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29 兄弟


 ***


 海は春休み実家に帰っていた。けれどもその日は電車に乗って離れた都市部の駅で降りる。そして木漏れ日のアーケードの下を歩きながらふと卒業式のことを思い出した。


(最終的にエーレはAクラスに授与された・・・・・・)


 元々Aクラスが有力視されていたとはいえ、Bクラスも拮抗する実力を持ち合わせていた。

 そしてCクラスも、ある生徒が三学期終盤に小説家デビューを果たし大賞を獲て社会的に反響を与えた。この生徒の功績はかなり大きく、正直エーレ授与は混戦を極めていたのだが、やはり卒業式が始まる前に汚名返上したAクラスの実力が評価されることとなる。


 紫藤伊織の義弟戸崎晶の逮捕を皮切りにShidoホールディングスの社長紫藤喜美、並びに役員も粉飾決算を公表していたとして逮捕された。

 また反社会的勢力との関わりや恐喝など、他にも余罪があるとして今も捜査されている。


 特に週刊誌などは大企業とヤクザの蜜月を大々的に報道し、いつかの鷹坂グループのような立場に立たされていた。

 少しだけ違うのは、Bクラスのゴールド紫藤伊織は無事に卒業し、報道陣から上手く逃げ切っているということだ。


 海はふと足を止めた。マスコミは伊織の居場所を特定出来ず、血眼になって探しているという。学院にも侵入した記者をもかわすのは最早流石としか言えない。

 しかし今目の前に居る人物は紛れもなく()本人であり、呼び出したのも()だった。


「お久しぶりですです、伊織様」


 振り返った彼は黒いキャップを目深に被っていて、相変わらず掴みきれない笑顔を浮かべていた。


「久しぶりだね、海。卒業してやっとお誘いに乗ってたね。でも卒業してから制服を着たらコスプレになるじゃないか」

「・・・・・・今まさか制服じゃないよなって服装確認しちゃったじゃないですか」


 伊織は黒いキャップに、黒色のジャケットと薄いグレーのニット、黒スキニーを履いていた。


「てかなんで制服にこだわるんですか」

「いいじゃん、制服デート」

「全然デートじゃないですからね、これ」


 ひとまず誰にも付けられていないことを確認して二人は近くのカフェに立ち寄った。個室のあるカフェで、周りからは二人が話しているとは分からない。海としては別に伊織と密会のような真似はしたくないのだが、状況が状況なので仕方ない。


 今日伊織が海を呼び出したのは晶について話す為だ。そう言われて海も来た。伊織はストレートティーを、海はレモンスカッシュを注文してそれが届くと伊織は「さて」と手を組んでテーブルに肘をついた。


「晶はね、僕の腹違いの弟なんだ」

「はい」

「母親の血が濃く出たのか、本当に根が真面目で優しかった。だから晶は僕とは全然違うしあの祖母とは反りが合わないし、Shidoホールディングスの中では肩身も狭かったんだろう。表立って目立つことはせず、僕の裏方に徹していた」


 その言葉には説得力があった。


「確かに、晶くんはシルバーでありながら交流会には一度も出席してませんでしたね」

「そうなんだ。そんな晶だから裏方が向いていたし、君達の視界にも入らなかった。・・・・・・でも不思議に思わないか?そんな晶が目立つサッカー部の主将を務めている」


(確かにそうかも・・・・・・)


 本当に目立たない性分なら、そもそも主将などとグループの中心人物になるだろうか。もし目立つのが苦手ならせめて副主将か、そもそも引き受けすらしないだろう。


「どうしてですか?」

「晶は紫藤家に引き取られてから自分を圧し殺すようになった。でも人は意識を殺し続けると必ず反動が押し寄せる。その放出先がサッカー部だった。運動神経は良かったしね」

「それって良いことでは?」

「どうだろうね。晶にとってはそれも自分を圧し殺した行為だったとしたら?」


 海は軽く首を傾げた。


「どういうことですか?」

「サッカー部の主将は、そうだな・・・・・・Shidoでの姿が闇ならば、サッカー部の主将は光。陰陽の関係ではあっても、その二つはどちらも虚像であり、そもそも本来とは違う世界線なんだ」


 伊織の表情は暗く沈んでおり、紅茶をストローで軽くかき混ぜた。しかし海は伊織の言わんとしていることがよく分からなかった。


「えっと、もう少し分かりやすく説明をお願いします」

「Shidoでの自分を中和するように、真反対のサッカー部の主将をしていただけなんだ。晶は元々根暗でもハツラツともしていない。そもそも晶の本当の姿は母親の前でしか現れないんだ」

「母親?」


 確か晶の母親は今絶縁状態にあると聞いていた。


「晶の母親は紫藤に引き取られてすぐに姿を消した」

「確か行方不明なんですよね」

「それは周囲の人間の見解で、本当は祖母と僕だけは母親───戸崎美香とざきみかの行方を知っていた。そしてある日その戸崎美香が倒れたことも、知っていた」


 海はギョッとして目を丸くした。


「倒れた!?」

「過労だよ。この話は四年くらい前のことかな。子供あきらは祖母が引き取ったとはいえ元ホステスで、生活を見てくれる旦那を失い、女の身一つで生きていくというのは大変だったんだろう。すると祖母も鬼じゃなかった。病院で生活費を渡そうとしたが・・・・・・彼女は受け取らなかった」



『私はもう()()に関わったりしない!あなた達のせいで私の人生めちゃくちゃよ!もう二度と顔を見せないで!』



 戸崎美佳はそう言い放ったという。海はややいぶかった。


「伊織様と晶くんの父親、紫藤哲也は事故死ですよね。別に紫藤を擁護するわけではありませんが、それは戸崎美香のお門違いじゃ・・・・・・」

「勿論父の死には紫藤の()は関わっていない。けれどShidoホールディングスという()()の人間が、父が次期跡取りであることを気に入らず事故死に見せかけて暗殺した、という()がね、あったんだよ」


 暗殺だなんて言葉を、この二十一世紀に聞くとは思ってもいなかった。


「でね、どういう経緯で晶がそれを知ったのかは知らないけど、戸崎美香が倒れたのに気付いて病院に来た時、僕と祖母への言葉を聞いてたみたいで」


『───私はもう紫藤とは関わったりしない!』


「それを聞いた晶は母親との繋がりを無くさないように、引き取られてから紫藤に変えていた姓を戸崎に戻した。自分は紫藤じゃないって思い込む為に」


 それで兄弟なのに別姓だったのかと海は納得した。しかし理由は分かったものの、何故彼が自分を捨てた母親に固執するのか分からなかった。


「晶くんはお母さんっ子だったんですか?」

「君は両親共に揃っているから分からないだろう。意外と、子供が頼れるのは親だけなんだよ」


 ふと伊織も父親を亡くしているのを思い出して海は俯いた。晶の父親は伊織の父親にもなる。


「すみません・・・・・・」

「責めてないよ。そういうものだってこと。で、話を戻すけど、晶は僕の裏方に徹しながらもShidoを()()()()()()()()し始めたのはそれからだった」

「え?」

「晶はShidoを、祖母を憎んだ。自分が母親に会えないのはShidoのせいだと。・・・・・・『臥薪嘗胆がしんしょうたん』、親の仇。それは本当は、Shidoホールディングスに対してだったんだ」


 伊織は苦笑した。その顔を見て海は気付いた。伊織は晶の全てを見透かしていたのだろう。


「まず僕を学院のゴールドにして、僕にスポットライトで照らしておきながら、闇の中で暗躍した。そうしてあのプリンセスグループをShidoの傘下に入れ込めば、自分が跡取りになれると思ったんだ。・・・・・・僕はね、晶は真面目だと思っていたけど、不器用だとも思っていたんだ。本当に跡取りになりたいなら───まず僕を潰せばいいのに。手柄を立ててのし上がろうとするなんて、真面目過ぎるだろう」


 伊織はハハッと笑ったが、海は笑えなかった。何故なら海にも妹がいるからそれが理解出来るのだ。


「それは・・・・・・あなた方が本当に兄弟だったからじゃないんですか。兄に残酷なことが出来ないというのは、全然おかしくありません」


 血が半分しか繋がってないからといっても兄弟であることに変わりはない。


「僕達は確かに兄弟だけど、別に仲が良かったわけじゃないんだよ。僕は晶より器用で、生きるのも上手かった。そして僕という()がいるせいで、晶は知らぬ間に比べられ祖母に見下される。祖母に縛られる晶を少しでも解放したかったのに、それは逆に作用してしまったらしい。晶の代わりに自分がそうとすると、より一層晶を苦しめることになった。だから晶は僕が嫌いなんだ」


 海は笑った。


(ああ、やっぱり二人は・・・・・・)


 これは断言出来る。


「それは───間違いでしょう。今の言葉を聞いて確信しました。伊織様が晶くんのことを想っていたなら、晶くんがあなたを嫌うはずがありません。人は自分に善意を向ける相手に、悪意を向けることなんて出来ないんです」

「・・・・・・そこまで兄弟仲を取り持ってくれるなんて。まさか晶に情でも湧いた?」

「いいえ、私はどんなことがあっても朝陽くんとりっちゃんに悪意を向けた者は許しません。でもあなたとその弟との誤解を解くのは、また別の話です。だって伊織様はおとうとの罪を被ることすらいとわないくらい、彼を弟として大切にしているんですから」


 伊織は驚いた顔をした。いつも作り笑いで塗り固めている彼がこういう人間的な表情をするのは貴重だ。


「旅館での黒幕、誰だか気付いてたんだ」

「伊織様にしては抜けてるなと思って、ずっと考えていたんです。旅館で黒崎を動かしたのは晶くんですね」

「・・・・・・すごいね。それを分かってでも君は、僕と晶の問題と、Shidoと鷹坂グループとの問題を割り切って考えられるんだね」

「ええ。あなたが私にUSBメモリを渡してくれた勇気を称して」


 彼はきっと晶を止めたくて海に渡した。でも晶の正体を晒せばそれは晶を陥れることになる。陥れたいわけじゃない。ただ彼を正したい。だからShidoホールディングスを潰す材料を海に渡した。


「やっぱり君にUSBを渡して正解だった。一番良い結果をもたらしてくれた」

「本当にそう思っているんですか?私はあなたの実家を潰したことになります」

「構わないよ。お金は自分で()()()用意しておいたから」

「・・・・・・・・・・・・。・・・・・・その色々が何だかは怖いから聞かないでおきますね」

「まあとにかく、Shidoを潰してくれてよかったんだ。君のお陰で晶は本当の意味で解放された」


 海は首を傾げた。


「本当の意味で、って・・・・・・」


 けれども伊織は笑ってそれをかわした。



 ***


 牢屋の中で過ごしている間は不思議と心が軽かった。普通は自分を拘束していると感じるはずの鉄格子は、逆に自分を守ってくれているように感じた。


 留置場に来るまでに晶は警察で全てを話していた。逮捕までされたら、抵抗する気など起こらなかった。Shidoホールディングスも近々潰れるだろう。元々反社会的勢力と一蓮托生だった企業だ。その内部はもろい。


 だから面会だと言われた時、また弁護士だと思った。けれども名前を聞かされた時、頭が真っ白になった。


 決して会えるはずのない人物。


 けれどもガラス張りの向こうには確かに居たのだ。


「かあ、さん・・・・・・」

「晶・・・・・・」


 母である美佳はやつれた顔で、茶髪を一つに束ねていた。そして黒のスーツを着てフォーマルな格好をしていた。弁護士が保護者として呼んだことは分かっていた。


「どうしてここに」

「あなたを・・・・・・支えに来たの」


 晶は目を見開いた。そしてふつふつと怒りが湧いてきた。


「だって紫藤が憎いんだろ。なんだよ意味わかんねぇ・・・・・・なんでここに居るんだよ。父さんが死んで俺のこと邪魔になって捨てたくせに、何善人ヅラしてんだよっ!!!」


 何故自分が目の前の女に執着していたのか微塵も分からない。あれほど会いたかったのにいざ目の前に現れたら怒り心頭に達していた。


「言い訳は出来ない。確かに、私はあなたを捨てた。でも本当はそんなことしたくなかった!私はあなたを育てたかった、でもお金が無かったのよ!」

「病院で社長からの金は受け取らなかったじゃねぇか!」

「!どうしてそれを」

「・・・・・・そもそも俺はあんたの大嫌いな紫藤の人間だ」


 戸崎を名乗っていたくせに今更自分が何を言っているのか訳が分からなかった。晶が面会を終わろうとして立ち上がった時だった、美佳は目の前の台を叩いて同じく立ち上がった。


「あなたは紫藤である前に、私の息子なのよ!」


 美佳の目には薄らと涙が浮かんでいた。そしてギュッと目をつぶってうつむく。


「ごめん・・・・・・ごめんね。あの後あなたを置いていったことを死ぬほど後悔した。でもあの時、私にはあなたを育てるられる力は無かったの。・・・・・・だからこそ、紫藤喜美に甘えるわけにはいかなかった。あなたを奪われ、私の()()()()()()()()()()まで渡したら、二度とあなたに顔向け出来ないと思った!」


 晶は呆然と立ち尽くした。


「プライド・・・・・・?それら自分の為だろ、俺の為じゃないー」

「そんなの当たり前よ!何も無い私がプライドを捨ててあなたにどんな顔で会えばよかったの!?何も与えてあげられない私がプライドまで捨ててしまったら、あなたの母親でもなんでもなくて、ただの娼婦だわ・・・・・・」


 美香は泣いていた。彼女はずっと()()()であることが心につっかえていたのだ。正式に籍を入れたわけでもなく、ましてあの放蕩父に自分だけに愛を注いで貰えたわけでもないだろう。でも息子の前では『母』でありたかったのだ。


「晶、今まで会いに行けなくてごめんなさい。でもちゃんと経済的に安定してからじゃないと、あなたを捨てたのに会う資格が無いと思っていた・・・・・・」

「そんな、そんなこと・・・・・・」


 晶は急に力が抜けてガラス張りの前の台に突っ伏した。


「・・・・・・俺、そんなこと考えてるなんて全然知らなくて。なのによりによって、俺がこんな状況に呼び出すことになって・・・・・・ごめんなさい・・・・・・」

「違う、あなたにちゃんと伝えなかった私が悪いのよ。本当に必要だったのはプライドじゃなかった、あなたの側に居てあげることだった!なのに今苦しんでるあなたを抱き締めてあげることも出来ない。母さんふがいなくてごめんね・・・・・・」


 ガラス越しに聞こえてくる母の声に、晶は何も言えなかった。そして静かに涙を流した。ずっとこうして泣きたかった。Shidoホールディングスは、祖母はそんな涙は絶対に許さなかった。


『母さんはどこ!?母さんはどこに行ったの!?』


 幼い晶が祖母に尋ねると、祖母は灰皿を投げてきた。


『甘えるんじゃないよ!アンタの母親はアンタを捨てたんだ。この家で生きていきたいなら、Shidoの役に立てるように必死こくんだね!』


 だから晶はShidoの役に立とうと頑張ったのに、兄の伊織には微塵もかなわなかった。頑張れば頑張るほど惨めになって、存在価値を見出そうと必死になった。


 そして高等部に入る前、ずっと母親の行方を探していた晶はようやく見つけたと思ったが、近所の人から入院したと聞いた。駆けつけると何故か祖母と兄が先に病室に居て、母は紫藤からの生活費拒否していた。そして紫藤が嫌いだと言った。


 聞いた瞬間、自分の中にある紫藤の血が憎くなった。そしてどうしたら会ってくれるか躍起やっきになった。そして辿り着いた結果が、Shidoホールディングスを潰すことだった。


 まず兄の代わりに跡取りにならなくてはならなかった。鷹坂グループを弱体化させプリンセスグループを奪取することが出来れば自分が跡取りになれるはず、そしてゆくゆくはShidoホールディングスを乗っ取って内部から抹殺しようとしてた。


 だからShidoの極秘資料である粉飾決算の証拠をUSBメモリで手に入れたのに、まさかそれで足がつくなんて思わなかった。なのに結果的に芋づる式にShidoの悪事が発覚して潰れる、なんて笑うしかなかった。


 ───でも。


(俺は間違ってたんだ・・・・・・)


 晶は忘れていた。自分はただ母に会いたかっただけだった。

 なら早とちりせず、回りくどいこともせず、ちゃんと話し合うべきだった。


(そういえば伊織が言ってたっけ、俺は不器用だって。本当にそうだな・・・・・・)


 晶はふっと笑いを漏らした。


「・・・・・・母さん、俺ずっと会いたかったよ」


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