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22 情けは人の為ならず




 海は瑛衣華にお金を渡して、近くの自販機で朝飲んだスポーツドリンクを買ってきてもらった。


「これでいいの?」

「うん、ありがとう」


 少し口をゆすいで、水分を胃に戻す。脱水症状になることだけは避けたかった。


「本当に病院行かなくて大丈夫なの?」

「病院の帰りだから大丈夫。ごめんね、見苦しいもの見せて。ただの風邪だから」

「だから夏なのに上着を着ていたのね」


 ふと瑛衣華は海の袖から見える包帯を見た。


「火傷、どうなったの」

「もう痛くないよ。あとは要安静。ちなみにこの熱は知恵熱」


 海は本当にそう思っていた。風邪を引くほどヤワな体質ではない。それもこの夏の終わりに。

 すると瑛衣華は少し気まずい顔をして謝ってきた。


「・・・・・・この前はごめんなさい、言い過ぎたわ」


 海は通話発信ボタンを押してスマホを耳に当てる。呼出音を聞きながら、


「大丈夫だよ、気にしてない。ああ、気にした方がよかった?」


 海はジョークのつもりで笑ったが、瑛衣華は笑えなかったようだ。今のは反省した。意地悪過ぎた。

 その間に通話が繋がって、タクシー会社に居場所を伝えて迎えに来て貰うことになった。


「それより、さっきの子達なんとかしないの?このまま舐められてたら、どんどんエスカレートするよ」


 しばらく瑛衣華は黙っていたが、小さく呟いた。


「私、中学受験に失敗したの。グリュック学院じゃないんだけど、近くの国立・・・・・・」

「それを知られてから?」

「そう」


 この手の話題は聞いたことがある。中学で受験する子が少ない分、話題になりやすいのだ。結果こういう事態が起こることがある。


「最初はからかわれてるだけで、なんていうか()()()だと思ってた。でも今年に入ってから段々酷くなってきて、お金とか要求されるようになったの。そしたら余計勉強が手につかなくて、成績も落ちてきて・・・・・・」


 瑛衣華は今年中学三年生だ。高校受験を控え、同級生もピリついているのだろう。しかしそれとこれとは別だ。イジメていい理由にはならない。


「親御さんや先生は知ってるの?」


 首を横に振って項垂れた。


「親には言えない。中学受験失敗した時も全然怒らなくて、成績が悪くなっても塾を増やしてくれようとするの。なのにこれ以上心配かけられない。ただでさえ私は女で、一人しかいない後継者なのに・・・・・・」


 海はいくつか腑に落ちたことがった。その内の一つが、彼女は自分に負い目を感じていることだ。中学受験のことからしてもそう、親からのプレッシャーに耐えられない。だから虚勢を張るように(さっきの同級生を除いて)大きな態度を取るのだ。


「でもあなたの為に稼いだお金が、知らない内にあんな子達に渡ってる方が親は悲しむよ。それに、あなたが黙っていたら他の子がイジメられるかもしれない」

「じゃあどうしたらいいの、イジメるなって言って、イジメをやめる子なんて居ないわ。余計に陰湿になる」

「方法だけならいくつもあるんだよ。授業とテストだけ受けて休み時間は関わりを絶ったり、とにかく関わらない。最悪は違う地区の学校に転校するとか」


 瑛衣華は目を見張って、うつむいた。


「・・・・・・言うのは簡単だけど、それで解決するの?」

「イジメには何が解決策になるかは分からない。でもダメだったらまた別の方法を考える。とりあえず何かしないと、解決する日は永遠に来ない。耐えてたってあなたが苦しいだけなんだよ」

「・・・・・・じゃあ、関わるのをやめようとして、それでも何かしてきたら?」

「その時は私の保存してる動画を教育委員会とか警察に提出する。イジメなんていうけど、本当には名誉毀損と恐喝っていう犯罪なんだから」


 イジメと言うから学生は許されるという勘違いが広がるのだ。誰かに危害を与えることは、年齢に関係無く犯罪だと教え直した方がいい。


「そしたらあの子達が私を恨むかもしれない」

「じゃああなたはあの子達を恨まないの?」

「それは・・・・・・」

「人を呪わば穴二つ。恨んだら恨まれるもの。あなたが本当に気にするべきことはそんなことじゃないでしょう」


 万人に好かれるはずがない。人間というものはどうしても誰かに嫌われる神様による設定なのだ。いつか律の言っていた言葉が脳裏に閃いた。


「十人の人間が居たら、二人はあなたを好きになって、七人は無関心。でも残り一人は嫌いになる。一クラス三十人くらいなら、ちょうどあの三人がその嫌いになる人間なのかもね。それに、あなたのお父さんお母さんはあなたに失望なんかしない。きっと全力であなたを助けてくれる。だから絶対に諦めないで」


 瑛衣華はずっと俯いていた。その表情は分からなかったが、そう言ってる内にタクシー来たので海は身体を半分乗り入れた。


「データが必要になったら声をかけて。私はいつでも協力する」

「ねえ」

「うん?」

「朝陽が、私のことを好きになってくれないの。どうしてだと思う?」


 突然の質問だったが、海はその答えを知っていた。


「あなたが朝陽くんのことを本当に好きじゃないから、朝陽くんもあなたを好きになれないのかもしれない」

「!」

「私の偏見だけどね」


 瑛衣華は朝陽に対して、必死過ぎる反応を示していた。独占欲というよりは、他の人に取られないように、秘蔵の盾のような。


 それはきっと、プリンセスグループという大きな存在にプレッシャーを感じていた瑛衣華が、鷹坂グループを自分の身を守ってくれるものに感じていたからだ。

 朝陽が居れば会社は安泰。朝陽が頼り。けれどそれは、好意とはまた少し違う。


「人の心は自分の態度の鏡なんだよ」

「・・・・・・・・・・・・」

「あ、一緒にタクシー乗る?」

「いい。迎え呼んだから」


 そこはお嬢様気質だった。


「そう。気を付けて帰ってね」


 海は身体がしんどくてあまり上手く笑みを作れなかったが、ひとまずタクシーに乗って住所を伝えた。よく考えると人前で吐いたのが恥ずかしくなって耐え難くなった。



 ***



 帰って来た海は汗をかいた服を着替えた。吐いたお陰で少し楽になる。食欲は出なかったが、薬を飲む為に適当に食パンを半枚ちぎって胃に放り込み、薬を飲んでベッドに潜った。


「言い過ぎたかな・・・・・・」


 今日の一連の会話は全て余計なお世話だったかもしれない。瑛衣華の立場を考えず、海の独りよがりの正義感で動いてしまった。

 けれども瑛衣華と、瑠璃をどこか重ねてしまったのだ。爆発事件の後、不安になった瑠璃と瑛衣華の喧嘩を見ていると、どちらも同じ表情に見えた。


 そしてきっと、彼女が思う以上に、彼女の親は瑠璃に愛情を注いでいる。いつかそれに気付いて欲しい。悩むことより、打ち明けることで解放されることもある。海は祈るように眠った。


 数日後、完全に体調を治した海は学院に戻った。すると追いかけて来るように媛宮家の代理人と名乗る弁護士が海に面会に来た。


「弁護士の竹内と申します。媛宮瑛衣華さんに対するイジメに関する重要な証拠をお持ちとのことで、代理で参りました」

「弁護士さんですか、ご苦労さまです」


 海は内心、ダテに上場企業やってないなと苦笑いしてた。


(プリンセスグループ、思ったよりやることが早いな)


 グループは早々に法的措置に乗りでたようだった。しかしそれが一番得策と言えた。この世で教師医師弁護士に逆らえる一般人は限られている。これで彼女に平穏と安寧が訪れて欲しかった。



 ***



 十月、木々が紅葉色に染まり、衣替えが行われた。せっかく新しい夏服が届いたばかりだったのに、もう冬服に移行してしまったのは少し惜しかった。しかしよく考えると冬服も夏前に仕立て直したので新品だった。

 原因である伊織は置いといて、文字通り着潰す海は今日もまた鷹坂グループを拝みながら制服に身を包んだ。そしてまだそれほど寒くないので、ワイシャツの上にベストを着て過ごしていた。

 ある昼休憩、海はばったり龍之介と出会う。海が持っているものを指さす。


「なんそれ?」

「古典のノート。先生がチェックするから集めて来いって」

「持ったるわ」


 ノートを引き受けてくれたことに目をぱちくりさせた。


「どうしたの?やけに親切じゃん」

「あんた病み上がりらしいからな」

「なんで知ってるの?」

「ノーランクが不在になったら、色んな人間が噂するんや」

「へー」

「なんや他人事やな」

「うーん、あんまり実感無くて」


 自分が風邪を引いて誰が注目するのか分からなかった。誰得情報なんだ。


「職員室までやな」

「うん、ありがとう」


 ふと、三ノ宮が龍之介は困った人間を放っておけないと言っていたのを思い出した。


「龍之介はさ、どうして人に優しくするの?」

「普通ちゃう?」

「いいから考えて」


「またそんな無茶ぶりを・・・・・・」と言いつつも、ちゃんと頭を捻ってくれているらしかった。


「あー強いて言うなら昔、情けは人の為ならずって言葉を、元軍人が言ってたからかな。今はヤクザやけど」

「へー」


(オチはヤクザなんだ)


 情けをかければ、回り回っていつか自分に良い報いが返ってくるという意味だ。


「案外ちゃんと返ってくるもんやで」

「そうなんだ」


 職員室の前に着くと、海はノートを受け取った。


「はい、どーぞ」

「ありがとう、助かった」

「いーえ。それにしても、もうすぐテストやから、先生らも大変やなぁ」


 海は手に持っているノートが突然五倍くらいの重さに感じられた。


「どうしたん、顔蒼白やで」

「忘れてた・・・・・・」


 風邪を引いて寝込んでも、テストは待ってくれないのだった。



 ***



 放課後、撫子棟の資料室で律に数学を教わっていた時だった。突然頭上の明かりが消え、空調がストップした。


「停電?」


 律がドアノブに手をかけるが、鍵がかかっていた。


「くそっ、開かねぇ!電子ロックだからか!?」


 この部屋は個人情報保護の面から玄関と同じくカードキーでのみ解錠可能な部屋となっていた。また資料室は窓があるが、二階で外は木々ばかりなので周りの確認も出来ない。

 海はハッとして、カバンの中のスマホを探した。この停電が意図的に起こったことかもしれないと思ったからだ。


「りっちゃん、先に朝陽くんに連絡取ろう・・・・・・私のスマホどこ!?」

「俺が連絡する!」


 ポケットに入れていたスマホを取り出すと、朝陽は用事で寮に戻っていることが分かった。


「ゴールド専用寮も学院全域で停電らしい」


 自然発生とのことで二人はホッとする。ゴールド専用寮は律がセルフで改造済みの為、原始的な鍵やチェーンロックを多数取り付けている。三ノ宮のDクラス専用棟の改造に比べれば可愛いものだ。


「とりあえず復旧待つか」


 ひとまず椅子に座っていたが、空調切れたので段々と寒くなってきた。


「ひい」

「え?」


 律は自分の着ていたブレザーの上着を海の肩にかけた。


「それ着とけ。病み上がりだろ」


 海がベストなのを見かねて譲ってくれたらしい。


「りっちゃんは寒くない?」

「俺には筋肉がある」

「どういう理屈!?・・・・・・でもありがとうございます、お借りします」


 段々と暗闇に目が慣れてきた。ふと月明かりで律の顔が見えた時、物思いにふける様子だった。


「・・・・・・どうしたの、悩み事?」

「今、どのクラスがエーレに近いか知ってるか?」


 それはテストの上位者発表のクラス割合で想像がついた。


「多分、Aクラス」


 律は頷く。


「成績で言えばな。そして次がBクラスか、Cクラス」


 BクラスとCクラスは僅差で、優劣の判断が難しい。Dクラスに関しては個人の上下差が激しいので上位ではない。


「去年もBクラスはAクラスに次ぐ成績だった。けれどBクラスの前ゴールドが大幅な人員削減をして、莫大な資金力でクラスメイトの部活動の能力を向上させ、いくつもコンクールや大会で優勝させた。つまりクラス全体の人数は少ないが、各個人の能力は高いと評価されてエーレを手にしたんだ」

「少数精鋭ってこと?」

「そうだ。今年はその方法ではなさそうだが、今年はあの爆破事件は、毎年の『仕掛け合い』だと思ってる。エーレの授与基準にはゴールドの問題対処能力もあるからな」

「Aクラスを落とす為?」

「他クラスは成績でダメなら他の方法で蹴落とす。でも俺はエーレよりも、朝陽が無事に卒業して大学に入ることが出来ればいいと思っている」


 学院の特殊な制度は高等部だけだ。大学はごく普通の私立大学。問題が起これば通常通り捜査機関が対処する。それを考えると大学が安全なのは言うまでもない。


(りっちゃんがここまで言うということは、朝陽くんは本当に危ない位置に居るのかもしれない)


 現に命を狙われている。今度はもっと過激な方法で狙ってくるかもしれないと律は考えているのだ。


(りっちゃんはこの先どうするつもりなんだろう)


 進路の話をした時、まだ決めていないと言っていた。でも考えてはいるのだと思う。ただそれを言いだせない理由があるのか。


(その原因って、多分私だな)


 律は常に朝陽のことを考えて動いている。多分自分の進路よりも朝陽に合わせて進路を決めるだろう。でもそれはきっと、海の都合には合わない。だから言えない。


「りっちゃん」

「ん?」


(でも、私の為にりっちゃんが何か我慢する必要なんてないんだよ)


 海は真っ直ぐと律を見据えた。


「私はりっちゃんのことも、全力で応援してるからね」


 月明かりに照らされた部屋の中、律は目を軽く見張って、微笑した。昔から変わらない優しい笑みはきっと、海の想いを察してのことだろう。いつだって律は機敏に人の気持ちを見抜く。律は何も言わなかった。



 ***



 暗闇に包まれた学院。三十分程で停電は解消された。原因は電気系統の不具合で、誰かが意図的に行ったことではなかったという。

 停電によって都合が狂った人間は多く居た。彼もその一人だった。電気復旧した後だが、部活動が終了した為に、学院内にはほとんど生徒が残っておらず、電灯は必要最低限に留められていた。

 ほぼ暗闇の中急いで寮へと戻ろうとする彼は、すれ違いざま誰かにぶつかってかばんが手から離れた。一応ぶつかった相手に謝罪の言葉は投げたが、今は寮に戻ることが最優先だった。


 そしてようやく辿り着いた自室でパソコンを開いた時、肝心の目的のものが無いことに気付いた。さっきぶつかった拍子に鞄からこぼれ出たのか、とにかく慌てて探しに戻った。

 さっきの場所に戻ると、植木の影にそれは転がっていた。無くなっていなかったことに安堵はしたものの、誰かが中身を覗き見ていないかが気になった。


 念の為後日、誰かが触れていないか指紋鑑定をしたが、彼自身の指紋以外検出されなかった。

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