最終話 優しさ
淡い桜吹雪を挟んで遠くから海と秋月を見つめていた律は苦笑しながら朝陽を見やった。朝陽は少し不機嫌そうに黙って二人を眺めていた。
「取られてしまったな、俺達の『お姫さん』が」
そうポツリと呟いた朝陽。
「大切にしていたのに、秋月にかっさらわれるなんて」
「まったくだ」
律もそう同意はしたものの、秋月になら任せられると少しホッとしてる部分もあった。しかし隣の男は違う。
「よかったのか、朝陽?今からでも連れ戻してこいよ」
「・・・・・・・・・・・・」
朝日は海を見詰めていた。まるで心に刻み付けるように、切ない顔で。
「・・・・・・行きたいよ。心底あの手を取りに行きたい。でも海のことは鷹坂グループから離してやりたいんだ。おじい様がどんな考えを持っていようとも、やっぱり俺は俺の好きじゃない鷹坂グループに海を近付けることは出来ない」
「俺のことは構わず引っ張っていけるのに?変に臆病な奴だな」
「お前こそひいをそのままにしていいのか。飛び級を決める最後の最後までひいを心配していたのに」
「そうだな」
海に進路を聞かれた時、律は飛び級のことを言えなかった。海を単身で高等部に置いて行くことは出来ないからだ。身勝手な事情で呼び寄せた上に、朝陽が卒業すればAクラスのゴールドは変わる。そうなれば海はブロンズもしくはシルバーランクで一人やっていかなくてはならない。
それでもきっと彼女は律の背中を押してくれただろう。何も聞かずとも律の背中を押してくれた彼女なら。
「でも俺はひいと同じくらいお前のことも大切なんだ。ひいには秋月が居る。だから俺はお前の孤独と不安を分かちあってやるよ」
朝陽のこともまた海と同様に、律にとってはかけがえのない存在だった。
「お前自身を犠牲にしてか?」
「犠牲なんて言うなよ。俺達は仲間なんだからよ」
「・・・・・・この大バカ野郎」
仲間と言ったのは朝陽なのに、そっぽを向いた彼の声が震えていて下を向いていたのはきっと、朝陽が気付かないフリをしていた二度目の恋のせいだ。律は背中を優しくさすってやった。
***
海は慧斗の手を頬から外して、困ったように笑んだ。
「正直に白状すると、慧斗様の前だと私はすごく弱くなります。だから私を引き抜いたなら、もれなくこの弱さもセットで付いてきますからね、申し訳ありませんが」
思えば泣いたり弱音を吐くのはいつも慧斗の前だった気がする。
「心配するな、弱さごと俺が貰い受けてやる」
「・・・・・・慧斗様少し優し過ぎやしませんか?」
「そんなことを言われたことないな」
「みんな心では思ってますよ。無愛想で無表情で怖い時もあるけど、その裏には必ず優しさを秘める人だって」
「そうか」
慧斗は無言で海の退学届けを手に取って破ってコートのポケットに入れてしまった。
「そういえば海、言い忘れたことがある」
「え?」
そして告げられた事実に海は目を見開いて唖然とした。
***
退学届けを出すことなく地元に帰ってきた海は無理を言ってその日の内に、ある人物との約束を取り付けた。日が暮れ部屋の方が明るくなってビルの最上階のガラスは、夜景よりも内側の景色を映していた。だから背中を向けていたその人がやはり無表情で突っ立っていることはよく分かった。
「お久しぶりです、鷹坂会長」
振り返った会長は海の顔を見て片眉を上げた。
「何か憑き物が落ちたような顔だな、海さん」
「はい。・・・・・・会長とはいつかちゃんと話をしなければと思っていましたが、今日突然申し出てしまって申し訳ありません」
「では、その時が来た、というわけか」
「はい」
「座りなさい。私も君に話がある」
海は言われるがままにソファに座った。先に話し始めたのは会長だった。
「まず私から話そう。何故、君をあの学園に行かせたかということだ」
「それは朝陽くんの為では?」
「勿論それが一番の目的だ。しかし理由はそれだけではない。要因としては君の祖母にある」
会長が祖母のことを持ち出すのは予想外で海は首を傾げた。
「おばあちゃんが?そういえば、おば・・・・・・祖母もグリュック学院に在籍していたと聞きました」
「そうだ。君の祖母、日野森瑠璃、旧姓清水瑠璃。彼女がグリュック学院に在籍している時、私は彼女と同級生でもあり、婚約者でもあった」
「なっ・・・・・・!」
耳を疑うような新事実だった。祖母と会長が婚約をしていた?
(つまり、この人がおじいちゃんだったかもしれないってこと!?)
想像したこともなかった。何故なら海は会長に対して畏怖の念ばかりで、親近感など欠片も無く、よくある親切なおじさんやら優しいおじいさんなどとは考えたこともなかったからだ。
会長の話は続いた。
「あの時、ただの学生でしかなかった私は、瑠璃さんの会社を救うことなど出来なかった。そして彼女の高校生活を守ることも出来なかった。自分の無力さを痛感した私は、もう何も失うことの無いように力を身につけようとした。それが鷹坂グループを一流企業へと導いた理念だった」
海はただただ驚いていた。会長の厳しさの裏にそんな切実な想いがあったなんて考えもしなかった。ふとそれは慧斗にも通じるものがあると思った。人は厳しさの裏には必ず何かある。
「しかし私は力を得るその過程で、私は大切なことを忘れてしまっていた」
「・・・・・・大切なこと?」
「六年前、下請けの工場長が目の前で自殺した時、瑠璃さんの孫である君を傷付けることになってしまった。・・・・・・私は何も無くさないように力を付けたはずなのに、周りを傷付ける諸刃の刃と化していた。今更こんなことを言っても詮無いことだが、彼には本当に申し訳なく思っている」
六年前、もうあの事件から六年も経ったのか。それでも会長はちゃんと覚えていた。海は頷く。
「その言葉が嘘偽りでないことは知っています。会長があの工場長の遺族と工場の社員に生活支援をされたことも、再就職先をあてがわれたことも聞きました」
工場長が自殺した件はずっと海の中で尾を引いていた。だから色んなツテからその件に関して自分で調べていたのだ。
「でも私は、会社の名誉の為にそうしているのだと思っていました。あくまで慈善事業のような一環で、偽善的にそうしていたのだと。すみません」
「いや、そう思われても仕方ないことだ」
「じゃあ私をグリュック学院に転校させたのは、六年前の事件の私に対する罪滅ぼしだったというのですか?」
「・・・・・・そうかもしれない」
工場長が自殺した時、角度的にハッキリ見える位置ではなく、それほど大きなショックは受けなかったものの、場合によってはトラウマになるものだ。海は念の為、幼少期に病院でカウンセリングも受けていた。
「秋月慧斗さんから聞きました。会長が私が退学届けを出す日を教えたと。そして私がCクラスに編入してからも、会長が私の授業料を払ってくれていたんですね。てっきり、学費は私の父が払っていてくれたのだと思って、お礼を言い損ねていました。ありがとうございました」
「構わない。口止めしたのは私だ」
慧斗が退学届けを破いた後に海に伝えた話はこのことだ。Cクラスに編入した後、鷹坂グループが海に支払う義理は無いはずなのに、海の父に口止めまでして鷹坂会長自ら支払ってくれていたという。
「君の実家の事業は破綻寸前で、君の高校生活も危ぶまれていたな。まるで───あの頃の瑠璃さんを見ているようだった。だから君をあの学院に送った。そしてあの時私が救えなかった瑠璃さんの代わりに、学院を卒業して欲しいという我欲も含めて」
落ち込んだように肩を落とした会長は初めて見た。この人もこんな顔をするのかと少し目を見張った。
「我欲なら、私の方が大きかったんです。朝陽くんを助けると言いながら、私は単に朝陽くんとりっちゃんに私自身の過去の過ちの償いをしたかったんです。会長を畏れていながら、会長を利用していたんです」
その過ちは何かとは会長は聞いてこなかった。ただ、
「その願いは叶ったか?」
とだけ尋ねた。海はしっかりと頷く。
「はい」
そう言うと会長は薄く笑った。
「なら互いに、願いは叶ったことで相殺しよう。これからも学院で精進しなさい」
初めて会長が笑った顔を見た。いや本当は昔も見たことがあった。けれども恐れおののくあまり記憶の底に埋もれていた。ようやく海は鷹坂会長の人となりを知ることが出来たのだ。
「本当によろしいんですか?私はこの先会長の為に何の役にも立てません。学院の学費も馬鹿になりませんし・・・・・・」
「言っただろう。それだけが願いだったわけではないと。これ以上は言わなくても分かるな?」
「はい。感謝します、会長」
海は笑顔でそう言った。
***
少女は入学初日に道に迷ってしまった。この高校は中等部から存在し、彼女は高等部から入学したいわゆる外部生。そうなると内部生同士で友達グループが出来上がっていたり自然と顔見知りであったりして、疎外感を感じずにいられない。
だから少しトイレに寄ったつもりだったのに、出てくると誰も居らずかなり焦った。とりあえず地図か何かを探そうとまごついていると、同学年の女子生徒が声をかけてきた。
「ねえ、あなたもCクラスでしょ?」
久々に普通に声をかけられて少女はやや戸惑いながらも、平然を装った。
「う、ん。あなたも迷ったの?」
「そうなの。私内部生だったのに高等部に来たのは初めてだし、一人じゃ心細くて。よかったら一緒に行かない?」
「勿論よ」
「よかった!」
そして女子生徒は自分の名を名乗ってきた。
「私、宮島咲っていうの。あなたは?」
ふと自分の名前で実家のことをどう思われるかと不安になったが、勇気を出して自分の名を伝えた。
「私は・・・・・・媛宮瑛衣華」
瑛衣華の不安とは裏腹に、咲は何も気にしたふうではなかった。
「そっか、瑛衣華ちゃんか。私、地図は疎いけど一応内部生だから、困ったら何でも聞いてね」
「あり、がとう。えっと、咲ちゃん?」
「うん!」
ふと二人が歩き始めると花壇の先に人影が見えた。何やら男子生徒と女子生徒が話し込んでいる様子だった。
「三ノ宮様って来年度の警視庁の試験受けるの!?」
「って、言ってたわ」
「いやあの見た目じゃ無理でしょ!外見完全にヤクザじゃん!」
「・・・・・・公務員って見た目で決まるんかな?」
「・・・・・・限度ってものがあるでしょ・・・・・・」
すると男子生徒の方は腕時計を見てギョッとした。
「げっ、もうこんな時間や!ほな行くわ!」
「うん、またね。あ、そうだ龍之介、三ノ宮様にもまた大学部に遊びに行くって伝えて」
そしてその女子生徒一人がその場に残ったのでちょうど尋ねやすいと思ったのか、咲が瑛衣華の肩を叩いた。
「ねえ瑛衣華ちゃん、あの人に聞いてみない?」
「うん、そうだね」
「あのすみません。一年Cクラスまでの道を教えて貰いたいんですが」
すると彼女は振り返って、
「いいよ、案内してあげる」
そして咲と、その隣に居た瑛衣華を見てパッと顔を明るくした。瑛衣華もその人物が誰だか認識して驚いた。
「あなたは・・・・・・!」
「え、瑛衣華ちゃん知り合いなの?」
彼女は瑛衣華に笑いかけた。そして連られて笑ってしまった。
「ひい・・・・・・日野森先輩だよ」
「え、先輩!?」
そういえばネクタイが三年生だ、と咲は呟いた。
海は優しい笑みで瑛衣華を見つめる。
「入学おめでとう、瑛衣華」
彼女は瑛衣華のグリュック学院高等部の入学を心から祝ってくれているようだった。そう、瑛衣華は高校受験に見事成功したのだ。自分をいじめていた同級生とは裁判で決着をつけ、朝陽との婚約も解消し、後ろめたいことは何も無くなった。
だからようやく晴れやかな気持ちで、
「ありがとう」
そう言うことが出来た。
すると海は瑛衣華を軽く抱きしめ、そして腕を解くと隣に居た咲に自己紹介する。
「初めまして、Cクラスシルバーの日野森海です」
すると海の方に、さっきとは別の男子生徒が歩み寄って来た。
「どうかしましたか日野森先輩」
「あぁ、雄一郎くん。慧斗様は?」
「もうすぐ来ますよ」
その名を聞いて今度は咲が反応した。
「慧斗様・・・・・・ってまさか!」
瑛衣華と咲は、海の視線を追うとCクラスの代表人物がこちらへと向かっていた。そして海は軽く駆け寄って、彼の横に立つと誇らしげに言った。
「この人がCクラスゴールドの秋月慧斗様だよ」
胸にはゴールドランクのピンズと三年生のネクタイ。威厳と共に静かに佇んでいた彼、秋月慧斗は手を差し出した。
「ようこそ我々Cクラスへ」
ご拝読ありがとうございました!




