2 転校する
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「初めまして。日野森海です。よろしくお願いします」
好奇の視線が海に注がれる。正しくは胸元のノーランクのピンズに。つまり海は朝陽の為に派遣された人間だと誰もが理解した。
担任に席を指定され、後ろの窓の横の席に座る。
ホームルームから一限まで五分空いたが、誰も声をかけてこなかった。性別が分からない、ということはない(と思う)が、ノーランクの上にスラックスを履いているとなると声をかけ辛いのだろう。ふと窓に映った自分に内心笑ってしまった。
(自分で言うのもなんだけど、男物の制服のまあ似合うこと。流石は鷹坂グループ寄付金による特別仕様、ありがたやありがたや)
海は心の中で拝んだ。本音を言うと、融資を引き受けたのは妹の瑠璃にヴァイオリンを習わせてあげたかったからだ。
瑠璃はまだ十歳で、ちょうど瑠璃が生まれた頃から実家の業績が傾きだした。そのせいか我儘を言うことも少なく、子供らしさをどこかに置いてきてしまったようだ。
それでも密かに音楽に興味を示しているのは知っていた。事業が上手く転べば瑠璃にやりたいことをさせてあげられる。海はそう考えると、このくらいのことは苦痛に感じなかった。
しかし一限が終わると、意外にも数人の生徒が声をかけてきた。ピンズを見るとシルバーだ。このAクラスで片手ほどしか居ない、いわばゴールドに次ぐカースト上位の人間。
「日野森さんって、女の子よね?」
気の強そうな女子がそう聞いた。初のクラスメイトとの会話は尋問のような質問から始まったが、海は特に気にせず笑顔で返答する。
「うん、そうだよ。色々事情があるの」
質問はある程度想定している。次に彼女の後ろの女子と男子が踏み入ったことを尋ねてきた。
「お家は何をされているの?」
「鷹坂様と近しいのか?」
海は笑顔を崩さない。
(これもそれも想定内)
あらかじめ用意していたセリフを返した。
「祖先は武家だったらしいけど、今は会社やってるよ。朝陽様とは小さい頃からの友達なんだ」
ここである程度家柄と朝陽との親密さを示さねばならないのには理由があった。ノーランクは本人が明かさない限り、個人情報を詮索することは禁止されている。
つまり本来のランクがブロンズかシルバーか分からないが故に、下手をすれば見下され偏見の目で見られる可能性もある。
(ノーランクはある意味下僕的な存在だからなぁ)
本来は今の質問もかわして曖昧にするのが定石だが、海は情報収集に来たのだ。シルバーとは仲良くしておいた方がいい。だからあえて自分はシルバーと同等であることを明かした。
(まあ制服を見たら、その寄付金だけでシルバー同等って思われるだろうけど)
目の前の彼女は、ゴールドと親しく更にシルバー同等である海を気に入ったようだった。
「あなたとは仲良く出来そう。私、清宮京子。これからよろしくね」
清宮に手を差し出されたので、海も快く握手で返した。
「よろしくね、清宮さん」
「日野森さんAクラスで良かったわね」
「どうして?」
「他のどのクラスよりもAクラスのゴールドが優秀だからよ」
その声には他クラスへの優越感や、対抗意識が含まれていた。こういう時にAクラスという派閥が形成されているのだと実感する。
それから二限目が始まり、彼女達は席に着いた。どうやら『品定め』は切り抜けられたらしい。
(・・・・・・それにしても、りっちゃんは静かだ)
律とは対象的な位置に席があり、顔は見えない。しかし常に本か何かを読んでおり、見た目と反して真面目に感じる。
(まあ昔から真面目だったな)
その後授業を受けて毎休憩、海はランクに関わらず色々な生徒に声をかけ談笑したが、律はそんなふうでは無かった。あまり人と接することなく、時折姿を消す。おそらく朝陽の所に行って仕事を手伝っているのだ。今朝の書類の数でも思ったが、ゴールドは案外やることが多い。全学年のAクラスの生徒の事情を把握し、各クラスの問題はゴールドが解決しなければならない。それはまるで高校生とは思えない仕事だった。
(本当に不思議な所に来てしまった)
海は束ねた髪を弄りながらそう思った。短い髪にはどうしてもまだ慣れない。手櫛でとくとスルッと空中に手が抜けて、謎の恐怖が指に残る。
去年までの女子高生生活はとても貴重な経験だったとしみじみ痛感した。
***
放課後、海は下見がてら校内を練り歩いていた。地図は把握しているが、実際に見てみるのとは大きく違う。
(それにしても、綺麗な校舎。噴水まであるし)
創設百年近いというのに校舎に寂れは無く、塵一つない廊下、美しく磨かれた窓ガラス、整備された中庭。最早ここは歴史的建造物かと錯覚する。前に通っていた公立高校とは月とスッポン並に違う。
初代創設者の彫りの深い銅像をボケっと眺めていると、突然背後から声をかけられた。
「君もしかして新しく鷹坂の所に来た転入生?」
声の主を見て海はギョッとした。彼のピンズはゴールドランク。美しい顔立ちと栗毛で柔らかそうな髪、色素の薄い目をしていた。その人物は資料を読んですでに知っていた。
(Bクラスのゴールド、紫藤伊織!)
Shidoホールディングスの社長の孫だ。Shidoの社長は齢八十の女傑と呼ばれるような女社長が取り仕切っており、日本でも屈指の経営者と呼ばれている。その業績は鷹坂に次ぐと言われ、未だ成長中の会社だ。
海はどう反応しようか悩んだが、とりあえず肯定だけしておくことにした。
「えっと、そうです」
「僕は紫藤伊織。と言っても、鷹坂に送り込まれたノーランクならもう知ってるよね?」
見透かしたような言葉にドキッとした。これは下手に嘘をつくと余計に面倒な気がしたので、半分は素直に認めることにした。
「いえ、どのクラスのゴールドも皆さん有名な方で、よく噂されていたので知っていただけです。でも気に障ったなら謝ります」
「いやいや、いいんだよ。だって確かに僕って有名人だからね。成績は良いしお金あるし、鷹坂以上にモテるし」
バチンとウインクをキメてきた。
(いや、ちょっとは謙遜しろよ)
堂々とウインクする人間なんて初めて見た。こんな所で『常識を常識と思うな』という鷹坂会長の言葉を思い出すとは。
(多分意味違うけど)
ふと紫藤の後ろにもう一人男子生徒が居るのに気付いた。静かに佇み、眉間にシワを寄せている。ピンズはノーランク。
「伊織様、イメージが悪くなるので余計なこと言わないで下さい」
「でも可愛い女の子が居たら声をかけるのが常識だろ?」
「そんな常識知りません。他クラスに気安く話しかけないで下さいとあれだけ言ったはずです」
「言葉がキビシーよ、桜」
桜と聞いて海はピンと来た。
(七沢桜、確か紫藤伊織の親友で幼馴染み)
女子のような名前なので、男と聞いて意外に思ったお陰で記憶によく残っていた。
「ほら、桜も自己紹介しときなよ。Aクラスのノーランクっていうことは、これから会うことも多くなるだろうし」
なんで俺が、と顔に書いていたが、
「三年Bクラス七沢桜だ。よろしく」
とりあえず名前は教えてくれた。落ち着きのある雰囲気で、いかにも品行方正という言葉が似合う出で立ちだ。ふと海は自分が名乗っていないことを思い出した。
「二年Aクラス日野森海です」
「一人でどうしたの?鷹坂は?」
「朝陽様は部屋で事務処理中です」
「ああ、新入生の資料整理ね。あれ意外と面倒なんだよね。なんだって生徒が生徒の管理をするのか」
後ろから七沢の咳払いが聞こえ、紫藤は軽く笑った。
「そうそう、本題はあんまり一人で出歩かない方がいいよってことなんだけどね。ほらこの学院物騒だから」
「え?」
「まあ土地勘の無い転入生にそれを言っちゃ酷だから、今回だけ特別に僕が案内してあげるよ」
これに異議を唱えたのは七沢だった。
「伊織様、この後の予定はどうするんですか」
「ちょっとだけなら大丈夫さ」
もう勝手に決定しているようで、紫藤は歩き始める。慌てて海は追いかけ、渋々七沢も後に続く。
「いいんですか?」
「いいんだよ。困ってる女の子は助ける主義だからね」
律儀にも紫藤は校門から歩いて説明してくれた。向かって左手が寮、右手が校舎。校舎の方に進んで手前が授業のある教室棟。
その奥に各クラスのゴールド専用の棟が四棟あり、内部は各々で違う。他クラス等の外部からの侵入を防ぐ為と言われている。
他にも部活棟や土の運動場、自然の芝生が植えられた運動場、体育館、武道館など。言い始めたらキリがないほどの施設数だ。
所々でBクラスの生徒が紫藤を見てはキャーキャーと黄色い声で騒ぎ、紫藤もファンサを返していたので横に居るだけで心労が大きかった。この人はアイドルか何かなのか。
三十分ほどで校内を周り終え、紫藤と七沢は足を止める。
「ザッとこんな感じかな」
「ありがとうございました、助かりました」
「日野森さん意外と体力あるね」
「えっと・・・・・・人並みには」
本当は海には人並み以上に体力がある。しかし今まで運動部に所属したことはない。
転入するまで鷹坂の会長にパーソナルトレーナーを付けられ、ジムで体力を付けさせられたからだ。初期の筋肉痛を思い出すと今でも泣けてくる。あのトレーナーは鬼だった。
「そういえば、日野森さんはどうして男物の制服なの?」
「単にスラックスの方が動きやすくて好きだからです」
「あー、確かに。この学校は何が起こるか分からなくて危険だからね。爆発とか」
「!」
海は紫藤の顔を見た。紫藤の顔には薄らと笑みが浮かんでいる。
「ガス爆発のことだよ。前に工事ミスがあってね」
「あ・・・・・・そうですか」
わざとらしい話題だと思った。彼がAクラスの事件を知らないはずがない。
「それにここは名家や資産家の跡取りが集まるから、色々な揉め事が絶えないんだ。昔は殺人とかもあったみたいだけど、まあこのご時世に流石にそれはね」
「そんなことがあるんですね」
「ここは半分、治外法権みたいな場所だから」
不思議な言葉だった。ここは大使館などではない、ただの学校法人だ。なのにどうしてそこまで特異な場所なのか。
「どういうことですか?」
「この学院は多くの官僚を輩出し、政財界にも太いパイプを持つ。だから基本的に事件は事件じゃない。何もかも全て自己責任。そして問題のあることは揉み消されるんだ」
「伊織様!」
制するような七沢の声に構わず、紫藤は続けた。
「クラス同士の覇権争いなんてザラにある。クラス内にもゴールドの地位を狙っている奴が居るかもしれない。そうなるとゴールドを守れるのはノーランクだけ」
「あなたも命を狙われたことがあるんですか?」
「そんな物騒なことになったことはまだ無いけど、これからあるかもしれないね」
紫藤は笑いながら言った。
(いやそんなニコニコとしながら言うようなことかな)
紫藤の余裕っぷりに海は神経を疑ったが、これくらいの度量が無ければやっていけないかもしれないと思った。
「君も盾として使い潰されないようにするんだよ。さっきも言ったけど、ノーランクはゴールドと深い繋がりがある場合が多い。それを知ってて、ゴールドに反感を持つ人間が君を狙って来る可能性もある。だから一人で歩く時は用心するんだね」
さっきから夢物語のような話ばかり聞かされる。しかしそんなことが有り得るのだ。だからこそ朝陽は爆弾を送り付けられ、海は今ここに居る。
「はい。気を付けます」
海が硬い顔で面持ちで頷くと、紫藤と七沢はその場を去っていった。
***
海から離れた紫藤は楽しそうな笑みを浮かべていた。
「桜、あの子どう思う?」
「校内を速歩きで回って息一つ上がっていない。男装しているとこからしても、普通の女子生徒として転入してきたわけじゃないのは確かだ」
二人きりなので七沢桜はいつも通りに話した。
「だよねぇ。鷹坂の動きにはいつも裏があるし」
七沢は紫藤のその呑気さに少し苛立ちを覚える。
「知っていてどうして近付いた」
「別に話したからって呪われるとかじゃないでしょ」
軽く言ってのける紫藤に七沢は窘めるに怒った。
「そういう話じゃない、危険かもしれないって言ってるんだ!それに余計なことを教えるんじゃない。ただでさえ鷹坂は爆弾を送り付けた人間を探してピリついてる」
「だってあの子、大事なことはなんにも知らなそうだったから。ついね」
「にしても、わざわざ自分から虎の巣に入りに行く馬鹿になるな。あとその軽薄そうなキャラやめてくれ」
「虎穴に入らずんば虎子を得ず。収穫はあったから許してよ。それにこの性格は僕のアイデンティティだから無理」
ああ言えばこう言う。これ以上は言っても無駄だと桜は諦めた。
「ならせめてもっと威厳を持ってくれ」
「はーい」
「間伸びした返事をするな」
相変わらず緊張感の無い紫藤に、七沢はため息をつく。さっきまでこの学院は危険だと言っていたのは、どこのどいつだと叩きたくなった。