ属する系統の中で、最も其の系統の精霊に愛されし者で在り、
其の系統に一人しか存在しない。
そして其の主神は、同じ系統の異種より遥かに大きく自然界に影響を及ぼす力を持っているのだ。
此れは、もう、手に入れない訳にはいかないだろう。
シャルロットは扇子を閉じると、厳格な口調で告げた。
「いいですか。此の事は決して口外をしない様に。カイ伯母様にも、ハクにもです。
わたくしに考えが在ります」
「判りました」
二人が頷くと、馬車の中は静寂に包まれ、ガタガタと音を立てる車輪と一定に響く雨の音が、
帰路の間、鳴り続けた。
シャルロットの秘策は、こうであった。
シャルロットは大陸革命政略の詳細を話し合う為に、何度もオードリー公爵家を訪れた。
そして時折、白銀の少年を同行させては、話し合いの間は、
オードリーの息子ソウと遊ばせていた。
そして或る日、シャルロットは、こう打ち出した。
「実はね、オードリー。今日は他に御願いが在って参りましたの」
本題の話を終えると、シャルロットは神妙な表情で言った。
「いえ、大した事ではないのですけれどね、使用人を一人、譲ってはくれないかと思いましてね」
「ほほう?? 使用人を??」
当然、疑問の顔になるオードリーに、シャルロットは困った顔で笑って言う。
「わたくしのところのハクがね、貴方のところの使用人の子供を気に入ったみたいでね、
どうしても欲しいと言ってきましてね。ほら、あの子、他に歳の近い親族も居なくて・・・・
いつも聞き訳が良くて笑っているのだけれど、内心では、とても寂しがっていて・・・・
あの子の遊び相手として、御宅の使用人の子供を戴けたらと思って・・・・勿論、
其れ相応の身請け金は支払わせて戴きすわ」
「ふむふむ、そうか」
「いえ、勿論、ソウの遊び相手とされていらっしゃるのなら、今の御話は忘れて下さいな」
謙虚な態度で柔らかく告げるシャルロットに、オードリーはにこにこと笑った。
「いやいや、全く構わんよ。遊び相手も何も、うちの末息子は気位が高くてね、
あの使用人の子供を酷く嫌っておってな、実のところ困っておったのだよ。
しかも先月、使用人だった母親が病で亡くなってな、身を寄せる場所も無いと云う事で、
仕方なく我が屋敷に置いてやっていたのだよ」
「まぁ・・・・では、宜しいんですの??」
「ああ、ああ、勿論だとも。金は要らんから貰ってやってくれ」
「まああ!! 有り難う!! オードリー!!」
快く頷かれて感激の笑顔を見せるシャルロットが、其の心内では、ほくそ笑んでいた事を、
オードリーは微塵も想像すらしていなかったのである。
一方、此の日、
シャルロットと共にオードリー公爵家を訪れていた夏風の貴婦人と翡翠の貴公子は、
一階のサロンで白銀の少年とソウの話し相手になっていた。
否、話し相手役と云う名の子守りをしていた。
異種を嫌っているソウを何とか異種に慣れさせようと、
オードリーが敢えて一緒に過ごす時間を設けさせたのである。
だが実際は子供たちは二人で遊び、
其れを夏風の貴婦人と翡翠の貴公子が侍従よろしく立って見ているだけであった。
面倒臭ぇ・・・と内心思いつつ、白い軍服に水色の肩掛け姿の夏風の貴婦人は、
腕を組んで黙って立っている。
隣の翡翠の貴公子も又、黒い軍服にグリーンの肩掛け姿で黙っている・・・・かと思われたが。
彼は窓へと視線を向けると、じっと何かを見詰める。
大きな窓の外は緑の庭園が広がっており、絶え間無く雨が降っている。
すると、どうしたのか、翡翠の貴公子は窓辺へと寄ると、取っ手に手を掛けた。
当然、夏風の貴婦人が吃驚した顔で止めに来る。
「ちょっと!! 何処行く気よ??」
「・・・・外へ」
「見りゃ判るわよ!! 勝手に持ち場を離れるなって言ってんの!!」
「・・・・・」
翡翠の貴公子は暫し沈黙したが、
「直ぐ戻る」
夏風の貴婦人が止めるのも無視して、窓を開けて出て行く。
強く降り続ける雨の中を濡れ乍ら歩いて行く翡翠の貴公子に、思わず唖然とする夏風の貴婦人。
そんな彼女の下へ、ソウが来て言う。
「あれあれ?? 翡翠の貴公子は、どうしたの??」
「・・・・・」
「困るなぁ。勝手に屋敷をうろつかれちゃあ。でも、それより、
こんな雨だってのに出て行くだなんて、異種ってのは雨に濡れるのが好きなのかな??」
嘲笑を含んだ声で言い乍ら、大きく肩を竦めるソウ。
異種に慣れるどころか、此れ見よがしに異種を馬鹿にしてくる態度に、次の瞬間、
夏風の貴婦人の鉄拳が下りていた。
ゴツン!! と、ソウの頭を上から小突く。
「ガキが、大人に舐めた口、利くんじゃないわよ」
「なっ・・・」
予想もしなかった彼女の行動にソウは呆然とすると、途端に涙目になって声を上げる。
「な、何するんだ、御前!! 父上に言い付けてやるからなっ!!」
「はいはい」
阿呆くさ・・・・と思い乍ら、夏風の貴婦人は相手にしなかった。
気になるのは相方の方だ。
一体、何をしに外へ行ったのか??
普段なら、勝手な行動は絶対にしない奴なのに・・・・。
そう思った時、答は一つしかない事に、夏風の貴婦人は気が付いた。
翡翠の貴公子が外に出て行った目的など、一つしかないのだ。
「・・・・あいつ、馬鹿な事しなければいいけど」
小さく零した夏風の貴婦人の不安は、見事に的中した。
翡翠の貴公子は依然、降り続ける雨の中、庭園を歩いていた。
辺りを見渡し乍ら彼が向かうのは、以前、オードリーと手合せをした武道場の傍の庭園だった。
初めて歩く場所だったが、武道場の位置は判っていたので迷う事はなかった。
だが全身はびしょ濡れで、水を含んだ肩掛けがずしりと重くなってくる。
それでも翡翠の貴公子は目的のものを探して歩いた。
位置としては、武道場の傍と思われる庭園に入った時だった。
彼は見付けた。
使用人と思われる白いシャツに黒ズボン姿の少年が、雨の中、一人でぼんやりと立っているのを。
全身ずぶ濡れで、長い黒髪が顔に張り付いている。
翡翠の貴公子は少年に近寄ると、声を掛けた。
「何をしている??」
其の声で漸く彼の存在に気付いたのか少年は顔を上げたが、特に驚いた表情は見せず、黒い瞳で、
じっと翡翠の貴公子を見上げてくる。
雨音が速くなり、二人の身体を一層強く打ち付ける。
濡れた前髪の間から、少年は黙って翡翠の貴公子を見上げていたが、
「雨に打たれています」
小さく答えた。
翡翠の貴公子は静かな眼差しで少年を見下ろして言う。
「雨が好きか??」
少年は頷いた。
「好きです」
「そうか」
そう答える少年は、自分の全身がぐちゃぐちゃに濡れている事など気にしていない様だった。
少年は何処か焦点のおぼつかない黒い瞳で、ぼんやりと翡翠の貴公子を見上げていたが、
ぼそりと言った。
「貴方は、翡翠の貴公子様ですね」
「そうだ」
抑揚の無い声で翡翠の貴公子は答える。
「貴方は異種だと聞きました。翼が在るのだと聞きました」
「そうだ」
「・・・・・」
黒髪の少年は遠い蜃気楼でも見るかの様に、目を細める。
「御主人様が仰られていました。これから異種の時代が来るのだと。
貴方は沢山のものを持っている。そして、これからも沢山のものを得るんですね」
「・・・・そうだな」
「・・・・・」
黒髪の少年は又、俯くと、口を固く一本線に黙る。
だが・・・・俯いた儘、再びぼそぼそと言う。
「・・・・貴方が・・・・羨ましいです。俺は、俺の出生を知りません。
俺は、俺が誰なのかも判りません。俺は字が読めません。俺には家族が居ません。
俺には何の身分も在りません。俺には・・・・何も・・・・在りません・・・・」
「・・・・・」
其れは雨の中で吐露された、少年の諦めに近い悲嘆だった。
ザーッと降り続ける雨が、二人の身体を絶えず打ち付ける。
翡翠の貴公子は顔色一つ変えず少年を見下ろしていたが、徐ろに顔を上げると、
雨に掻き消されぬ、はっきりとした声で言った。
「飛びたいか??」
其の突然の問いに、少年は不思議そうに見詰め返してきたが、小さく頷いた。
「・・・・飛びたいです」
羨望の黒い瞳で、翡翠の貴公子を見上げてくる。
「此の背に翼が在るのなら、俺は飛びたいです」
此の現実全てから飛び発ちたい。
其の想いを受け止めるかの様に、翡翠の貴公子は、はっきりと言った。
「在る」
「??」
「翼は在る。飛べる」
ザッ・・・!! と目の前が明るくなったかと思うと、彼の背から翡翠の翼が伸びていた。
この御話は、まだ続きます。
翡翠の貴公子に声を掛けられた少年は、
何も持たない哀れな子供だったが・・・・。
順番通りに読まれたい方は、ノーマルの「ゼルシェン大陸編」の、
「夏の闘技会」から読まれて下さいな☆
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