21 意外な出会い
***
海は木の影に潜みながら、鈴蘭棟を見張っていた。
(この前は連れて行ってくれなかったからなぁ)
二人は隠してるつもりだが、鈴蘭棟に入って行く時の顔は阿修羅のようだった。
そして海は海で、こうして鈴蘭棟を見張っているわけは。
(来た!)
出てきたのは七沢桜。海は今日は七沢の尾行をする予定だった。海はどうしても、美術室での七沢の軽はずみな質問が気になっていた。
普通なら海は伊織を見張るはずだが、ここまでShidoの関与が疑われて、七沢が動かないのは有り得ない。
そして犯人は二度も爆発物を仕掛けて、失敗した。少なくともこのまま大人しくしているはずがない。
仮にShidoが犯人ではないとして、疑いをかけられたまま、真犯人について探らない理由が無かった。
(え、森?)
桜は森に入って道無き道を進んでいく。一応尾行は続けるが、これにはあるデジャブを感じずにはいられなかった。
(伊織様の二の舞にだけはならないようにしなくちゃ)
四月、転校してすぐの出来事。伊織は海を椿棟に置いてけぼりにして陥れた。思えばあれはこの学院に入ってすぐの洗礼だった。
今回はスマホで現在地を確認しながら、クラス専用棟の敷地内に入らないように注意する。
ふと前を見ると七沢にかなり距離を取られていた。慌てて追いかけようと走ると、ズルリと足が滑った。
「えっ、ウソ」
と言いながら身体は宙に浮き、砂利の斜面を転がり落ちた。ゴロゴロと転がって、二メートルほど下の地点で止まった。
「ってて、色んなとこが痛い」
空を仰ぐと、落ちた箇所から五、六メートル先に向かい側の崖があった。スマホに目を離した隙に、走って飛び越えていたようだ。ちなみに海は知っていたところで、跳躍力が無いので追いついていなかったところだろう。
ため息をついて、起き上がろうとした時だった。
「何やってんだよ」
上から覗いてきて突然現れた頭に海はギョッとして叫んだ。
「ギャー!!!デター!!!」
「るせぇ!」
そう怒鳴ったのは先を歩いていたはずの七沢だった。
「な、何してるんですか七沢先輩、こんな所で」
「こっちのセリフだよ。追っ手を撒こうとしたら、しっかり落っこちてんじゃねぇか。何やってんだよ」
「地図には載ってなかったもので」
「ながらスマホするからこうなるんだ。ほら、立てるか」
差し伸べられた手を取ろうか一瞬悩んで、取った。正直手を取った瞬間に力を抜かれてコカされるんじゃないかと思ったが、そこまで鬼畜ではなかった。
「イタッ」
立ち上がると滑った左足が痛かった。
「すみません、足くじきました」
片足で立っている海に七沢は肩を貸す。
「チッ、めんどくせぇな。支えてやるからここの段差頑張って登・・・・・・お前なんで今日スカートなんだよ!!!」
七沢は若干顔を赤らめて怒った。何故だ。鈴蘭棟で女子は大勢居るのに。
「似合ってます?」
「知るか!ズボンはどうした!」
「制服仕立て中なんです。爆発で焦げたので」
七沢は海の左腕に巻かれた包帯を見て目を逸らした。そして聞かなかったふりをする。
「スカートじゃ無理だな。ここから回り道したら帰れるけど、その足じゃあな・・・・・・」
七沢はあからさまに嫌な顔をして、深い深いため息をついた。そして背を向けてしゃがんだ。
「え、なんですか」
「おぶってやる」
「えぇ!?いいです嫌です!」
「なんでだよ!早く乗れって!」
「ヤダ先輩におぶられるとか怖い怖い無理無理無理!!!」
「何回無理言うんだよ!いいからおぶされって!」
七沢は海の足を持って無理矢理背中に乗せた。
「うぎゃっ」
すると勢いが良すぎたのか、海の顎が七沢の頭に直撃してゴチッと音がする。
「っ・・・・・・、おま、いい加減にしろよ」
振り返った七沢の眼光が鋭過ぎて「すみません・・・・・・」と、海が謝るはめになった。渋々七沢の首に腕を回すと、七沢はピタリと動きが止まった。
「・・・・・・おい」
「今度はなんですか」
「お前、胸あったのか───ィダダダッ!」
海は思いっきり七沢の髪を引っ張った。
「先輩マジで死んで下さい!セクハラですよ!」
今日は女子用の制服なのでブラを付けていた。スポーツブラだとワイシャツのシルエットに合わなかったのだ。そもそよ今日こんな事態に陥るなんて予想だにしていなかったのだから仕方ない。
「もーヤダー!帰るー!」
「帰りたいなら黙ってそのまま動くな」
「先輩が余計なこと言うからですよー!」
「振り落とすぞ」
こうして海は七沢に非常に複雑な心境でおぶられながら、保健室まで連れて行って貰うことになった。余計な一言が無ければ感謝しかなかったのに。
「やっと解放された」
保健室の椅子に座らされた海はぐったりした。何か短時間で妙に緊張に苛まれ、無駄に疲労が溜まった。ここまで人に見られなかったことだけが救いだ。
「なんで保健室開いてるのに先生いねーんだよ、無用心だな」
そう言って七沢は海の足をテーピングし、氷嚢を作って頭に乗っけてきた。
「これで足冷やせ。ついでに頭も冷やせ。そしてもうShidoには近付くな」
「それは、先輩方に疑いがある限り無理です」
海の答えに七沢は眉をひそめた。
「お前、これが普通の事件じゃないことぐらい分かってるだろ。つい先日腕に怪我もして、身をもって危険を感じたはずだ。Shidoどころかこの件にすら関わらない方がいい」
「それでも、それを調べるのが私の仕事です」
「どうして女の身でそんな無茶をする。鷹坂グループに弱みでも握られてるのか?」
その時七沢は海の目を見てゾッとした。その目は深淵のように暗く、恐怖が浮かんでいた。海と目が合って、その七沢は言葉を失う。
「・・・・・・私は、ただ鷹坂グループ会長が怖いだけです」
***
───五年前。
鷹坂グループと取引していた下請けの町工場の工場長が鷹坂グループ本社に乗り込んで来た。五十前の工場長は、会長鷹坂一を見つけるや否や、会長の前で土下座した。
偶然ビルの中で遊んでいた朝陽と律、そして海もその現場を目撃することとなる。
工場長は契約の一方的な打ち切りの取り止めと、工場が抱えている借金について語った。このままでは破産してしまう。そう言って泣いて縋った。
価格は他社よりも安く引き受けていると工場長は言ったが、会長は質が悪いから乗り換えたと相手にしなかった。けれども粘り強く、家族があるんだ、このままじゃ首を吊らなければならないと泣きつく工場長。
それを全て聞いた鷹坂一はこう言った。
『死ぬなら勝手に死ね』
言葉は淡々として、目はひどく静かで、取り付く島もない冷たさだった。そしてそれを聞いた工場長は狂ったように甲高い声をあげて、ポケットからナイフを取り出した。そして皆の目の前で自分の首を掻っ切って自殺した。
会長が手を回したのか、当時のマスコミはこれを報道せず、会社内部では徹底した情報統制が行われた。
そして当時十才だった海は、朝と律と共にカウンセリングを受けることとなった。幸いトラウマによるフラッシュバックや混乱は起こらなかったが、海は今でもあの時の血飛沫が、記憶にこべりついて離れなかった。
血溜まりの中で、海は鷹坂グループに恐怖を抱いた。なんの感情も無く人を追い込む会長のあの目が怖くてたまらない。
鷹坂グループが怖くなったその時、一瞬だけ朝陽にも同じ感情を抱いた。そして海は、何故自分は、あの優しい朝陽にも恐怖を覚えたのかと、自己嫌悪に陥った。
恐怖で消えるような感情なら、きっとこれは恋ではなかったのだ。無情な自分には朝陽を好きになる資格なんて無い。
そして朝陽と律は敏感にそれを察していた。二人は立場は違えど、鷹坂グループの一員として幼いながらも責任を感じていた。それが海を突き放した理由だった。
しかし海は、その時こう思った。これは自分への罰なのだ。二人を信用しきれなかった自分に、挽回させる機会すら消されたのだと。
海が鷹坂グループからの依頼を引き受けたのは勿論融資が欲しかったのと、朝陽と律の力にないたいと思っていたからだ。
だから今度こそは、と。
けれど会長への畏怖嫌厭の情がそれを後押ししたというのもまた事実だった。
引き受けた限りは全力を尽くす。でなければきっと、次は自分に報復が返ってくる。
***
海は熱を出した。市販の風邪薬では症状は回復せず、寮ではなく実家で療養することとなった。久々に実家に帰ってきた海は病人姿で瑠璃は不安そうだったが、母に促されて学校に行った。
「疲れが出たのかしら。この前あんな事件が起こったばかりだものね」
海はスポーツドリンクをストローで吸いながら頷いた。本当は経口補水液を飲みたいが、あの味はどうにも苦手だった。
母は海の額に手を当てた。その手はほんのり温かかった。
「ごめんね。今日はどうしても外せない会議があるの」
「大丈夫。病院にはタクシーで行けるから」
父の会社が不調だった時の名残りで、母は今も働いている。ちなみに父の会社の方は早くも軌道に乗ったようで、融資様々という具合らしい。
「保険証とお薬手帳は机の上に置いておくからね。病院の予約は取っておくから、時間と受付番号また送るわね」
「うん」
母が出社して三十分ほどして時間と受付番号が送られてきたので、海はタクシーを呼んで病院を受診した。疲労による風邪と診断されて、病院内で薬を受け取ってまたタクシーを呼んだ。
正直出費の方も気になったが、このむせ返るような残暑の中、熱と吐き気を伴って歩いて帰る気力は起こらなかった。
信号待ちの中、タクシーの窓から外を眺めていると真っ昼間だというのに中学生が下校していた。テスト期間だろうか荷物は比較的少なく感じる。
ふと大声で喋りながら帰っている女子の集団が居た。その後ろの方にいた少女は前の三人の荷物を持って浮かない顔をしている。そしてその少女には見覚えがあった。
(媛宮瑛衣華・・・・・・)
彼女の手では持ちきれないのか、革の手提げ鞄を落としてしまい、前を歩いていた手ぶらの少女達が彼女に何か怒鳴った。
海は赤信号が変わる前に素早く財布を出した。
「すみません、ここで降ります。お釣りは結構です」
メーターには千二百円と表示されていたので、海は二千円置いてその場でタクシーを降りた。
少女達は瑛衣華の顔を見て表情を歪めた。
「何、その顔。私のカバン落としたアンタが悪いのよ」
彼女はカバンからお茶のペットボトルを取り出してギャップを開けた。
「あ、もしかして暑くて死にそう?まあそのまま死んでくれてもいいけど、私ってば優しいから水かけてあげるね〜!」
頭の上からお茶を浴びせられた瑛衣華は思わず目を瞑った。
「キャアッ!」
瑛衣華をの反応を見て彼女らは甲高い声で笑う。
「キャハハ、よかったネー!涼しくなったでしょ」
「やだー、私のカバン汚れちゃったんだけど。どうしてくれんの?」
「コイツの家金持ちだから、なんとかしてくれるわよ。ね?またお金持ってきてよ?」
壁の方に瑛衣華を押しやって少女達がそう迫った時、録画停止音が響いた。
「何してるの」
少女達の後ろに立っていた海を見て瑛衣華は目を見開いた。振り返った少女達は鬱陶しそうな顔で海を睨む。
「誰?」
「この子の叔母よ」
海は堂々と嘘をついた。そして落ちていたカバンの一つを思いっ切り遠くに投げた。その持ち主とおぼしき少女が激昴した。
「ちょっと何すんのよ!」
「今のあなた達の言動、全部スマホで撮ってたから」
サッと青ざめて海のスマホに手を伸ばしたが、海はスマホを持つ手を遠ざけた。
「消せよ!」
「無理よ。データはクラウドとリンクして管理してるから、スマホを壊しても消えないわよ」
「な・・・・・・!」
海は真ん中の少女の胸に強く人差し指を押し込んだ。
「次に瑛衣華にこんなことしたら、学校どころか教育委員会と警察に言うから。イジメはね犯罪なんだからね」
海の脅しに一瞬怯んで、三人はカバンを持って走った。
「行こ!」
「覚えてなさいよ!」
三人が去ったのを見て、海が瑛衣華を見やるとワナワナと震えていた。
「何余計なことしてくれたのよ、これじゃあまた・・・・・・」
「また、イジメられる?」
瑛衣華は海を見て、泣きそうな目で叫んだ。
「そうよ!ああして耐えてたらまだマシなの!あなたが余計なことするから、また明日イジメられるわ!」
「お金取られるのがマシなの?お父さんお母さんが働いたお金なのに?」
ふと海は胃がムカムカとしてきた。腹が立ったのではない。本当に胃が締め付けられるような苦しさだった。
「正論ばっかり言わないでよ・・・・・・あなたに何が分かるの、イジメられたこともないくせに!」
「・・・・・・ごめん、ちょっと離れて・・・・・・」
「え?」
海は自分から瑛衣華と距離を取って、近くの側溝に顔を埋めた。そしてとうとう我慢しきれずに吐瀉物を溝に吐き出した。
「お、ぇ・・・・・・」
「えっ、ちょ、ちょっと、どうしたの?」
消化出来なかった物と胃液がおり混ざった物が滝のように口から溢れ、海はしばらくその場から動けなくなった。朝から嫌な予感はしていたが、何も今出てこなくてもいいだろうに。
瑛衣華も慌てふためいていたが、とりあえず海の背中をさすってくれていた。




