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18 襲う虚無感



 ***



 歩いて五分足らず、木造平屋建ての家のインターフォンを鳴らした。


「こんにちはー」

「あら海、瑠璃。いらっしゃい、上がってちょうだい」


 祖母空音(そらね)はにこやかに出迎えてくれた。年老いても毎朝丁寧に髪をセットするので、実年齢よりも若く見える。


「おばあちゃんこれお土産」


 昨日駅で買っておいたクッキーの詰め合わせを渡した。


「ありがとう。あら二人とも髪切ったのね。似合ってるわ」

「えへへ」


 祖母に褒められると瑠璃も嬉しそうだった。


「おばあちゃんアイス食べていいー?」

「いいわよ」


 瑠璃が冷蔵庫でアイスを漁っている間に、海は持ってきた紙袋からある額縁を取り出した。


「おばあちゃん、これもお土産」

「まあ、素敵な水彩画ね」


 学院内の景色を見て、祖母は目を細めた。


「前にコンクールで金賞取ってた七沢桜さん、今学校の先輩で、頼んだら描いてくれたの」

「あの桜の花筏はないかだを描いていた人ね!覚えているわ」

「これおばあちゃんにあげるね。私もう一枚描いてもらったから」


 受け取った祖母は嬉しそうに微笑んで、慈しむように絵に触れた。


「ありがとう。大切に飾っておくわ。それにしても、またグリュック学院の景色が見られるなんてね」


 海は目をぱちくりさせた。


「これが学院の景色だって分かったの?」

「私も昔学院に通っていたのよ」


 うふふ、と笑う祖母。それに海以上に驚いたのは瑠璃だった。


「おばあちゃんそれ本当?」

「ええ。でも私が二年生の時、実家の会社が倒産してしまったの。だから退学して、おじいちゃんと結婚したのよ」


 その話は海も瑠璃も初耳だった。世間は狭いものだ。


「退学してから、どうしておじいちゃんと知り合ったの?」

「あなた達からしたら曾祖父、私のお父さんのすすめだったの。瑠璃は知らないかもしれないけど、おじいちゃんの家は昔武家で、家柄も良いし会社も上手くいっていたから」

「政略結婚ってこと?」


 瑠璃は少し不安そうにそう尋ねた。


「まあ、いわゆるそれかもしれないわね」

「おばあちゃんはそれでよかったの?」

「ええ。だって出会い方はどうであれ、私はおじいちゃんのことがちゃんと好きだったから」

「そうなんだ」


 海は少し意外だった。祖父は瑠璃が生まれる前に亡くなった。

 瑠璃は会ったことがないから納得したが、こう言っては失礼だが祖父のどこを好きになったのか海にはさっぱり分からない。特別優しかった訳でも、笑っていた顔も覚えていないくらい少なかった。

 けれど祖母はやっぱり嬉しそうに笑っていたので、そんなものなのかと納得した。



 ***



 海が祖母の家を訪れている頃、律はまるで実家のように感じるその家に上がって、真っ直ぐ二階突き当たりの部屋のドアをノックした。


「入るぞ、朝陽」

「ああ」


 朝陽は律の持つリュックを見て笑った。


「まさか夏休みの課題じゃないよな?」

「そんなわけないだろ」


 したり顔で律がリュックから取り出したのは、ゲーム機とコントローラー。今日発売のソフトをダウンロードしてきた律は、タブレットを机に自立させる。


 一時間後。


「あー、くそっ、また負けた・・・・・・」


 朝陽は机に突っ伏していた。所持主が律なだけあって、やりこみ具合がうかがいしれてしまう。


「あと五回くらいは付き合ってやるよ」

「五回やる前には勝つさ」


 宣言通り朝陽が四回目に勝つと、二人は昼食に歩いてラーメン屋に行き、また朝陽の部屋に戻って来た。


「律、今日晩ご飯食べていけよ」

「ありがたく呼ばれていくけど、ラーメンチャーハン餃子セット食べてすぐに言わないでくれ・・・・・・」


 この家には鷹坂の会長は住んでいない。朝陽の両親は律に好意的なので、晩ご飯に呼ばれるのは日常茶飯事だった。


「そうだ、ゲームしばらくここに置いくぞ。家に置いておくと課題が進まねぇんだ」

「重症だな」


 朝陽はくつくつ笑った。


「るせぇ。どれでも好きに遊んでいいから」

「じゃあその無人島開拓ゲーム進める」

「それ永遠に終わりのないゲームだぞ」

「それが良いんだ」

「朝陽この新刊読んでいいか?」

「いいよ」


 こうして律は朝陽の漫画を拝借しベッドを背もたれにし、朝陽はコンビニで買ってきた別の漫画をベッドに寝そべって読んでいた。

 ふと朝陽がポツリと呟いた。


「二人きりって久々だよな」

「確かに」

「なんか、()()が居ないと寂しいな」


 律は苦笑した。朝陽がこう言うのは、何年ぶりだろうか。


「少し前まで普通だったにな」

「五年前の学院の中等部に入る時、もう関わらない方が()()の為だって思ってたけど、今は居ないと寂しいって思うのは、俺のワガママなんだろうな」

「そうなると、俺もワガママらしいな」


 朝陽の中学入学とともに海と会わなくなってからしばらくは、二人で少しソワソワしたり、どこか違和感が拭えなかった。けれどいつからか二人で過ごすが普通になって、弱さも強さも二人で作りあってきた。

 なのに海と再会したこの数ヶ月ですっかり昔の雰囲気に戻った。


「なあ、律」

「ん?」


 朝陽は漫画を読む律に後ろから腕を回した。


「あの時、()()には鷹坂グループから離れる方が幸せだって決めたのに、お前にだけはそうしてやれなかったことを許して欲しい」


 律は軽く目を見張って、本を読む手を止めた。今日の朝陽はだいぶ感傷的なようだ。こういう時は大抵、次の日に何か嫌な予定があるのだと長年の勘で分かっている。


(さては婚約者との会食だな)


 律は小さく笑って、朝陽の腕をポンポンと叩いた。


「そんなの当たり前だろ。朝陽、俺は今まで一度もそんなこと考えたことなかった」

「俺はどうしても、お前の手だけは離せなかった。お前だけは傍に居て欲しかったんだ。今も昔も、まだ一人で立っている自信が無い」

「大丈夫だよ、俺は必ず、お前の傍に居る」


 海と離れたあの時、孤高の道を歩くと決めた朝陽に、律は必ず付いて行くと決めた。


 律は昔、朝陽のことが苦手だった。それは朝陽も同じだったようで、親の言われるままに二人で過ごしていた。そんな重苦しい状況を救ってくれたのが海だった。

 だから律は、海と朝陽の為ならなんだってすると、遠の昔に決めている。


「なあ、俺達友達だよな」

「そうだよ」


 すんなり答えた律に、朝陽が笑う気配がした。


「お前がこの質問に即答してくれるまでに、一体何年かかったかな」


 重役の息子という肩書き、お金で雇われた友達という後ろめたさ。友達とはなんだろうかと悩んでいた時期もあった。

 けれど出会い方には意味は無くて、結局一緒に居て隣に立っていてくれるのが友達なんだと納得した。これもまた友達の一つの形だと。


「今は何も迷わずに答えられるよ。そしてそれはきっと、()()も同じだ」

「律・・・・・・」


 朝陽もまた、海に対して友情を不安に感じているのを知っている。どうしても鷹坂の名前がチラつくのだ。


「俺達はずっとお前の味方だよ」


 時折こんな悩み事を抱えるのには、昔起こったある事件が関係していた。結果海は鷹坂グループに対して恐怖心が芽生えたのを朝陽と律は察した。

 それで海が二人に対して何か態度を変えたわけではない。ただ二人で勝手に決めて、勝手に突き放した。彼女の幸せを願って。


(あの時、()()は恐怖心を抱いた罪悪感で朝陽への恋心が消えた。そしてそれに気付いた朝陽は、()()の為に幼い恋心を無理矢理消したのを知っている。だから俺も───)


 小さい子供のように引っ付く朝陽を落ち着けながら、律はまた漫画を読み始めた。



 ***



 祖母の家に行った次の日はあいにくの雨だった。何を着ていくのが正解か分からず、一応正装と呼ばれる制服を着て、駅から傘をさして歩いていた。

 そしてビルに入って傘をナイロンに入れて、受付にアポイントを確認して、今回は一人で社長室に向かう。


「お久しぶりです」


 転入する前に会った時のように、海は鷹坂(はじめ)にそう言った。いつものごとく、威厳漂わせる風体で、手ぶりで座るのを促される。


「夏休みで、少しは休めたか」

「ありがとうございます。それほど疲れていませんから大丈夫です」

「そうか。では、学院での話を聞かせて貰おう」

「念の為に言っておきますが、私は朝陽くんに言い漏らしたことは無いつもりです」


 海は知り得たことは欠かさず朝陽に報告している。


「報告というものは上にあがるにつれ、自然と変化してしまう。私はありのままの報告を聞こうと思ったまでで、別に朝陽や海さんを疑っているわけではない」

「分かりました、余計なことを言ってすみません」

「いや構わん。さて、報告を始めてもらおうか」


 海は四月からつけていたメモ帳を取り出して、順当に報告を始めた。ちなみにあえて紙のメモに書くのはハッキングによる情報漏洩防止の為だ。会長はしばらく海の報告に耳を傾け、大方同じだったようで、静かに頷いた。


「なるほど。ちなみに、君は誰が一番爆弾を送る動機があると思う」

「動機としてはエーレが関係していると思っていますが、そうなるとどのクラスも断定出来るほどの判断材料がありません」

「そうか・・・・・・。一番問題だったShidoの動きは抑えても、爆弾を送ってきた証拠も無いと」

「はい。ただ、Dクラス、Cクラスの可能性は低いと思います」


 Shidoの動きが鈍いのはここ最近の話であって、爆弾はそれ以前の話だ。

 そしてShido関しては七沢桜の反応が引っかかっていた。


(紫藤伊織が社長の命令で独断で行ったとしても、知らないはずがない)


 七沢桜はShidoにこそ関係無いが、ほとんど身内だ。爆弾を送ったとして、当人がああも簡単に話題に出してしまうものか。


「あの、会長」


 海が口を開きかけた時だった。勢いよく社長室の扉を開けて中学生くらいの少女駆け込んで来た。


「失礼しまーす!」


 海と会長は驚き、


瑛衣華えいかさん」


 と会長が少女の名を呼んだ。そして海はその名をずっと昔から知っていた。


(瑛衣華って、媛宮瑛衣華ひめみやえいか?プリンセスグループの?)


 彼女は今十五歳で、中学三年生のはずだった。中学生にしては大人びたワンピースを着て、化粧や香水とかなりめかしこんでいた。

 会長は少し困った顔をしていた。この人がこんな顔をするのは珍しい。


「瑛衣華さん、約束の時間には少し早いのでは?」

「会長に早く会いたくて急いで来ました!朝陽くんはどちらですか?」

「朝陽はこの後レストランに直接来る」

「そうなんですか?ザンネーン、私もレストランに直接行けばよかった」


 会長はすまなさそうな様子で海の方を見た。


「海さん、悪いがこの後会食なんだ。話はここまでだ」

「はい」


 ふと瑛衣華は海の方を見て、首を捻った。


「誰?男の人・・・・・・じゃない?」

「朝陽の協力者だ」

「朝陽くんの」


 すると海が女と認識したのと同時に、朝陽の名前を聞いて瑛衣華は眉を吊り上げて睨み付けてきた。


「言っとくけど、朝陽くんの婚約者は私なんだから。変な気起こさないでね」


 海は瑛衣華の必死な形相を見て、ニコリと笑った。


「勿論です。お嬢様が心配されずとも、私はただの協力者ですから」


 海は立ち上がって会長に一礼して、そそくさと部屋を出た。段々とその足取りは早くなって、急いでエレベーターのボタンを押した。


(嫌われたかな。別に構わないけど)


 自分にまるで意味が分からなかった。とにかく今は早くこのビルから離れたくて仕方がない。あの少女の顔を忘れたくて、カバンからスマホを取り出してイヤホンをさした。

 いつもなら鷹坂グループのビルでこんなことはしないが、何か気を紛らわせたくて仕方なかった。



 ***


 海は朝早くに目が覚めた。一日経ってもまだ曇天だった。雨が降らないくらいなら曇らないで欲しい。

 海は久しぶりにクローゼットからスカートを取り出して、髪をヘアアイロンで巻いて、薄らと化粧をした。小物箱からイヤリングを選んで、遠出用のパンプスを履く。


 今日は買いたい物があったので、一時間電車に乗って、大きな繁華街の真ん中にある駅に向かった。その駅の周辺は近年開発された商業施設が多く建ち並ぶ。


 まず駅に隣接する施設の紳士売り場で目的の物を買っておく。次いでアクセサリー売り場や化粧品を見て回ったが、使う機会も無いので今は買わなかった。それから服を三着ほど新調して、行き先を考えた。

 目的の物を買った後のこと以外は何も考えていなかったのだ。ふと海はショーウィンドウのガラスに映った自分を眺める。


(何やってるんだろう私)


 欲しい物があったとはいえ、ここまで遠くに来る必要も、誰にも会わないのに自分を特別飾り立てる必要も無い。でも誰も知り合いが居ない場所で、一人で少しだけ女子高生に戻ってみたかった。


 けれども突然、理由も無く虚しさがこみあげてきた。そういえば朝陽と律に最近会っていない。あの二人と居た時間は特別濃かった。学院が特殊だからだろうか。


(・・・・・・お腹空いたかも)


 ここまで来たならもう少し実のある時間にしてから帰ろう。そう思ってレストラン街のある上の階にエスカレーターで向かおうとした時だった、片耳のイヤリングがカシャンと音を立てて落下した。

 気付いて拾おうとすると、誰かが先にかがんで拾い上げた。


「あ、すみませ・・・・・・ん」


 受け取る拍子にその人物と目が合って、一瞬時が止まったように感じた。手の平分程度しか空いていない距離で見たその目には強い意志が秘められ、吸い寄せられるようだった。


「・・・・・・おい」

「・・・・・・・・・・・・。・・・・・・え、秋月様?」


 目を見開いて、慌てて距離を取った。まさか秋月をまじまじと見詰めていたなんて、海は羞恥を覚えた。


(何ボサっとしてたの私!)


 今日は本当に調子が狂っている。夏休みで気が抜けていたのか。四月の恐怖心はどこに行ったのだ。


「もしかして日野森か?」


 秋月は今気付いたというふうだった。すると秋月の後ろからひょっこり、また見慣れた女の子が現れる。


「え、海ちゃん!?」

「朱里先輩!」


 普段はポニーテールの朱里だが、今日は髪を下ろして左右まとめていた。ミント色のロングワンピースを着ているので普段と雰囲気が全く違う。


「一瞬誰だか分からなかった、私服可愛いね!」

「ありがとうございます。先輩も髪下ろしてるの珍しい、似合ってます」

「本当はいつもTシャツとジーンズなんだけどね。まあ一応、場所の空気読んどこうかなって」


 見た目はお嬢様なのに中身はいつも通りだった。


「先輩と秋月様はどうしてここに?」

「この商業施設一帯、慧斗の家が開発して、私の家が建設したものなの」


 海は開いた口が塞がらなかった。そういえば秋月の実家マーチメイクカンパニーはディベロッパー業務が主で、朱里の実家は大手ゼネコンだ。

 しかし商業施設の規模はかなりのもので、一日では周りきれないほどだ。それ全てに関わったというのか。


(というか、遠出したのがこんな所で裏目に出るなんて)


 普段しないことをすると何か事故が起こるものだなと自戒した。


「ご飯はもう食べた?」

「いえ、まだです」

「一緒に食べましょうよ!上のレストランの優待券があるのよ!」


 朱里は海の腕を引いたが、海は秋月をチラリと見やった。


「私は大丈夫なんですけれど

 秋月様は迷惑なんじゃ・・・・・・?」

「大丈夫よね?」


 朱里が振り返ると、


「好きにしろ」


 と、意外とすんなり承諾してくれた。


「あら珍しく普通に納得してくれた」


 朱里も眉を上げたが、


「この前のお詫びも入ってるのかしら。海ちゃん荷物貸して」

「え?」


 海から買った袋を預かると、そのまま秋月に渡してしまった。


「慧斗これもよろしくね」


 海はサッと青ざめた。ゴールドを荷物持ちにするなんて。


「そんな!じじじ自分で持てます!」

「大丈夫よ、今日はその為に慧斗は居るんだから!」


 よく見ると他にも沢山紙袋を持たされていた。


「さ、レストランは最上階だから行きましょう」


 朱里は海の手を引いてエスカレーターに向かって歩く。海が秋月を振り返ると、表情は薄かったが怒ってはいなかった。


「構わない、とりあえず前向いて歩け」

「あ、はい・・・・・・ありがとうございます」


 本当にいいのかな、と迷いながらも、海は二人に同行することになった。

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