213話 魑魅魍魎うごめく死者の国 ルピナスサイド
ポロとノーシスが対峙していた頃。
先に霊山へ足を踏み入れたバルタ達は、『冥界の谷底』へ向けて薄暗い山道をひた歩く。
「ったく、陰気臭い場所だな。瘴気が肌にベッタリ張り付いてくるみたいだぜ」
霧が濃く、肌寒い場所。
得体の知れない悪寒が付き纏う空気に、バルタも気分が優れない様子だった。
「ここは生前に未練を残した者が集まる場所だもの。大罪を犯した者が幽閉される場所、奈落とも繋がっているとされているわ」
「は~ん、どうりであちこちから悪感情の気配が漂ってくるわけだ」
ルピナスの説明に納得したバルタは、山道をダルそうにして歩を進める。
その隣で、怯えたようにバルタのそばにくっつくナナ。
「大丈夫だよナナ。魔物が来たらあーしらが追い払ってやるからさ」
リノはナナを安心させようと声をかけると。
「いい。私、みんなより、強いから、戦える」
「そりゃあ頼もしいね」
などと強がるナナだが、通常の魔物とは違い、姿なき死霊の存在に精神的恐怖を拭い去れず、終始震えが止まらない。
そんなナナを見ながら、ルピナスは「これが普通の反応よね」と親近感を覚えた。
「オニキスはこの道をたった一人で下って行ったんだから、正気じゃないわ」
などと呆れたように言いながら。
一同が道なりに進む中、ルピナスはチラリと後ろに目をやり。
後方を歩くタロスに彼女は近寄り、歩幅を合わせながら話を切り出した。
「あの……タロス。私のこと、覚えてる?」
木彫りの人形はルピナスを見ながら首を傾げ。
『いきなりだな。覚えているとは、この間の、セシルグニムでの一件か?』
「それはごめんなさいって……。そうじゃなくて、もっと前。あなたが人間だった頃よ」
タロスは顎に手を当て天を仰ぐ。
『……ずいぶん前だな。悪いが心当たりがない』
「そう……」
『だが、俺の正体を知っているという事は、俺がグリーフィルで傭兵をやっていた時期に会っていたのだろうな』
他人事のように話すタロスに寂しい気持ちが募るルピナス。
「ええ、そうよ。ユーカって名乗れば分かるかしら?」
ルピナスは本名を名乗るも、未だタロスはピンと来ず。
「……じゃあこれなら分かるわよね? あなたが仕えていたアンセッタ家の令嬢、エルメル・ソル・アンセッタを」
苛立ちを露わにタロスに詰め寄るが、タロスは無言のまま歩を進める。
「ねえ、聞いてるの?」
『その名前に聞き覚えはある。俺の魂をこの人形に転移させた者から事情は聞いていたからな』
「人形使いの……アンクロッサ?」
『彼女も知っているのか。ああ、そうだ、大体の話は人伝に聞いている。……だが』
ふと、タロスの伝声の魔鉱石から発せられる声量に力がなくなり。
『その子爵家で過ごした記憶が、俺の中で欠損している』
「えっ?」
『アンクロッサの術は完璧ではなかった。この体に転移する際、同時に幾つかの記憶の断片も、肉体に置いてきたようでな』
「そんな…………」
タロスの言葉に、ルピナスは愕然とした。
過去を分かち合える唯一の存在だと思っていた彼女にとって、それは精神的に堪える一言だった。
『察するに、そのエルメルという者は、俺にとってもお前にとっても、大事な人物だったようだな』
「そうよ! あなたが命を懸けて守ろうとした女の子……そのエルメルが、この先にいるの! もしかしたらあなたを待っているかも知れない。それなのにあなたは……」
彼女との思い出を忘れてしまったタロスに、やり場のない怒りがこみ上げる。
『……すまない』
「謝罪が聞きたいんじゃない! 昔から感情表現の薄い人だったけど、無機質な体になって心まで失ったんじゃないの!?」
「ちょっと、あんた!」
メティアは木彫りの人形を揺さぶるルピナスの肩を掴み静止させた。
「事情は知らないけど、今は共闘するんでしょ? うちの船員に突っかかるのはやめてもらえるかい?」
「黒エルフは黙ってなさいよ! 私はこの男に――」
と、言いかけた時。
サイカは瞬時に彼女の眼前まで距離を詰め、腰に下げた剣を抜き、彼女の首元に切っ先を向けた。
「騒ぐな。ただでさえ周囲にアンデッドの気配がするのだ。一本道で魔物に囲まれたら逃げ場はないぞ」
正論を突き付けるサイカにルピナスは押し黙り。
「ええ、悪かったわよ。ちょっと気が昂っただけ。大人しくするから、その剣しまってくれる?」
両手を上げ、降参のポーズでサイカをなだめた。
サイカが剣を鞘に納めると、ルピナスはタロスに見向きもせず、そのまま先頭のほうへ戻っていった。
「タロス、大丈夫?」
心配そうにメティアは問う。
『問題ない。悪いのは俺だからな』
「そんなことないさ。記憶がないのは体を転移した影響なんだから仕方がないだろ」
『それでもだ。あの女にとっては大切な思い出だったのだろう。きっと、俺にとっても……。その記憶を忘れてしまったのだから、責められるのは当然だ』
「タロス……」
早々悪くなる雰囲気に、足取り重く歩を進める一同。
しばらく道なりに下っていくと。
景色はさらに淀み、まるで暗闇の中を進んでいるような山道となる。
やがて道幅が広がり、平坦な広間へと繋がった。
「ここが最深部かい?」
グラシエは辺りを見渡し、下り坂がないか窺っていると。
ふと、皆の前に突然人影が横切った。
「あ? ……あれは」
それは子供のような背丈で、しかしこの世の者とは思えぬ風貌をしていた。
全身が影のように黒く、人の顔を模したような面を付けた異様な姿。
それは死者の国に住む住人。
人の形をした、成れの果てだった。
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