8 過去のトラウマ
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昼休憩より後、朝陽は適当な理由をつけ、律と海はノーランクの特権で授業をキャンセルした。三人は会議室ではなく、朝陽の部屋に集まった。律はテーブルの上に例のUSBメモリを置く。
「あの場には全員居たことはシルバーの成田に確認済みで、USBも無事だ」
それには三人共ホッしていた。あの後すぐに、実はこれは犯人の陽動で、USBは既に取られてしまったのではないかと気付き、一瞬三人共々放心したのは別の話だ。
朝陽は息を吐いて、ソファにもたれかかって天を仰いだ。
「まさかアイツらがあんなことをするなんて」
「シルバーにはシルバーの情報網があるわけか。今日でよく思い知ったよ」
実は裏切り者が居るという噂は、シルバーの中でも密かに囁かれていた。それに合わさって律の不審な行動や、夜中の会議室の使用を誰かが目撃したらしく、合宿のストレスによる情緒不安とも相まってこのような事態が発生した。
しかし確証や証拠は何一つ無く、本当に魔女狩りと同じだった。下手をすれば代わりに別の人間が裏切り者のレッテルを貼られ、本当の黒幕は難を逃れたかもしれない。
「これだけ大騒ぎしても、犯人はまだ動くと思う?」
律は頷いた。
「必ず動くだろう。でなければ自分のクラスを裏切るなんてこと、そうそう無い」
静かな沈黙が部屋に落ちた。
まだ裏切り者は分からない。それどころか今回の件でより慎重に行動するようになるだろう。キャンプファイヤーの刻限まであと少し。海はしおりを開き、スケジュール行程を見直していた。
「ひい」
「え!あ、何?」
突然朝陽に声をかけられ海は、変にヘラっとした顔をしてしまった。
「何か、俺達に言いたいことがあるんじゃないか?」
「・・・・・・・・・・・・」
海は黙った。
「ひい、話してくれ」
海は律に促され、一呼吸おいてから口火を切った。
「私にはシルバーの気持ちが少し分かる。朝陽くんと律がAクラスの為に頑張ってるのは知ってる。でも、私情を挟んでいても、二人の力なりたかったのは本当だと思う。Aクラスが好きだから。・・・・・・私もそう、二人の力になりたい」
「ひいはよくやってくれてる」
朝陽の言葉で、海の中の何かの引き金が引かれた。
「じゃあどうして私を遠ざけるの。私は本当に二人の力になれていない。ううん、私を巻き込まないようにあえて何も教えてくれないから、スタート地点にすら立てていない!」
秋月に言われた通りだ。紫藤の問題行動のことや、紫藤の弟のこと、ゴールド達の性質。他にも、この学院に在学しなければ知りえない情報が多々ある。それを共有してくれなければ、海は仕事に取り掛かることすら出来ない。
事実現時点でそれほどめぼしい情報は手に入っていない理由はそれだ。クラスメイトを観察するだけでは限界がある。他クラスを調べようにも、無知で飛び込むのは無謀だ。それこそこの前の椿棟での二の舞になる。
「この学院に来るの、本当は怖かった。学院が怖かった訳じゃない、二人が私を突き放すんじゃないかって怖かったの・・・・・・昔みたいに」
律は言葉が見つからなかった。やはり懸念していた通り、海は五年前のことが心に引っかかっていたのだ。
「あれは───」
「鷹坂グループから遠ざけようとしたんでしょう。私だけ部外者だったから」
「違う!」
朝陽は必死で反論する。
「部外者なんかじゃない、俺達は確かに友達だった!けれどあれ以上、鷹坂グループの恐怖を植えつけたくなかった。おじい様は冷酷だ。現にひいを利用して学院でスパイをさせている。ひいが普通に得られるはずだった幸せを、鷹坂グループが奪ってしまった」
「確かに私はお金に釣られてここに来た、けれど、朝陽くんとりっちゃんの力になりたいと思ったのは嘘じゃないんだよ!?勝手に私の幸せを決めつけないで、ちゃんと私を信じてよ!」
海の悲痛な叫びを聞いて律は苦しかった。律には朝陽と海、どちらの気持ちも分かる。
海は自分がお金で雇われたという罪悪感が永遠に付き纏うのだ。だからその罪悪感を消し去る為に最大限に自分を使って欲しいと願っている。
それは律も同じだった。最初朝陽と出会ったのも父親が重役だからだ。半ば強制的に律は朝陽と一緒に過ごすように言われ、お金の為に友達でいるという罪悪感から抜け出すのに苦労した。
そして五年前のことも。突然距離を取ったことがトラウマになり、海は今も心のどこかで朝陽と律を信じられずにいる。それはもっともだ。
しかし朝陽にも、海の知らない彼なりの事情があった。
律は目蓋を伏せる。
「悪かった、ひい。お前をそこまで追い詰めていたなんて思っていなかった」
「律だけじゃない、俺もだ。・・・・・・ひいには何も知らずに居て欲しかったんだ。一緒に居てくれるだけでいいと、勝手に思い込んでいた。悪かった」
「ただ」と朝陽は付け加えた。
「紫藤は本当に厄介な人間なんだ。お前には黙っていたが、この前の茶会でも紫藤はお前に目をつけていた」
「お茶会?」
朝陽は頷き、当日の会話を海に語った。
***
お茶会当日、狭い和室で紫藤はクスクスと笑っていた。
「あの潔癖なAクラスが、とうとう女の子を撫子棟に入れるなんてね」
朝陽は眉をひそめる。相変わらず嫌な言い方をする。
「実力のある者がたまたま女子だっただけだ。それに女子を引き入れて何がおかしい。シルバーの女子全員にカードキーを渡しているBクラスにだけは言われたくないな」
「それは僕の性格上成り立つんだ。ところで日野森さんに男物の制服を着せるのはどうして?まさか年下の婚約者を妬かせない為か?そんなの女からしたらなんの気休めにもなってないのに、健気なことだね」
ここで朝陽に加勢したのは秋月だった。
「先ほどからの発言はあまりに過ぎたものかと思われます、紫藤先輩。そもそも他クラスのノーランクに何故そこまで干渉するのですか」
「そーよー、紫藤。アンタ何様のつもり?自分はこの世で偉いと勘違いしてんじゃないでしょうね」
後者は神野朱里だ。紫藤に対して、こうあけすけもなく物を言える人間はそう何人も居ない。
「神野はともかく、秋月が鷹坂以外を援護するなんて珍しいね」
「あら、慧斗も私も海ちゃんを気に入っているのよ。顔を見ればあの子の性格の良さが見て取れるもの、アンタと違ってね」
「確かに、日野森を甘く見ると紫藤なんかコテンパンにやられるぞ。お前運動神経悪いから。ハッハッハ」
声をあげて笑った三ノ宮だったが、それを聞いた七沢桜が腰を浮かせた。
「三ノ宮様、それ以上は伊織様への侮辱と見なしますが」
「やーめろ、桜」
紫藤は低い声で七沢を押し留める。
「海の制服は単に動きやすさの問題だ。それに俺達Aクラスは少数精鋭をモットーにしている。能力があれば性別は関係無い」
「なるほど。確かにあの子の適応力は認めよう。この前の丁寧な謝罪も見事だった。だが我々Bクラスからすれば、他クラスの人間は皆敵だ。各々《おのおの》手駒は潰し時をよく考えてくれ」
神野は片目を閉じて、「オエッ」とわざとらしく呟いた。
「流石は紫藤ね。汚い発想だわ」
「なんとでも言ってくれ。ただ、僕達の邪魔をする人間はどんな手を使っても潰す。それを忘れないでおけば、あの子をどうするべきか自ずと分かるだろう」
***
「・・・・・・・・・・・・」
海は絶句していた。それもそうだ、朝陽と律はかなりのことを海に隠している。こうして朝陽は海を守ろうとしていたと恩着せがましく伝えたくなかったし、そのつもりも無かった。
こうして海はまた、余計な錘を増やしてしまうだろうと律は自責の念に駆られた。
「俺が悪いんだ。お前が来た時から、それはずっと俺のせいだと思っていた。だから朝陽に、お前にはあまり情報を伝えないで紫藤から引き離すように頼んだ」
「律のせいだけじゃない。それに賛同した俺も同罪だ。でもこれだけは分かってくれ、俺達はひいのことをちゃんと仲間だと思ってる。勝手なのは重々承知の上で、ずっと、五年前からお前の幸せを願っていた」
二人は謝った。しかし海にはその謝罪の必要性が見つけられなかった。
海は何も知らなかった。何もかも。無知ほど恐ろしいものは無いというが、その通りだ。
わがままを言って騒いだ海は、ただの子供だ。願望を押し通そうと、自分を守ってくれていた二人の気持ちなんてまるで考えていなかった。本当に恥ずかしい。
「・・・・・・ごめんなさい」
海は拳を握り絞めた。
「自分が情けなくて仕方がない」
本当に二人を信じていなかったのは自分なのだ。突き放されたのは、単に自分のことが嫌いだったからではないのか。本当は今でも海の存在が邪魔なのではないか。疑えばキリがなかった。
(何より私は、融資と引き換えに学院に来た罪悪感を消したかっただけなんだ)
二人の優しさが、真綿で首を絞められているようで苦しかった。
「必ず言葉を見つけるから、少しだけ待って欲しいの」
***
全ての授業が終わるのは五時半。海は後半四コマの内二コマは受講出来たが、律は朝陽の部屋に残ったようだった。この後夕飯を食べてから決められた時間内に入浴を済ませ、キャンプファイヤーの行われる広場に向かう。
キャンプファイヤー時、朝陽が居なくなる訳にはいかないので、朝陽の部屋には律と海が張り込む予定だ。
正直セキュリティも万全なVIP専用部屋にどうやって忍び込むのか不明だが、やりようはある。部屋は最上階、屋上からバルコニーに飛び移って窓ガラスを割り、侵入する可能性が高かった。
ひとまず三人は入浴の為、温泉に向かう。人数が多いので男女共に前後半で別れており、朝陽と律、海は三人共前半だった。
すると突然律が温泉の脱衣所の暖簾の手前で呻いた。
「しまった・・・・・・」
「どうしたの?」
「朝陽の部屋にスマホ忘れた」
その顔は青ざめている。確かにこれから何が起こるか分からないので、いざという時に連絡が取れないのは支障が出る。
「珍しいね、りっちゃんが忘れ物するなんて。私が取ってきてしんぜよう」
「でもお前も入浴時間は前半だろ」
「いいよ。前後半なんて目安だし、後半でも問題無いよ。だからりっちゃんは朝陽くんから離れないでね。朝陽くん、鍵借りてもいい?」
「ああ、頼む」
「りょーかいです!スマホとキーは預かってるから温泉にゆっくり浸かってきて」
海は笑顔で朝陽から部屋キーを受け取ると、タッタと走ってエレベーターへと戻った。最上階のボタンを押して、しばらくじっとしている。
(よかった、いつも通り)
三人共、出来るだけ重苦しい空気にならないように努めていた。あの話し合いはひとまず持ち越しになった。その場で全て解決出来るものではない。
一番奥の朝陽の部屋に入ると、まるで男子の部屋とは思えないほど綺麗に整頓されていた。
(まあ私、男子部屋知らないんですけどねー)
普通旅館なら多少なりとも物が散らかりそうだが、朝陽の場合そういうことが徹底して無い。几帳面な性格がよく滲み出ていた。
「あった」
律のスマホはテーブルの上にあり、簡単に見つけることが出来た。無事回収したので温泉に戻ろうとした時だった。
カチャリと部屋のロックが解除される音がする。
「りっちゃん?」
結局自分で取りに来たのだろうか、と振り返った時だった。そこに立っていたのは旅館のスタッフを着て、目出し帽を被った不審者だった。
「!」
「!」
海と不審者は目が合って互いに凍りついた。体型からして男、そして───、
(泥棒!?いや、なんか違うデショ!あれが例の裏切り者!?)
逃げ出した男を海は追いかけた。
「待ちなさいっ!」
男はエレベーターは他の階だと察知し、非常階段を降下し始める。海も後ろを追いかけ、二人の階段を駆ける足音が空間に響いた。しかし明らかに男は勢いが落ちている。
そして階段を降り終え、犯人は体力が切れたのか無理矢理な走り方で逃亡を続けた。ちなみに海はというと、階段ダッシュは体力作りの基本なのでこの程度では息も上がらなかった。
後ろを振り向いて、まだ追いかけてくる海にギョッとした男は、何をとち狂ったのか男湯に逃げ込んだ。海もその後を追いかけ、男湯の暖簾をくぐった。
入ってきた海に犯人は再びギョッとする。ちなみにこれに目を剥いて騒いだのは、男湯で入浴中の皆さんだ。
「なんだなんだ!」
「日野森さん!?」
「キャー!」
騒ぐ男子を尻目に海は舌打ちした。
(くっそ、こんな風呂イベなんざ要らねぇ!!!)
キャーってなんだ、逆だろ普通。こっちも好きで男湯に来たわけじゃない。
「ギャー!」
(あとその野太いも悲鳴ヤメロッ!!!)
そうして男湯が謎の阿鼻叫喚に包まれる中、目出し帽の男は露天風呂へと向かう。
しかしそこで何かに気付き、突然慌てふためいた様子で、男はピタリと足を止めた。海は男の足が止まったのを見計らって手を伸ばした。
「なんだ!?」
「ひい!?」
近くで律と朝陽の声がした。
海は肩を引かれ振り向いた犯人の腕と胸ぐらを掴み、片足を軸に自分の足に力を入れる。
(───朝陽くん、りっちゃん。私そんなにか弱くないんだよ)
海は身体を回転させ、犯人を背負い込む。
信じているなんて嘘だ。
本当は、心のどこかで二人を疑っていた。融資の為に学院に来たのを同情しているのか、突き放すことすら面倒で関わらせないのか。
自分なんて邪魔なんじゃないかと疑っていた。
突き放されたくなくて、嘘をついた。
(ごめんなさい、朝陽くん、りっちゃん)
でもそれは海の勝手な思い違いで、二人は確かに『仲間』として接してくれていた。
(もう一度私にチャンスを下さい)
濡れて滑る石のタイルをものともせず、海は男を勢いよく投げ飛ばした。男の背中は床に打ち付けられ、瞬間その場の誰もが息を呑んだ。今世紀最大に綺麗に決まった背負い投げだった。
そのまま海は男の片腕を背中に回して押さえ込んで拘束した。朝陽と律は慌てて腰にタオルを巻いてきた。
「大丈夫か、ひい!」
「なんだコイツは!?」
「朝陽くんの部屋に侵入してきたの。スペアキーを持ってた」
「「!」」
二人は驚き言葉を失う。スペアキーは完全に盲点だった。それは海も同じだ。それは全ての前提条件を覆す。
「あのね、二人共。今言うことじゃないけど、さっき伝えられなかった言葉が見つかったの」
海は朝陽と律を仰ぎ見た。
「二人は私を守ろうとしてくれるのは嬉しい。でも私は守られている訳にはいかない。二人は私のことを仲間だって言ってくれた。なら仲間として、堂々と二人の隣に立っていたい」
守られる為に二人の傍に居たいわけではない。
騒ぎを聞いた警備員と教職員が駆けつけ、その場は一時混乱に包まれたが、明らかに不審者である目出し帽の男は捕えられた。海も教師陣からいくつか質問を受けたが、すぐに解放された。