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19 最後の夏祭り



 ***



 海はナスとベーコンのトマトソースパスタ、朱里はアスパラとベーコンのジェノベーゼ、慧斗はエビとトマトのクリームソースのパスタを注文した。

 どれも美しく盛り付けられ、残ったソースをパンに浸して食べるとよりソースの美味しさが感じられた。

 食べ終えて、三人はひと呼吸置いた。


「美味しかったー!ここのパスタは安定ね」

「本当に、とても美味しかったです」


 店員が皿の回収に来てくれたので、ドリンクを追加注文する。


「あ、私デザートの前にちょっと化粧直しに行ってくるね」


 そう言って化粧ポーチを持った朱里が席を立つと、席には海と慧斗が残された。ふと海は今日買った物を思い出して、小さな紙袋を手に取った。


「あの、秋月様」

「なんだ」

「ちょうど秋月様に渡そうと思っていたものがあるんです」


 紙袋を秋月に渡す。


「これは?」

「四月にハンカチをお借りしたまま、返す機会を失ってしまっていたので、新品を買ってきたんです。お借りしたものも一緒に入れて貰っています」


 今日の出かけた目的は新しい紳士物のハンカチを買うことだった。

 伊織に椿棟に誘導された後、慣れない生活によるストレスも相まって、らしくもなく泣いてしまってずっと借りていたものだ。


 一学期中、秋月と会う機会は何度かあったが、朝陽より前に出て返すことは出来なかった。何より朝陽と律にあの時のことは伝えていない。

 心配を増やすのが嫌だったというのもあるが、泣き顔を見られたことを思い出すとむずがゆい恥ずかしさが込み上げてくるので、早く記憶から抹消してしまいたかった。


「わざわざすまない。返せと言わなければ負担にならなかったな。あの時は少し考え事をしていて、そこまで気が回らなかった」

「いえ、借りたものは返すのが道理です」

「ありがとう、大切に使わせてもらう」


 海はホッとした。正直受け取って貰えないかもしれないと思っていたからだ。


「ところで、ここには朱里が無理矢理連れてきた形になったが、この店でよかったのか」

「特に予定も無かったので大丈夫です。でも秋月様には迷惑だったんじゃないかと思って」


 店でも海と朱里ばかり会話していて、秋月はほとんど口を開いていない。話題を振った方がいいのかとも考えたが、それもお節介かと結局そのまま今に至る。


「俺としては朱里の相手をしてくれる方が助かる。アイツ永遠に喋るからな。それに、日野森にはこの前のアフタヌーンティーの件で詫びをしようと思っていたんだ」

「あれくらいなんてことありません。むしろ助けて貰いました」

「お前がシルバーかブロンズなら引き抜いていたんだがな」

「・・・・・・今なんて?」


 聞き間違えたのかと思った。引き抜き?


「本人とそれぞれのゴールドの許可が得られれば編入は出来る。実例数で言えば珍しくはない」


 それは初耳だった。


「どうして私を?」

「知力、体力、判断力、そして不測の事態に適応する力がある。何より、あの紫藤先輩が一目置いているからな」

「それは・・・・・・少し過分な評価かと」


 内心海は、成績が知られていることに冷や汗をかいていた。律のお陰で中の上か、上の下くらいだが、特に目立って優秀な科目は無い。

 ノーランクは成績非公開なのに知っているあたりは、やはりCクラスのゴールドと言えた。


「それに伊織様には、からかわれているだけです」


 学院内での行動はストーカーじみてきている。


「それでも先輩と対等に渡り合えている。そもそも鷹坂様がお前を重宝しているんだ。もっと自分に自信を持て」


 ふとその基準が朝陽であることが気にかかった。


「秋月様は朝陽様どう思っていますか?」


 ややあってから秋月は小さく笑んだ。


「俺は高等部から学院に入学したんだ。そして去年鷹坂様と出会い、ゴールドでありながら常に品行方正で、Aクラスの気風も好ましかった。クラスの気風はゴールドで決まる。俺もあんなクラスにしたいと思った。だから俺の目標は鷹坂様なんだ」


(確かに、朝陽くんも唯一ウマが合いそうなゴールドって言ってたっけ)


 朝陽よりも秋月の方がやや型破りではあるが、似ている所はあるので、性格上通じるものも多いのかもしれない。


「鷹坂様の信頼を損ねさせるつもりはないが、もしも、Cクラスに来ると言うなら手を貸そう」


 海はふと脳裏に朝陽と律の顔が浮かんだ。撫子棟での日々や合宿やカフェで過ごした時間、そして幼い頃の思い出。離れた時間も長いが、一瞬に居た時間も同じくらい長かった。


 すると先ほどまでの虚しさはどこへやら、すっかり消え去っている。やっと納得出来た。自分の居場所はちゃんとあるのだ。

 海は秋月に微笑んだ。


「ありがとうございます。そう評価して貰えたのは嬉しかったです。でも私は、ノーランクである前に、朝陽くんとりっちゃんの友人なので」

「そうか」


 そこに朱里が化粧室から戻って来ると、目をぱちくりさせた。


「もしかして引き抜きの話したの?」

「ああ」

「で、答えは?」


 朱里は海を見る。


「お断りしました」


 朱里は苦笑して額を押さえた。


「やっぱりかー。ダメ元だったけど、いざ断られると惜しいなぁ」

「朱里先輩が言ってくれたんですか?」

「ううん。言い出したのは慧斗。本人が嫌ならしょうがないけど、私はいつでも歓迎するよ」


 するとタイミングを見計らったようにデザートが運ばれて来た。三人ともシャルロットケーキを選んでいて、追加のドリンクも一緒に届いた。


「編入は出来ないですけど、厳しいと有名な秋月様が評価して下さったのは意外です」

「厳しくしているつもりはないが、エーレにいかに価値を持たせるかを極めようとすると自然とそうなる」

「エーレの価値?」


 秋月はケーキにフォークを入れる。


「この前見たようなクラスの生徒にエーレを渡せば、エーレの価値は格段に下がる。クラスで配られる分、渡すゴールドの責任も大きい」

「真面目ねぇ〜」


 そう言って朱里はオレンジジュースをストローで口に含んだ。


「・・・・・・Cクラスのゴールドの候補者には、朱里も居たんだ」

「そうなんですか?」


 朱里と目が合うと、彼女はペロッと下を出した。


「これでも優秀なので、てへ」

「まあそうなんだ。これでもな」

「二回は言わなくていいのよ慧斗」

「でも、年上の朱里ではなく俺が選ばれたのは恐らく家の財力の差だろう」


 ゴールドの基準に家の資産とあるが、Cクラスには顕著に適用されたらしい。


「慧斗パパ稼いでるもんね」

「・・・・・・。でだ、別にそれに対して後ろめたさがある訳じゃない。ただ任せられた限りは職務を全うしようと思っているだけだ」


 海は半分くらいになったケーキを見詰めた。このケーキと同じくらい、すでに秋月への容疑は消えている。けれど残り半分はまだ疑問が残っていた。


「あの、率直にお聞きしますが、七月の初めに、シルバーを一人退学させていますよね。理由をお聞きしても構いませんか?」


 バカ真っ直ぐに尋ねたとは分かっている。でも今二人に対して回りくどく尋ねるのは、無作法だと思った。

 秋月は朱里と顔を見合わせると、不意に真面目な表情になった。


「その生徒はうちのクラスの裏切り者だった」


 海は瞠目する。裏切り者、つまり他クラスからのスパイだ。


「IT企業の息子だったんだけどね、どうやらクラスの情報じゃなくて慧斗パパの会社を調べてたみたい」

「会社?じゃあエーレとは無関係の裏切り行為をしていたんですか?」

「無関係とは断定出来ないが、ただそいつがShidoと取引して情報を流していたの事実だ」


 それは春の合宿でAクラスに起こった事件に酷似していた。BクラスはAクラス以外にも魔の手を潜ませていたのだ。


「でも、何故秋月様の実家を?Shidoって別に不動産とか建設業は手をつけていませんよね」

「うちの会社というより、うちの会社と協力関係にあった()()()()()()()()()()()()()調べていたんだ」

「!」


 今度こそ海は心臓が止まりそうだった。慧斗は何もかも分かっているように、コーヒーカップを手に取った。


「プリンセスグループ代表取締役の娘は媛宮瑛衣華。鷹坂様の婚約者だな」



 ***



 後日、海は鷹坂グループのビルに訪れていた。夏休みに入って二度目だった。今日も今日とて男物の制服を着ていたが、もうあのよく分からない焦りや後ろめたさは消えていた。


「つまり、Cクラスを通してプリンセスグループを調べていたと」

「はい。確かプリンセスグループは跡取りが瑛衣華お嬢様一人で、朝陽くんとの結婚を経て鷹坂グループの傘下に組み入れられる予定ですよね」

「ああ」


 プリンセスグループはリゾートホテル経営の第一人者で、どこかの傘下に入るような企業ではない。

 しかし親族経営から抜け出すには踏ん切りがつかず、鷹坂グループにも信頼を示すことを要求し、両者の親族の結婚で落としどころを定めたのだ。


「Shidoの本当の狙いは、鷹坂グループではなくプリンセスグループなのではありませんか?」


 プリンセスグループはホテル経営のみならず、不動産業にも通じている。ここで心々会との繋がりが見えてくる。昔からヤクザと不動産はどこかで繋がっているものだ。


「朝陽くんに何があれば、跡取りからは外され、婚約も無くなるはず。そうすればプリンセスグループの傘下に入る話も無くなる」

「朝陽と瑛衣華さんの婚約が決まったのは十年前か。ここ十年でShidoの成長はかなりのものだ。今ならプリンセスグループを引き入れられると踏んだか」


 今鷹坂グループには朝陽以外にも跡取り候補は居るが、瑛衣華と歳が釣り合うのは朝陽だけだった。


(それに、IT企業の関係者ならDクラスの件も納得がいく)


 なりすましてDクラスの生徒を操っていた黒幕。SNSでのやり取りだったとはいえ、ネットワークから追跡出来ないなら黒幕が技術を持つプロである可能性がある。IT関係ならそれも可能だろう。


「これでShidoが爆弾を送る動機は揃ったな。しかし送り付けてきたという証拠はまだ無い。新学期に入ったら、Bクラスを徹底的に見張れ。こちらが弱みを握っている内は動けないだろう」

「はい」


 こうして報告を終えた海が立ち上がった時だ。会長は「そういえば」と海を引き止めた。


「この前聞きそびれたんだが、お父さんの会社はどうだ」

「順調だと聞いています」

「そうか・・・・・・お父さんの為にも頑張りなさい」

「はい、ありがとうございます」


 海は一礼して社長室を出た。

 会長の融資は会社に絶大な効果をもたらした。会長には感謝している。

 けれども会長は時に残酷な判断を下す。海はただそれだけが訪れないように、鷹坂グループに従うのだった。


 ***


 八月下旬。ツクツクボウシが鳴き始め、夏の終わりが感じられるようになってきた頃。律はいつものように朝陽の部屋で過ごしていた。


「朝陽」

「なんだ」

「もう夏休み終わるけど、何か忘れてないか?」

「そうか?」


 課題や用事などのたぐいではない。でも今日の日付けを見ると、何か忘れている気がする。

 ふと窓の外を見やると人通りが多くなってきた。人々は色とりどりの浴衣を着て、小さな子供は走って先に行ってしまい、親が慌ててその後を追いかけている。


「・・・・・・あ、今日は神社の祭りだ」


 朝陽の顔を見ると、「忘れてた」と顔に書いていた。



 ***



「お姉ちゃん早くー!」


 ぐいぐい腕を引っ張るのはピンクで朝顔柄の浴衣を着た妹の瑠璃。


「ちょっと待って、急ぐとつまずくよ」


 普段から大人びている瑠璃がこうやって、年相応にはしゃぐのは珍しい。今日は夏の暮れ恒例の夏祭り。歩いて十分ほどの所にある大きな神社で、こじんまりとした祭りだが出店や花火もある。


「お姉ちゃん良かったね、可愛い浴衣貰えて」

「そうだね」


 海は赤い椿の古典柄の浴衣を着ている。髪はこの前切ったので、編み込んだ三つ編みにした。


 親戚がもう着ないからと浴衣を譲ってくれたので、普段なら祭りで浴衣は着ないが、せっかくなのでこの機会を活かすことにしたのだ。

 そういえば姉妹揃って浴衣を着て祭りに来たのは初めてだ。


(それで珍しくはしゃいでいるのか)


 神社に着くと、思った以上に出店が出ていた。夏の暮れとは言え、残暑で蒸し暑く、喉が渇いていた。

 海は巾着から財布を出した。


「かき氷食べよっか。何味がいい?」

「イチゴ!」

「じゃあ私抹茶にしようかな」


 近くのかき氷屋で注文し、それぞれの氷にシロップと練乳をかける。適当な段差に腰掛けて二人でかき氷を完食した頃、小学生の少女が瑠璃を見つけて近寄って来た。


「るりちゃん!」

「あ、みなみちゃん!」


 みなみと呼ばれた彼女は瑠璃の級友らしかった。


「今からりなちゃんとお参りに行くの、るりちゃんも一緒に行く?」

「でも・・・・・・」


 瑠璃が言葉に詰まると、海は笑って背中を押した。


「せっかくだから行っておいで。私はここで花火待ってるから」

「いいの?」

「うん。でも帰る時は一緒に帰ろうね。スマホ持ってるよね?」

「持ってる。じゃあ行ってくるね!」


 こうして女子三人を見送った後、海はスマホを眺めた。時刻は六時。花火は八時だ。


「さて、手持ち無沙汰だな」


 一人で神社を回るのもな、と思ったところにメッセージが届いた。律からだった。


『ひい、今思い出したんだけど、今日神社の祭りだな』


 軽く眉を上げ、祭りに来ていることを伝える。


(二人も来るのかな?)


 そう考えていると、


『朝陽とすぐ行く』


 予想通りの返事が来た。そしてそのメッセージから十分ほどで二人は神社にたどり着いた。


「りっちゃん早かったね」

「朝陽の家に居たんだ。近いからな」


 この神社は海と朝陽の家の間にあり、朝陽の家からはもう少し距離があるが、二人が私服だからか男だからか、早くに神社に着いたらしい。


「ひい、浴衣似合ってるな」

「ありがとう!」


 流石朝陽、褒め言葉を忘れない。

 ふと朝陽が外を出歩いていることに不安を覚える。


「朝陽くん外出て大丈夫?」


 鷹坂の会長に伝えたことは勿論朝陽にも伝えていた。

 朝陽は海の不安を拭うように柔らかく微笑んだ。


「学院は危ないが、この民主主義の国で突然襲ってくることはないだろ。・・・・・・律、お前何食べてるんだ」

「キュウリ」


 律はいつの買ったのかキュウリの一本漬けをかじっていた。


「俺も何か買おうかな」

「私もー」


 そして朝陽は唐揚げと焼きそば、海はたこ焼きを食べていた。律は相変わらずキュウリをかじっている。


「りっちゃんそれ何本目?」


 律は手で五と示した。カッパか。


「よく飽きないな」


 食べ終えた串をゴミ箱に入れ、律は楽しそうに腕を組んだ。


「店で味を比べてるんだ」

「で、どこが一番美味しいの?」

「あのはしから二番目の隣の店だな」


 ふと律は他の学生らしきグループが写真撮っているのを見た。


「三人で写真撮っとくか」

「撮ろう撮ろう!」


 律のスマホに保存された写真を見て海は目を剥いた。


「うわっ、画質良過ぎる」


 律の機種は最新のものなので、暗い中でも三人の顔がハッキリと描写されていた。


「後で朝陽と()()に送っとくよ」


 不意に花火が上がって、弾ける音がした。振り向くと夜空に色彩鮮やかに広がった。


「キレイ・・・・・・」


 海はぼんやりとその花火を眺めた。

 昔も三人でこの祭りに来たことがあった。ちょうど海が瑠璃くらいの頃。

 広がった火玉がパラパラと音を立てて段々と消えていく。ノーマルな丸型ばかりだったが、海は丸型が一番好きだった。


 花火はいつまでも永遠に続きそうだったのに、いつの間にか終わってしまった。人々は余韻に浸る間もなく、ぞろぞろと帰り始める。帰りの電車が込み始めるからだ。


 スマホを見ると、瑠璃からメッセージが入っていた。


「私瑠璃と待ち合わせしてるから、そろそろ帰るね」


 海が立ち上がって土を払った。


「俺達も帰るか」

「そうだな」


 海は瑠璃を待つので、朝陽と律と神社の鳥居の前で別れることになった。


「じゃあまた、戻る日に」

「ひい、夜は気を付けろよ」

「うん、ありがとう。またね」


 こうして夏休み最後の祭りが終わった。


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