9 脆弱なセキュリティ
***
警備室に連れて行かれた男を確認した三人は目を見開いた。
「朝陽、コイツ二年の黒山亮だ」
「ああ」
黒山は海を見てバツの悪そうな顔をする。
「くそっ、女に投げられるなんて」
海は不快気に目を細めた。
「ノーランクを見下していた君にはいい薬だよ」
実は海は、教室で黒山が律に喧嘩を売ったのを根に持っていた。結果的にとはいえ制裁を加えられたことに感謝していた。
「で、一体誰に指示された?」
黒山は朝陽の鋭い目付きに気圧されそうになったが、
「言う訳ないだろ」
そう言って決して口を割らない。このままでは埒が明かないので、三人は一度退出して外で話し合った。
ふと律はある疑問を朝陽と海に尋ねた。
「なんで温泉に逃げたんだ?」
それに対して、海には思い当たる節があった。
「昨日と今日で男湯と女湯が逆だったからじゃないかな」
男湯と女湯は左右で接しており、若干造りが違うので露天風呂のある方角が違う。すると景色の眺めが良い方と悪い方が生まれてしまい、この旅館は毎日清掃の後、男湯女湯を入れ替えている。
ちなみに眺めが悪い方が温泉の種類が多く、どちらにめメリットがあり、客のリピート率を高めている要因でもある。
「今日男湯だった場所より、今日女湯だった場所の方が人気が無いから垣根が低くて、そのまま外に出られた。つまり昨日入った時点では垣根が低い方だったから、咄嗟にそれを思い出して逃げようとしたんじゃないかな」
つまり黒山は、初日海が入った方の温泉を想定していたのだ。
「冷静に考えると初日と入れ替わってたのを思い出したかもしれないけど、私が朝陽くんの部屋に居るというイレギュラーが起こって焦ったのかも」
「そういうことか」
「焦ったといえば、あの魔女狩りもそうだろうな。本来ならキャンプファイヤーの方が確実に人の目を気にせず行動出来た。でもあの魔女狩りが行われたことに焦りを募らせ、予定を早めたのか」
朝陽の言っていることの可能性は高かった。あんな事態がおこれば、ゴールドやノーランクは確実にキャンプファイヤーの時を警戒する。
「しおりを見れば、入浴時間の割り振り表があるからね。キャンプファイヤーより都合が良くなったってわけね」
「多分お前が真面目に、同じ時間風呂に入ってたら気づかなかっただろうな」
「りっちゃんがスマホ忘れたお陰だね!」
「なんだと?」
「んん?何かね?」
「コラ」っと朝陽は二人に手刀を入れた。
「こんな時にしょうもない茶番をするんじゃない」
「はーい。・・・・・・ふふっ」
海は思わず笑みを漏らし、朝陽と律も笑った。これで本当に元通りに戻った。いつも通りの言葉、雰囲気。
不意に咳払いをして、朝陽は真顔になった。
「実はスペアキーだが、管理場所の防犯カメラがメンテナンス中だった」
「そんな都合のいい話があるか?」
「こんなものを見つけた」
それはこの旅館のみならず、全国にネットワークを広げるセキュリティ会社のパンフレットだった。
「FRPセキュリティ?」
海は首を傾げた。FRPはテレビでもよくCMをするほど、その業界ではとてもメジャーな会社だ。
「FRPセキュリティは、Shidoの子会社だ」
「!」
朝陽の言葉に海は目を見開いた。ここで黒幕のクラスが判明する。黒幕はBクラスなのだ。
「旅館の話によると、突然セキュリティ会社から防犯カメラの不具合を指摘されたらしい。防犯上の理由ですぐにメンテナンスを実施していたところ、スペアキーの盗難にあったらしい」
偶然黒山がスペアキーを盗む時に防犯カメラの不具合が起こり、すぐに察知したセキュリティ会社がメンテナンスを行い機能不全にする。それは出来過ぎた話だった。
「完全に黒山がBクラスと繋がっているな」
「そうだ。そして今年この旅館に変更された元々の原因は、毎年Aクラスが利用しているホテルをShidoの社員旅行で貸し切っている為だということが判明した」
海は額を押さえる。
「何もかも仕組まれてたってワケ・・・・・・」
この前からずっとBクラスにやられっぱなし。いつも先手先手を打ってくる。
(本当に、反吐が出る)
海は心の中で吐き捨てた。
「黒山はどうするの?」
「今車を手配している」
このまま学院に連れて行くのだと理解した。しかしその時だった。突然パトカーのサイレンの音が遠くから聞こえてきた。走ってくる警官に驚いたのは朝陽だった。
「旅館には警察に連絡しないでこちらで解決すると伝えたはずだ」
駆けつけた警察官は更に衝撃の事実を伝えてきた。
「先ほどセキュリティ会社の方から、盗難事件があったとの連絡を受けました」
朝陽はハッとして、忌々しそうに壁を叩いた。
「くそっ、やられた!」
警察官は警備室の黒山に手錠をかける。中で黒山は抵抗しようと暴れていた。
「やめろ!俺が何したっていうんだ!」
「暴れるな!窃盗の容疑で署まで連行する」
「くそぉ、俺はもう捨て駒にされたってことかよ!!!」
黒山はパトカーに乗せられ、連れて行かれた。しばらく海は黒山の言葉が耳に残って仕方なかった。Bクラスのゴールド紫藤は、お茶会の時の言葉通りに駒を使い潰したのだ。きっとこれはヘマをした黒山の粛清。
もしもこのまま朝陽が学院に連れて行けば、少なくとも社会的影響は無しに済んだかもしれない。
後から聞いた話だが、黒山の親は事業に必要な資金を闇金から借金をしており、返済しきれずに困っていたところをShidoが借金の肩代わりしたという。黒山にとってはShidoの命令を聞くしか方法はなく、こんな形で切り捨てられた黒山に海は複雑な気持ちを抱かざるを得なかった。
***
その後予定通りキャンプファイヤーは行われた。Aクラスの生徒はまだ黒山が連れて行かれたことは知らない。あくまでも捕まったのは男湯に入った不審者だ。
燃える焚き木はパチパチと音を立てて燃え、赤い炎が大きく揺らめき、それは妙に感情に訴えてくるものがあった。生徒達の中には涙している者も居る。正直講義があった二日感は本当に地獄だった。みんなストレスでちょっとおかしくなっている。
経緯はともかく、朝陽と律、そして海も並んで炎を眺めていた。
「ひい、これは律と話し合って決めたんだが、今までお前に隠してたことを全部話そうと思う」
海はハッとして二人の顔を見た。二人には笑みが浮かんでいる。
「これからは一蓮托生だ。俺達に優劣なんて無い、胸張って三人で一緒に並んで歩いていこう」
「うん」
海は頷いた。視界がぼやけそうになったが、絶対に泣かなかった。そもそもこの二人の前では泣けないのだ。
「そろそろ合宿も終わりだな」
「長かったな」
「俺と朝陽は今日半分休んだけどな」
「言うなよ」
三人はくつくつ笑って、自然と手を繋いでいた。朝陽を挟んで律と海が並ぶ。いつだったか、昔もこうして手を繋いでいた。まだ今ほど身長に差が無かった頃の、ずっと昔。懐かしくてとても大切な思い出。
***
三人はキャンプファイヤーの後、朝陽の部屋に集まった。部屋に備え付けられた緑茶と、お茶請けのお菓子を軽くつまんでから本題に入った。
「まずは反省会からだな。入浴中は多少なりとも生徒が分散するから、黒山は犯行に及んだんだな」
朝陽の言葉に律は頷いた。
「焦りと恐怖は人を駆り立てる。それはシルバーの魔女狩りとも合致するな」
「ひいにも怪我が無くてよかったが、一人で深追いするのは危ない。これからなるべく助けを呼ぶように」
「はーい」
確かに、男湯に入ったのは少し軽率だったかもしれない。今日のような状況であれば少なからず、入口を見張りさえすれば逃げられることはなかった。冷静さが欠けていた。
しかし朝陽は、最後は怒らなかった。
「でもお手柄だ、ひい。よくやった」
「!・・・・・・はい!」
「じゃあ、そろそろ他クラスの話をするか」
律は用意していた資料をタブレットで表示していた。海は紫藤伊織という名前を見て、少しドキリとする。
「まずは紫藤伊織。去年からゴールドになる為に他の候補者の会社に圧力をかけたり、不正を捏造して脱落させた疑惑が持たれている。これはただの想像だが、紫藤はゴールドではなく鷹坂グループに何か思惑を抱いているのかもしれない」
「ゴールドはあくまでその足がかりなのかもしれないってこと?」
「そうだ」
「うーん、やる事も考えてることも、ひねくれてるなぁ」
なんとも言えない沈黙が落ちた。律は咳払いをして、次の資料を出す。
「で、弟の戸崎晶。兄の紫藤とはそれほど仲は良くない。考えられる理由に、性格の不一致、別姓で育てられたことが挙げられる」
海は首を傾げる。
「なんで兄弟で別姓なんだろ。愛人の子供だから認められなかったの?」
「それだと一緒に育てる理由が分からない。それもわざわざ紫藤から引き取っている」
うーん、と海は頭を捻ったが、この情報では憶測しか生まれないので次に進んだ。
「Cクラスの秋月慧斗は唯一の二年生ゴールドなのに、すでに絶対的存在なんだよな。命令系統を完全に作り上げて、一瞬の隙も見せない」
「でも道理をわきまえた人間だ」
「確かに。唯一、朝陽とウマが合いそうなゴールドだよな」
「ふーん」
確かに、冷たいが悪い人ではなさそうだった。ふとあの日泣き顔を見られたことを思い出して急に恥ずかしくなり、慌てて話題を変えた。
「Dクラスは?」
問われて朝陽は苦笑いした。
「あの人はやっぱり特殊だな」
「分かる。もはや人間性とかいう話じゃない」
律がこれほど言うのは珍しい。
「まあ分かるけどね」
初回のインパクトが強過ぎた。律がタブレットのディスプレイで、ある場所をボールペンで指し示した。全く関係は無いが、そのボールペンは一本五万もする高級品だと気付いてしまった。本当に関係無い。
「三ノ宮さんの経歴見てみろ」
「うん」
(もうこれ以上驚くようなことは無いと思うけど)
そう安易な気持ちで覗き、海は自分の目を疑った。
「え、あの、高等部卒業って書いてるんですけど・・・・・・?」
声が震えてしまった。朝陽も律も目を合わさない。ここで朝陽が追い打ちをかけるようなことを言う。
「・・・・・・今はグリュック学院大学の二年生、しかも成人済みだ」
「未成年でもないの!?!?!?」
「でなけりゃ金髪オールバックなんてしないだろう。いや、大学生でもやるか微妙だけど」
律の言葉に海はコクコクと頷いた。
「な、なんでゴールドやってんの?やっぱヤクザで学院に脅迫でもしたの?」
「いや、Dクラスに適性者が居なかったからだ。その場合は空席になるのが通常だが、本人曰くく」
『Dクラスは歴代不作だなァー、後輩が可哀想だからDクラスOBの俺がやってやるよ。ったく、俺はなんて優しい先輩なんだ』
「あの人それで大学の単位大丈夫なの!?」
「授業は大学に行って、寮とか放課後は高等部に居る」
「マジで何がしたいの!?」
「まあ、後輩思い(?)なんだろうな」
朝陽の言葉に『(?)』が使われる日が来るなんて誰が想像出来たか。
「いや俺はゴールド専用寮を使用したいだけだと思ってる」
律はジトッとした目をしている。
「いいの?それ」
「銀行の頭取の息子だし、一応、二年前の元ゴールドだから学長も許可したんだと思う」
不意に海はあることを思い出してハッとする。
「・・・・・・三ノ宮さん、卒業したの二年前なのにちゃんと今年の三年生の制服着てた」
「「・・・・・・・・・・・・」」
朝陽と律は黙った。学院の制服は各学年、少しずつ襟元のデザインとネクタイの色が異なる。買ったのか、新しい制服。
「もう何も言ってやるな。一応先輩なんだ」
先輩と聞いて海は思い出した。確か朱里は三ノ宮先輩と呼んでいた。敬称を付けないのは気にしていなかったが、朱里の性格からするとからかいも入っていたのかもしれない。
「そういえばブロンズの一年生に稲葉龍之介って居ただろ。調べたら実家はヤクザだ」
「お前がヤクザかい!!!」
思わずタブレットを放り投げてしまった。ごめんよタブレット、キャッチしてくれてありがとうフカフカのベッド。
投げ飛ばしたタブレットは律が律儀に回収した。
「両親は離婚していて、今は母親の旧姓を名乗っている。親権元の母親は関西で展開するたこ焼きチェーン店社長。会社は上場もしている。多分シルバーになろうと思えばなれるが、父親の組織する指定暴力団の心々会を露見させたくないんだろう」
「それは正しいな。シルバーは目立つ。シルバーやゴールドはそこに居るだけで探られる。ノーランクも、学院での詮索禁止というだけで、調べる奴は調べる。まあノーランクを敵に回すのはゴールドを敵に回すのと同義だから、早々下手なことはしないがな」
(確かに、前にりっちゃんに喧嘩を売ってきた黒山も、結局裏切り者だった)
ノーランクに関わるというのは、やはり何か理由があるのだ。
ふと朝陽は時計の時刻を見た。時刻は深夜一時。
「明日はバスだから、そろそろ寝るか」
「そうだね」
「ああ」
律はタブレットの電源を切った。
「今夜は念の為、全てのスペアキーをこちらで回収してあるが、一応警戒するように。内鍵を忘れるな」
朝陽の用意周到さは流石だったが、ある問題点があった。海は恐る恐る挙手した。
「あ、朝陽くーん・・・・・・」
「どうした?ひい」
「私の部屋の内鍵、壊れてます」
「「・・・・・・・・・・・・」」
デジャブ。
***
フロントに確認したが、内鍵の部品は取り寄せ中で修理出来ないとのことだった。他に部屋はあるが、どの生徒の部屋よりもグレードが下がると聞いて朝陽が先に断わった。
「今日は俺が律の部屋で寝るから、ひいが俺の部屋を使え」
海は「えっ」と素っ頓狂な声を上げる。
「いいよ、私なら大丈夫だよ!」
「本当は三人で寝た方が安全面では良いが、体裁が悪いから渋々妥協案を出しているんだ。大人しく俺の部屋を使え」
「じゃありっちゃんの部屋譲ってよ、VIP専用なんて使えない!」
「良い方を使えって言っているんだ」
「じゃあ俺達の荷物は撤収するから」
そそくさとVIP部屋を出ていく二人。
「待ってあのUSBは!? 」
「粉砕処理済みだ」
「物理的〜〜〜」
こうして海はのびのびとVIP部屋を使うことになった。
さっきまでは話の内容が濃すぎて気にしなかったが、VIP部屋だけあって海の部屋の二倍は広かった。さらに部屋は和洋折衷で、手前にソファーとテーブル、隣に広々としたベッドが置かれている。そして一番奥は畳の和室でくつろぐことが出来、さらにベッドの反対側にはバルコニーがあった。
まあ時間も時間なので、もう寝ようとベッドに転がりかけた時だった。ベッドに誰かが一度寝た形跡があった。部屋は必ず毎朝クリーニングが行われる。
(そういえば、キャンプファイヤーの後に備えて、朝陽くん少し仮眠したとか言ってたな)
つまりこのベッドは朝陽の寝た後。
「・・・・・・・・・・・・。・・・・・・いやいやいやいや!何!?私は今何を考えたの!!!」
海は両頬を叩いて、シャワーを浴びて勢いよくベッドに寝転んだ。たかが三時間弱、他人が寝たベッドがなんだ。
(よく考えて?このベッドは毎回日本中のVIP達が泊まっている。お金持ち、それはお金のあるおじさん、そしてきっとその愛人も一緒。多分。つまり時間比で言うと朝陽くんなんか使っていないに等しい)
目を閉じて深呼吸をする。
「・・・・・・ダメだ、変に意識したせいで眠れない・・・・・・」
不意に脳裏をよぎった幼い頃の思い出がフラッシュバックした。
(朝陽くんとりっちゃんに出会ったのは、私が小学校一年生の頃だったかな)
小学校の頃の記憶なんてほとんど残っていない。でも、確実に自分の心にあった感情は覚えている。しかし朝陽が小学校六年、律と海が五年の時のある出来事がきっかけで、海は朝陽や律と疎遠になった。それから五年間、二人とは音信不通だった。
そのせいか、お陰か。
(見事に消えたなぁ、朝陽くんへの恋心・・・・・・)
消えてもよかった。あれはきっと、幼い頃の幻だったのだ。一時の恐怖で消えてしまような脆くて儚い感情。