7 クラス別合宿
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合宿の日がやって来た。初日、一クラス約四十人が三学年は観光バスを借りて現地に向かう。
観光バスと言えども、ビジネスクラス並に広々としたシートに充電用のコンセントなどもある。しかし道のりは片道三時間と長く、いくつかのサービスエリアで休憩しながら旅館に辿り着いた。
旅館は見るからに立派で、自然豊かな山の中で存在感のある建物だった。生徒達は普段乗りなれないバスに疲れ気味な様子で、まず松の間に向かう。そしてゴールドの朝陽が、叱咤激励の言葉と諸注意を行った。
それから各自部屋に向かう。荷物は旅館の人が部屋に運んでくれている。朝陽と律、海は他の生徒の居ない海なので、最終的にエレベーターの中で三人になった。また貸切りなので他の観光客は居らず、旅館の中はゆったりと時間が流れていた。
海はキーを持って部屋に入る。部屋を見てまず思ったこと、それは。
「広い・・・・・・」
和室で畳特有のイグサの匂いがした。床の間には掛け軸と、生け花が飾られている。敷居を挟んで奥側には板の間があり、外が眺められるソファとテーブルが置かれていた。
海は朝陽や律と同じく少しグレードの高い部屋だった。それはゴールドの朝陽は最も良いVIP専用部屋なので、ノーランクの律と海は必然的にその近辺のグレードの高い部屋を割り振られているからだ。
(これ一人で使っていいの?実家の部屋より広いんだけど)
三人とも一人部屋だった。ゴールドとノーランクは同じ部屋にらならないし、ノーランクで同性同士なら有り得たかもしれないが、これもまた必然と言えた。
不意に部屋のインターホンが鳴らされドアを開けると律がそこに居た。
「ひい、後でスマホに俺のスケジュールと、館内の地図送っとくから。部屋は隣が俺で、その奥が朝陽だ」
「分かった、ありがとう。部屋どうだった?」
「去年のホテルより良い旅館だよ。ただみんな不慣れなのが難点だけどな。ひいはこの後どうするんだ?今日は自由行動だけど」
初日と最終日は移動時間が長い為、集中講義は行われない。数少ない自由時間だった。旅館から出ようと思えばシャトルバスも出ている。
しかし明日からの講義で山ほど『宿題』が出ているので、あまり羽目を外してはいけない。
「外に出るつもりは無いから、温泉かな。清宮さんにエステに誘われたけど、興味無くて」
そう言って温泉に向かうと、まさかの女湯には誰も居なかった。女子は男子と違ってすぐには温泉に行かない。まず団体行動でどこかしらに出かける。それを踏まえた上で海もここに来た。
まだ日が昇っているので浴室の方が暗く見え、ガラスを張って向こうに露天風呂があった。せっかくなので外で露天風呂に浸かることにする。
身体を軽く流してからガラス扉を開けると、一瞬外気に触れるので肌寒かった。しかし湯に浸かると熱過ぎずぬる過ぎないお湯で、外気の冷たさも丁度よく火照った身体を冷やしてくれた。
女湯の先は人気が無い自然豊かな場所なので、柵が低めになっており、山の景色がよく楽しめた。
海は肩まで湯に浸かると、ほうっと身体の奥から息が出た。
「落ち着く・・・・・・」
最近は一人がいやに落ち着いた。誰かが嫌いな訳ではない。ただ少し気になることがあって、それを聞くに聞けずにいて、自分で自分の首を絞めているせいだった。
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二日目の朝。朝食を取り終えると、全員そそくさと自室に戻り、ノートを持って指定された部屋に向かった。今年初めての旅館なので、上級生も地図が分からず、皆講義の教室を探してウロウロしている。
こうして実質二日間の少人数集中講義が始まったのだった。
───そして昼休憩、海は午前中終わりの合図を聞いて机に突っ伏した。
(しんっど・・・・・・)
思っていたより酷かった、主に心の疲れが。部屋は洋室で、畳に正座ではない。朝の九時から十二時二十分まで、小休憩を二度挟んで三コマ。
山積みにされたテキストから恐ろしい数の問題を解かされた。頭が疲れるより先に手が震え始めるのだ。そしてまた明日の講義に向けて宿題を出される。
海だけでなく他の生徒も皆どんよりしており、配られた弁当になかなか手をつけない。
ようやく食べ終えても、ストレッチや睡眠、軽い雑談やスマホなど過ごし方は様々だ。
海はスマホで律のスケジュールを確認した。海も二人にスケジュールは送ってある。
(りっちゃんは、さっきは生物か)
今回は同じ学年でも各々でスケジュールが違う。他クラスに分散してしまった教師と、少ない時間を有効活用する為だ。特定の教室も無いので、基本的に朝陽が合宿中に占有している小さな会議室に集合することを決めていた。
朝陽の元に向かおうとすると、すぐに律の姿を見つけることになった。
「ん?りっちゃん?」
律は会議室とは逆方向に向かっている。その様子がいつもと少し違うので、海は違和感を覚えた。律の視線の先には一年生の男子生徒が居る。
(誰かを尾行してる?)
その男子生徒は中庭に出ると、ベンチに座ってスマホを触り始めた。男子生徒はしばらくそうしている様子なので、律は見張りを終えて戻る様子だった。そこに律の後ろをつけていた海を視界に捉えて驚く。
「ひい」
「どうしたの?」
海は小さな声で尋ねた。律も周りを確認する。
「今は時間が無い。夜に説明する」
***
「裏切り者?」
海は驚きを隠せなかった。
全ての行程を終え、三人は会議室で話し合う。
律は頷いて続きを話し始めた。
「最近他クラスがうちの動きを把握している。Aクラスの中で探っている人間が居るかもしれない」
「情報が筒抜けってこと?」
「ああ。特に、ゴールドである朝陽の行動を他クラスに把握されるのは不味い」
海は律が爆破事件のことを言っているのだと気付いた。あれも学院の内部事情を知っている人間にしか思いつかないことだ。加えて、もしも朝陽のスケジュールが漏洩すれば、より正確な事件が企てられるかもしれない。
「ねえ、派閥争いが起こるのって、やっぱり『エーレ』が関係してるの?」
海の問いに朝陽は静かに頷いた。
エーレとは卒業式の時に、優秀だったクラスに与えられる称号だ。
「そうだな。エーレは最も秀でたクラスに与えられる。その優劣はゴールドの力で決まると言っても過言ではない。そして在学三年間に一度でもその称号を手に出来れば、その生徒は政財界で一定の評価を得られる。つまりクラスの成績が将来に直結すると言ってもいい」
その言葉には、ゴールドである朝陽だからこその重みがあった。
「つまり、生徒は進んで自分のクラスを潰さないってこと?」
「普通はな」と律は険しい顔をする。
「ただ生徒の中には、親の会社の関連会社や親会社からの圧力で、そうせざるを得ない奴も少なからず居る」
律はパソコンであるデータを表示した。
「これが他クラスの企業との関係の相関図だ。俺はこれに該当するAクラスの生徒を調べていた」
海は少し下を向いた。
(私には教えてくれなかったんだ・・・・・・)
海が偶然律を見かけたから、二人は海に説明している。また隠し事をされていたと知って、心が沈んでいく。
「でも、関係のある会社に限られるって絶対言える訳じゃないよね。例えば私みたいに、融資を引き換えに手伝ってるのかも」
「ひい・・・・・・」
案の定、律は困った顔をしていた。
「ごめん、変なこと言っちゃった」
わざわざ空気を悪くしてしまった自分のせいで、余計がんじがらめになっていく。
俯く海に、朝陽はその肩に手を置いた。
「ひい、俺達はお前がどうしてここに来たのかなんて関係無いと思っている。おじい様のことなら気にするな。俺も律も、ひいと一緒に過ごせて嬉しいって、心の底からそう思う」
「朝陽の言う通りだ。俺達にはちゃんと信頼がある」
「ありがとう、二人とも」
(でもそれなら、どうして私を遠ざけるの?あの時みたいに)
海は時折思い出すのだ。海が小六になって、突然朝陽と律は海と会ってくれないようになった。その理由はなんとなく分かっていた。だからそれをどうこう言うつもりはない。しかし形は違えど、また同じことが繰り返されている。
ふと朝陽は話題を変えた。
「実は今回、俺の手元には鷹坂グループの月末締めの決算書がある。もしも、これが決算日でもないのに流出すれば、鷹坂の株価に大きく関わる」
海は目を丸くした。
「そんな大切な物をどうして」
「囮だ。これを作らせるのに、ワザとかなりの人員を動かした。きっと黒幕は俺がここにこれを持ってきているのを掴んでいるだろう。今頃これを奪う算段をしている頃だ」
「それ、大丈夫なの?ここでずっと見張っている訳にはいかないし」
「犯人の行動には予想がつく。おそらく生徒が一箇所に集中するキャンプファイヤーの時に動く可能性が高い」
キャンプファイヤーは三日目の夜だ。今夜は二日目。
(つまり明日・・・・・・)
突然緊張感に包まれる。生徒同士で、それも同じクラスで争いを起こすことになる。何よりこの資料を奪われれば朝陽だけではなく、何千人もの社員にも影響を及ぼし、鷹坂グループに近い律や海にも関係してくる。
「もし犯人を捕まえたらどうするの?」
「・・・・・・学院に連行だな」
「ここから!?」
旅館から学院までは片道三時間の道のりだ。
「学院っていうのは問題が起こりづらい場所なんだ。それを利用する」
海は気付いた。爆弾事件も事件にはならなかった。つまりそれと同じことをするのだ。
「拷問とかするの?」
「少し、尋問するだけだ」
絶対違うわコレ、と海は心の中で犯人に十字を切った。二人のことだから非人道的なことはしないと思うが、合法的ではないのは確かだろう。
「ひい、言い訳じゃないが、こういうことも必要なんだ。理解してくれ」
気まずそうな顔で言う朝陽に海は笑った。
「ちゃんと分かってるよ」
***
問題が起こったのは三日目の朝だった。
「誰も授業に参加してないってどういうこと!?」
海はグループ通話で確認を取る。教室に来た教師は、朝陽と律、そして海の三人以外は指定された部屋に来ておらず、全員行方不明だという。
「会議室集まるか」
「いや、多分これはシルバーの仕業だ。となると、朝陽の挨拶に初日に使った松の間に居るかもしれない。あの人数が入れると知っている部屋は、今の所あそこだけだ」
「分かった、松の間に向かおう!」
「はい!」
三人は松の間に繋がる廊下で合流し、松の間の扉を開けた。そこには畳に座らされているブロンズの生徒達と、十数人のシルバーが睨みを利かせていた。
「お前達何をしている!」
律の怒鳴り声にバッと振り返ったシルバー達は、朝陽の登場にいささか驚いた顔をして、すぐに厳しい形相に戻った。二年シルバーの成田が答えた。
「見て分からないか、裏切り者の炙り出しだ」
海は動揺した。何故裏切り者が居ることを知っているのだろうか。律はシルバー達をキッと睨み付ける。
「シルバーのお前達がか?何故先にゴールドの朝陽様に指示を仰がない!」
すると三年のシルバーの男子生徒が援護した。
「鷹坂様は優し過ぎるから俺達が代理でやったまでだ」
「やることには順序というものがあると言っているんです」
律とシルバーが激しい火花を散らしていると、朝陽が口を出した。
「森岡、お前はこの勝手な行動の理由に俺を使うのか?」
凄みの効いた朝陽の声に、森岡と呼ばれた男子生徒は押し黙った。朝陽は怒ってはいない。ただその目に盾突くことが出来ない何かがあった。そこに海と律のクラスメイト清宮京子が助太刀した。
「私達はAクラスの空気が好きです。計略でも威圧でも静観でもない。正攻法と秩序を守る鷹坂様は立派です。でもだからこそ、それに胡座をかく人間も現れる。それを見逃す訳にはいきません」
怖いもの知らずな清宮は断固として自分の意見を貫いた。しかし彼女は気が強いだけではないと海は知っている。
プライドが高いが故に妥協はせず、団体の集団意識を重要視出来る。こういう人間が居るからこそ規律は保たれる。しかし彼女達には、一つだけ『間違い』があった。
清宮に背中を押されたのか、また森岡が前に出た。
「そうです。それにクラスの調和はエーレも大いに関係します。それは鷹坂様や俺達の将来そのものなんですよ!」
「だからこうして勝手に動いたのか」
「勝手とは分かっています。でも───」
「黙れ!」
ピシャリと言い放たれ、流石の清宮も怯んだ。
「まだ気付かないのか?こうして仲間割れをすることこそが、他クラスの思うツボだと」
海は目を伏せた。
(そう、これは魔女裁判に過ぎない)
こんなことをしても正しい裏切り者は見つからない。それどころか冤罪が生まれかねない。こういった小さな歪みは、やがて大きな不協和音となる。
クラスが疑心暗鬼になり、こうして炙り出し行為を行っても、裏切り者という生贄を差し出すこととなるだけだ。そうして偽物の安寧を創り出す。
「不正を正すのはゴールドの仕事だ。お前達はゴールドだとでも言うのか?それはつまり、俺への下剋上と捉えるぞ」
下剋上というのはゴールドの交代。つまり鷹坂グループに喧嘩を売ったということになる。その言葉にはシルバーだけでなく、座っていたブロンズの生徒すら震撼させた。
「決してそんなことは・・・・・・!」
「もう二度と勝手な真似はしません、絶対です!」
「俺達は鷹坂様に逆らうつもりはありません!」
「そうです!」
口々に発する謝罪と賛同を律が制した。
「騒ぐな!静かにしろ!」
朝陽はため息をついた。
「分かったならやることは一つだ。定められた講義をちゃんと受けろ。皆してボイコットしたなんて失態が他クラスに広まれば、それこそAクラスにエーレは無い。分かったなら今すぐ講義室に戻れ。もしくは───俺に反抗する者だけここに残れ!」
そう言われるや否や、全員が蜘蛛の子を散らすように松の間を出、講義室で教師に遅刻を謝ったのだった。