283話 天上界の反逆者、イズリス
突如エルメルの体を介して復活を遂げたイズリス。
オールドワンが崇拝する、かつて奈落に落とされた反逆の女神。
数万年ぶりに体を手に入れた彼女は、嬉々として体をストレッチさせ、肌身でその感覚を確かめていた。
「一時はどうなるかと思ったけど……ふふ、オルドも上手く間に合わせたようね。あとで褒美をとらせましょう」
オルドとはオールドワンの事だろうか、ポロはそう思いながら。
ルンルン気分で体を動かすイズリスに、ポロは口を開いた。
「……あなたは、神様ですか?」
「ん~~?」
不意の質問に、イズリスはポロに目を向けると。
笑みを浮かべたままゆっくりと近づき、そのままポロを胸に抱き寄せた。
「あなたはどう思う? 黒妖犬の坊や」
頭を撫でながら妖艶に見つめ、甘い香りがポロの神経を鈍らせてゆく。
「僕は……」
今更驚きはないが、自分の正体を知っているという事は、彼女は今までのオールドワンとのやり取りを見てきたか、もしくは聞いていた。
虚ろな目を必死に開き、停止しそうになる脳を無理やり起こし、思考した。
「ショウヤのお友達よね? あの子の眼を通して、私も見ていたわ。あの子にも感謝しているし、特別にあなたとショウヤは私のそばに置いてあげる。これからずっとね」
「……なん……で……」
「可愛い可愛い犬の坊や。親の愛情を知らない可哀そうな坊や。私が代わりに、あなたのママになってあげる」
「…………」
「これからずっと、あなたのそばにいてあげる」
囁く言葉が耳を撫で、甘い香りが鼻孔を麻痺させる。
「……ああ」
えも言えぬ幸福感に包まれると、抱き寄せられた胸に、次第にポロも身を寄せる。
――僕は、ずっとこの人のそばに……。
そんなことを思っていると。
『目を覚ましなさい! ポロ!』
キーンとするジャミングのような声が、ポロの脳内に響いた。
――エキドナ?
その声は、彼の中にいる魔人、エキドナであり。
おそらくはバハムートの次元干渉能力を介して語りかけているのだと理解した。
さらに後続して、他の声も語りかける。
『誘惑魔法を使われておるのが分からんか? 坊』
『ポロ様、甘言に惑わされてはなりません。どうかお気をたしかに』
アラクネ、スキュラと、三体の魔人は必死にポロを支配の渦から引っ張り上げる。
「はっ……!」
ふと我に返ったポロは、未だ彼女から発せられる誘惑のフェロモンを逃れるように、自身を包み込むその手をはらって距離を取った。
「あら……逃げられちゃった。私のこと、信用出来ない?」
被りを振って呼吸を整え、ポロは仕切り直す。
「少なくとも魔法で無理やり従わせようとする人を、簡単に信用なんて出来ないよ」
「ふふ、そう。意外に警戒心の強い子ね」
優し気に返すイズリスだが、彼女がポロを見る目は人としてではなく、愛玩動物のように見ていることは雰囲気で察していた。
そもそも彼女にとって、地上に生きる人族は全て、等しく自身の庇護下に置くべきものだと考えている。
皆平等に、皆対等に、彼女は慈愛を以て愛でるのだ。
「そうそう、私が神様かどうか、だったわね?」
そしてイズリスは先程の質問を返す。
「部下達は皆私を崇めているけれど、残念ながら神様ではないわ。まだね」
まだ、とは、これから彼女は下剋上をするつもりなのだろうかとポロは思い。
「転生者の人達から大体の事情は聞いているよ。あなたは生かすべき人とそうでない人を選別して、世界を創り変えようとしているって」
彼女がやろうとしている事をつまびらかに唱える。
「そうね。けど安心して、あなたは生かしてあげる。坊やから邪気は感じないもの」
続けてポロは問う。
「他の人は?」
イズリスは笑みを浮かべたまま何も答えず。
「何を基準にして選別するの?」
まるで子供の思考を汲み取るかのように、彼女は穏やかな表情でポロを見つめる。
「善悪の定義なんて、人の考えによって違うものでしょう?」
イズリスは小さく鼻で笑い、ようやく口を開いた。
「坊や、人の考えは百人百様、千差万別、個人差によって善悪が異なるのは当然よ。だからこの問題は点で捉えるのではなく、面で捉えるの。大まかに、視野を広く持ちなさい。そうすれば自ずと見えてくるわ。この世界において、何が均衡を崩しているか……私はその突起物を叩いて、全てを均一に、バランスを整えようとしているの。分かるかしら?」
マイノリティーの排除、もしくはカースト社会の崩壊。
支配者を許さず、反逆者を淘汰し、独裁者を吊るし上げる。
憎悪ひしめく混沌の世に、全ての幸福を分配する。
それが彼女の思想である。
「優先的に消すべきは、国家権力かしら。あとは地位の概念。同じ人同士が序列に応じて略奪してゆく行為は、何より無意味よ」
「けど、誰か導いてくれる人がいなくちゃ、世界は今より混乱するんじゃないの?」
「しないわ。私が導くもの」
先導者は自分一人でいいと、そう言っているようで。
「それでも素直に従わない者がいたら、感情そのものを無くしてしまえばいい」
そしてその思想は何より極端なものだった。
彼女の思想にポロは意を唱える。
「それはただ、支配者があなたに変わるだけだ。それもずいぶんねじ曲がった、恐怖政治だよ」
「自分達が一番だと思う者が多ければ、それだけ争いは生まれる。なら、絶対的存在を教え込ませれば無駄に争う事はなくなるでしょ? とっても効率的じゃない」
尚も彼女の言葉にポロは首を振り。
「その為に、セシルグニムの王様達も、多くの権力者も消そうって言うんなら……」
戦いは避けられないと覚悟を決め、『ミストルティン』に魔力を注ぐ。
「僕はあなたを止めなきゃならない」
彼女の理想通りであるならば、アルミス、エリアス、貴族であるサイカも含めて、皆不要という事になる。
それだけは絶対に許さないと、ポロは魔力を注いだ『ミストルティン』を変形させ、猫爪手甲を模した武器を生成する。
戦闘態勢になる彼を、イズリスは微笑みながら見つめ。
「そう……坊やはそういう道を選ぶのね」
残念だと言わんばかりに、彼女もまた体内から魔力を放出させ、攻撃に備える。
神になれなかった彼女と、人になれなかった彼は、互いに向き合い。
意を違えた二人の頂上決戦が始まった。
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