187話 遠き日の記憶④【3】 過去の事象
ひと月が経った頃、悲劇は突然起こった。
以前アンクロッサが話した通り、グリーフィルの町に敵国の暗殺部隊が侵入していたのだ。
彼らが狙うは貴族の家。
一夜にして、国で権力を持つ名家は次々と燃え盛る業火に焼かれてゆく。
それは、ユーカが住まわせてもらっている子爵家も例外ではなく……。
「旦那様! 奥様! 早くお逃げ下さい!」
古くから続いたアンセッタ家の屋敷が赤く燃え、無情に崩れる中、タロスは主人を逃がそうと外へ誘導する。
しかし、屋敷の中にも多くの刺客が忍び込んでいた。
「ぐあっ!」
「旦那様!」
そして、逃げ遅れたアンセッタ子爵は、刺客が放った投げ槍によって胴体を貫かれその場に倒れる。
「貴様……よくも」
突如、タロスは銃剣を構え、練気を込めた弾丸で刺客の脳天を撃ち抜いた。
敵が動かなくなった後、再び二人を連れ出そうと視線を向けると。
「あなた、しっかりして!」
急所を突かれた主人は妻に抱えられながら。
息も絶え絶えの中、最後の力でタロスに訴える。
「エルメルを……私の娘を……守ってくれ……」
「旦那様……」
「タロス、私からもお願い。あの子を守れるのはあなたしかいないの」
「…………」
二人は願う。娘の無事を。
考えている暇はない。
タロスは拳を握り絞め、二人の願いを聞き入れた。
「行って参ります。どうかご無事で」
この状況で無事でいられるはずはない。
そうは思うが、タロスに全員を守る力はなかった。
己の無力さに憤りを感じながら、炎々と燃える屋敷の中を、タロスは駆け抜けた。
屋敷の別室にて。
「ユーカ……怖いよ……」
「大丈夫、私がついてるから」
逃げ遅れたエルメルとユーカは、刺客と交戦するメイド長を見守りながら、部屋の隅で蹲る。
だが、戦闘が本職ではないメイドでは、圧倒的に刺客の男が優勢。
「ユーカ! ここは私が食い止めるから、お嬢様を連れて逃げなさい!」
自分の力では勝てないと覚ったメイド長は、体中に深い切り傷を負いながらも男を足止めし、どうにか二人を逃がそうと時間を稼ぐ。
「エルメル、立って。行くわよ」
「でも……でも!」
「みんながあなたを守ろうと、命を懸けているの。だから、逃げるのよ!」
ユーカはエルメルの腕を引っ張り、天上が崩れる廊下を駆け抜け、外へと逃げる。
しかし屋敷から逃げた先には、十人もの武器を構えた刺客が立っており。
「……そんな」
二人は瞬く間に取り囲まれた。
逃げられない状況に、ユーカは愕然とする。
と、その時、庭の方面から数発の弾丸が放たれ。
「うぉあああああ!」
全身に火傷と刺傷を負いながら、タロスは銃剣の切っ先で刺客の一人を貫いた。
「タロス……その傷……」
「ご心配には……及びません。それよりも、早くお逃げ下さい」
タロスは庇うように二人の前に立ち、刺客達に銃剣を構える。
「そんな……その体でどうするのよ!」
「ユーカ……お嬢様のそばにいてやってくれ。ここを片付けたらすぐに追いかける」
九人の男を相手に、たった一人で立ち向かおうとするタロスに、ユーカは躊躇しながらも。
「エルメル……こっち」
ユーカは走った。
この世界で初めて出来た、主従関係を超えた親友の為。
走って、走って、走り抜けた。
燃え盛る屋敷から少しでも離れようと。
泣きながら走るエルメルに、何度も「大丈夫」だと元気づけ。
だが、そんな気休めを嘲笑うかのように。
暗い道の陰から、一発の弾丸がエルメルに撃ち込まれた。
「あ…………」
弾丸は彼女の胸を貫通し、バタリと地面に突っ伏した。
「エルメル!」
「あ……は……はぁ……」
口をパクパクさせながら、エルメルはユーカに手を伸ばす。
「しっかりして! お願い、死なないで!」
切に叫ぶユーカの元に、その元凶は静かに歩み寄り。
「手間取らせやがって、誰一人生かすわけねえだろ」
拳銃を持った男は、ユーカの額に銃口を向ける。
――どうして……どうしてみんな……私から幸せを奪っていくの?
自分はただ小さな平穏を望んだだけなのに、と、ユーカは二度目の死を迎える直前、己の運命を呪った。
長所を失い、尊厳を失い、大事な友も失い。
空っぽになった自分が最後に奪われるのは、何もない役立たずの命。
――許さない……絶対に許さない……何もかもなくなってしまえばいい。
そんな恨みが脳裏を駆け巡った時。
彼女の背後から、声が聞こえた。
「【異端者の裁き】」
途端、目の前にいた男の頭上に白く光る稲妻が落ち。
男は灰となって跡形もなく消え去った。
「……?」
状況を飲み込めずに、ふと後ろを振り返ると。
「機は熟した……。遅れてすまないね、新たな転生者よ」
そう言って、聖職者の姿をした男はユーカの前に立ち、手を差し伸べる。
「私はオールドワン。地母神イズリス様の代行者だ」
「オールドワン?」
「君の意志を問いたい。これから先も狩られる側として細々と生き続けるか、力を手にして狩る側に転ずるか」
ユーカの激情を知っての選択。
これ程まで運命に嫌われた自分が、ただ指をくわえて搾取され続けるなどありえない。
そんな道理が通るわけがない。
「もし後者ならば、この世界に抗う力を君にあげよう」
自分の腕の中で、すでに絶命した親友を見ながら。
「……エルメル」
涙を流し、彼女は決心した。
「くれるなら頂戴。奪われるのは……もうたくさん」
良い返事が聞けたとオールドワンは微笑を浮かべ、話を進める。
「大変結構。では力を譲渡する前に、新たに自分の名前を決めてほしい」
「名前?」
「過去の自分と決別し、新たな自分を迎える為の儀式のようなものだ。名前によって力の差異はない、よって、好きな名前を決めてほしい」
オールドワンの言葉に、ユーカは屋敷に咲いていた花を思い出す。
願いと、決意を胸に。
「……ルピナス。私の願望を具現化したような花の名前よ」
その花言葉は『いつも幸せ』
あるいは……『貪欲』
ご覧頂き有難うございます。